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第七十四話 あの男、再び

 一月五日。正午よりも少し前だというのに、回転寿司屋さんは随分と賑わっていた。お正月も三が日は過ぎたけれど、学生たちは冬休みだからか、家族連れが多いようだ。


「梓くんも回転寿司とか来るんだね」

「普通に来るよ。まだ俺にそんなイメージ持ってたの?」


 席案内の順番を取るために、梓くんはタッチパネルで受付を済ませながら、くすくすと笑った。

いつも身なりもきちんとしているし、都内の高級マンションに住んでるし。大人になってからの梓くんからはやっぱりこういう庶民的なお店は想像できないな、と思う。

店内に人は多いけれど、順番が回ってくるのは思ったよりもスムーズだった。席の番号が書かれた紙をとって、案内通り紙と同じ番号が記されたボックス席につく。


「そういえば、梓くんのお友達は? 先に入ってて、大丈夫だった?」

「ああ、もうすぐに来ると思うよ」


 あ、と声を上げて梓くんは軽く手を上げる。


「噂をすれば、だ。こっちこっち」


 ふ、とテーブルに影が落ちる。初めまして、と挨拶をしようと顔を上げて、一瞬、心臓が止まるかと思った。

 切れ長の険しい目が私を見下ろしている。その顔を私はよく知っている。もう二度と会うことはないと思っていたのに。


「東間……っ!」


 思わず大きな声をあげそうになった私の口を、隣に座る梓くんが軽く手で塞いだ。


「どういうつもりだよ、こんなところに呼び出して」


 大きな溜息とともに、向かいの席にドカッと東間が腰を下ろす。梓くんはそれに対してニコニコと「来てくれてありがとう」だなんて言っている。


「ど、どういうこと……? なんで、東間が?」


 声を潜め、梓くんに尋ねる。梓くんは「俺の友達」とただ笑った。その笑顔が怖い。


「誰が友達だよ。テメェと友達になった覚えはねーよ、俺は」


 くそが、と東間は吐き捨てながら、注文用のタッチパネルを操作する。東間も回転寿司食べるんだ、なんて、未だ状況について来れていない私は考えてみるけれど、余計に思考が絡まりそうだった。


「そう言いながらも、ちゃんと俺の言いつけ守って、普通の格好してきてくれてるじゃん。環くん」

「気安く名前で呼ぶんじゃねーよ、キモイな」


 梓くんに言われて東間の身なりを見て見れば、たしかにいつもと随分雰囲気が違う。顔にばかり注目してしまっていたけれど、髪型はいつもの前髪をワックスで掻きあげ固めたものではなく下ろしているし、いかにもらしいスーツも着ていない。ただ、シャツは花柄と随分派手ではあるけれど、そういうファッションの人で通せるだろう。


 ポン、と音が鳴って、お皿に乗ったお寿司が流れてくる。綺麗な赤色をしたマグロと、オニオンが乗ったサーモン。東間はそれを取って、【受け取り完了】のボタンを押した。


「あ、あの……本当に二人は友達……なの?」

「んなわけねーだろうが」


 東間に睨まれる。


「で……ですよね」


 どういうつもりなのだろうか、と梓くんの表情を窺えば、梓くんはタブレットでメニューを眺めながら「どれにしようかなぁ」なんて呑気そうだ。祈里は何を食べる? と訊かれ、戸惑いながらも自分の分を注文する。


 それが自分たちの席に流れてくるまでの間に梓くんは「さて、」と言って、ようやく本題に入ってくれるようだった。


「こちら、俺の恋人の羽柴祈里さん。それで、こっちが俺の友人の東間環」

「ええ?」


 戸惑う私と盛大に舌打ちをする東間。ニコニコとする梓くんが向かい合ってお寿司を食べようとしているなんて、なんておかしな空間なんだろう。


「まぁ、単刀直入に言うと。祈里の父親がどこから借金してるのか調べてほしい」

「……はぁ?」


 想像していたよりも綺麗な箸使いで東間はサーモンを口に運ぼうとしているところだった。それを一度皿に戻して、彼は梓くんの言葉に顔を歪ませる。


「なんで俺がそんなことしなきゃいけねーんだよ」

「環くんのお父さんってさぁ」


 少しだけ梓くんが声を張る。そう言われた途端に東間はギョッとした表情になって、身を乗り出すようにして梓くんの口を塞いだ。


「お前、何が目的なんだよ……」


 そのこめかみには青筋が立っている。けれどそれ以上、梓くんに強くは言えないようだった。


「だから、祈里の父親がどこから借金してるのか調べてほしい。あんたなら、それくらい簡単にできるだろ?」


 東間の手を引きはがしながら梓くんは言う。


「それこそ、そんなのお前だって簡単にできそうなもんだが」

「まぁ、できなくもないけど。俺があんたに頼む理由もちょっとは考えてほしいな」


 あぁん? と東間は眉間に皺を寄せる。


「東間組だからとかそういうことじゃなくて、一人の人間としてあんたに頼んでるんだよ、俺は。あんたも祈里のこと、好きなんだろ?」


 梓くんからの予想外の言葉に頬張っていたお寿司が喉に詰まりそうになった。胸をドンドンと叩いてそれを流し込む。そんなわけないでしょ、と東間の顔を見れば、耳まで赤くして私から目を逸らした。嘘でしょ、と思わずつぶやいてしまう。


「俺の目的は、とにかく祈里に危害が加えられることなく、父親と縁を切らせることだ」


 梓くんはそう言うと、手を両膝の上に置いて、「頼む」と東間に頭を下げた。


「あんたの力を貸して欲しい」


東間はしばらく顔を背けたままだったが、「あー、もう」とぐしゃぐしゃを手で髪をかき乱すと「分かったよ」と吐き捨てるように言った。


「というか……お父さん、東間さんのところで借金してるんじゃないんですね」

「あ? ああ、今回は違うみたいだな。でもどうせ、ろくでもねーところで借りてんだろう。親父もろくでもねーやつだけどな。またお前、金せびられてんのか」


 借金取りが来るのも時間の問題だな、と東間はようやくサーモンを口に運んだ。


「それに、それだけじゃないだろ」


 咀嚼数少なく、ごくんと飲み込んだ東間が言う。言われた意味が分からなくて、首を傾げれば、「どんだけ鈍感なんだよ」と顔をしかめられた。


「祈里、お前、週刊誌の記者に嗅ぎまわられてんぞ。家族のこと」

「え!?」

「今日は俺んとこの事務所の前に、でけーカメラ持った奴が構えてた」


 その言葉で、先日病院から出るときに聞こえたシャッター音の正体に気付く。あれは、週刊誌の記者だったのか。


「私の家族のこと書いていいって言っちゃったから、あのとき……」


 真希乃ちゃんは救うためには、それ相応の価値があるものを提示しなければいけなかった。そのとき思いついたことがそれくらいしかなかったとはいえ、軽率だったかもしれない。


 あのとき、梓くんが助けに来ることがなく、仮にそれが今すでに世間に出ていたとしたら、そこに後悔はないのだけれど……。


 それらが丸く収まっている今、その記事が出ることは望んでいない。


「そこからだろうね」と梓くんが頷く。


「祈里に家族について隠したいことがあるって思われたから」

「ヤクザ絡みは、芸能界じゃ生きていけないだろ」


 梓くんに続いて、憐れむように東間が言った。


「だからこそ、俺は組としてじゃなくて、東間に頼んでるんだよ。俺の友達として」


 まぁそれもギリギリだけど、と梓くんは自嘲気味に笑った。


「だから俺に普通の格好してこいって言ったわけか」

「回転寿司なら密会感もないだろ? これだけ賑わっていたら、俺らの話なんて何も聞こえないだろうし」


 梓くんと東間は顔を見合わせる。くくく、と二人肩を揺らして笑う姿を見て、実はこの二人、よく似ているのではないかと思ってしまった。


「そういえば、東間さんって、何歳なんですか?」


 できるだけ普通の会話も混ぜたほうが良いだろうと、当たり障りのない会話を私から振ってみる。東間はタブレットをスワイプし、お寿司を選んでいる途中だった。


「俺? 今年二十七だけど」


 それには梓くんも驚いたのだろう。えっ!? と隣から、普段聞かないような梓くんの声が飛び出した。


「ど、同級生……!」


 思わず私も体を仰け反らせてしまう。東間は眉間に思い切り皺を寄せて、「どういう意味だよ!」と威圧的な声で言った。


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