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第七十三話 誕生日

 大晦日は日下部くんも私も仕事が休みで、一日家でゆったりと過ごしていた。

 夕飯は軽く済ませて、年末の音楽番組やバラエティー番組を見ながら、今度は年越しそばの準備をする。


「日下部くんは、エビ天はどうする?」

「のせたい」

「わかった」


 お出汁とそばの香りに食欲をそそられる。いつもは食卓で食事をとるけれど、今日はテレビの前のテーブルのほうへ完成した年越しそばを持って行った。


「いただきます」


 日下部くんと一緒に手を合わせる。今までは家でひとり寂しく、インスタントのそばを食べていたけれど、今年は随分と豪華になった年越しそばにも感動した。それ以上に、好きな人と一緒に一年最後の日を過ごせるということに、胸がいっぱいになるほどの喜びを感じている。


 二十三時半ごろに年越しそばも食べ終わって、食器を片付ける。温かいお茶を日下部くんがその間に淹れてくれていた。


 ソファーに横並びで座って、お茶を飲みながら年明けを待つ。

 三十分が過ぎるのは早く、テレビの中では年明けまでのカウントダウンが始まった。


『10』

『9』

『8』

『7』

『6』

『5!』

『4!』

『3!』

『2!』

『1!』

『0!!』


 出演しているタレントたちの賑やかな声とともにハッピーニューイヤーと画面いっぱいに華やかな文字が現れる。


 明けましておめでとうございます! というテレビの中の声につられるように、私と日下部くんも顔を見合わせた。


「明けましておめでとう」

「明けましておめでとう。今年もよろしくね、日下部くん」

「こちらこそ。あと、それから……」


 そう言って、日下部くんが席を立つ。どこに行くのだろうかと私もその後をついていく。日下部くんは自分の仕事部屋へと行くと、小さな紙袋を持って出てきた。

 そして、それを私へと差し出す。


「誕生日おめでとう」

「わっ、ありがとう! 用意してくれてたんだ」

「うん。祈里、今日仕事だって言ってたし、俺が一番に祝いたかったから」

「ありがとう」


 開けてもいい? と尋ねれば、日下部くんは「もちろん」と頷いてくれた。紙袋を開ければ、中に小さな箱が入っている。箱のリボンを解いて、そっと丁寧に開ければ、中にはゴールドのピンキーリングが入っていた。


「わぁ……綺麗」


 華奢で繊細なデザイン。シンプルだけれど、とても綺麗で可愛らしい。指につけてみれば、光を反射させてキラキラと光った。


「気に入ってくれた?」


 日下部くんに腰を引き寄せられて、抱き締められる。


「うん、すごく。これから毎日つける」


 よかった、と日下部くんはホッとしたように顔をほころばせると、私の頬にそっとキスを落とした。


「好きだよ、祈里」

「うん、私も」


 唇が重なる。キスが深いものになるにつれて体の力が抜けてしまう私を、日下部くんが優しく支えてくれる。


「祈里、なんて顔してんの」


 息を切らす私を見て日下部くんが笑う。私をこんな風にしたのは日下部くんだというのに、そのイタズラっぽい笑顔さえもかっこいいなんて、なんてずるい人なんだろう。


「梓くん、私、」


 ンンッと梓くんが難しい顔をする。それから、私の指の間に梓くんは自分の指を滑り込ませると、まるで舞踏会でダンスでもするかのように私の手と強く自分のほうへと引き寄せた。


「いっぱい俺の名前、呼んでくれる?」


 私が頷くよりも早く、梓くんに唇を塞がれる。ただ身を委ねるしかない私の視界の端で、ピンキーリングがキラリと光った。その光さえも、とても愛しかった。




 昼過ぎからあった仕事は夕方に終わり、その足でお母さんの病院へ向かった。お母さんの担当医や看護師さんたちに新年の挨拶をして、今日も夢心地なお母さんにも挨拶をして病院を後にする。


 今日も病室には、私が持ってきたものではない綺麗な花が飾られていた。あの花を飾ってくれている人は、一体どういう人なのだろう。いつか出会えたら、お礼を言いたい。きっとお母さんの心の支えになっていると思うから。


 病院のエントランスを抜けるころには、外はすっかりと夜の帳が下りていた。日下部くんに「今から帰るよ」とメッセージを送る。それからスマートフォンをショルダーバックの中に仕舞おうとしたときだ。


 カメラのシャッター音のような音が、微かに耳に届いた。


(え、撮られた……?)


 周囲を見回す。しかしどこにもそれらしい、カメラやスマートフォンを向けている人はいない。

風の音か何かがそう聞こえただけだろうか。


 少しの気味の悪さに、大判のマフラーを顔を隠すように引き上げた。早く家に帰ろうと、その足はいつもよりも速足になっていた。


 日下部くんのマンション前まで帰ってくると、エントランス前に梓くんがいて、その顔を見てようやく心が落ち着いてくる。


「梓くん、ただいま」

「おかえり。なに、走って帰ってきたの?」

「うん、早く梓くんに会いたかったから」


 息を切らす私を見て梓くんは笑う。


「寒いから、早く入ろう」


 そう言って、梓くんの腕を取ってマンションの中へと入る。気付けばこのマンションも、私にとって安住の地なっていた。お父さんがまた来るんじゃないかという心配もあるけれど、それ以上に梓くんと一緒にいられるということが私の心を落ち着かせ、奮い立たせてくれている気がする。



 部屋に入り、梓くんと一緒に夕飯を食べる。そのあとに、梓くんが用意してくれていたバースデーケーキが食卓に登場して、ケーキの上に差し込まれた【2】と【6】の形をした可愛らしいキャンドルに火が灯された。


 来年も梓くんと一緒にいられますようにと願いながら、その温かで柔らかい火をそっと吹き消した。


「改めて、おめでとう」


 そう言って、梓くんは私の前髪をそっとかき分けて、額にキスをしてくれる。それがくすぐったくて、思わず肩を竦めてしまった。こんなに幸せな誕生日は生まれて初めてかもしれない。


「ありがとう」

「ケーキ、もう食べる?」

「うん、食べたいな」


 チョコレートクリームでデコレーションされて、雪のような粉砂糖が振りかけられた苺が乗ったケーキはとても可愛い。カットしてくると言って、梓くんはそれを一度キッチンのほうへ持って行った。


 その間に私も飲み物を準備しようと席を立つ。


「あ、そういえば祈里って五日は仕事ある?」

「えっと、五日は一日オフだよ」

「それなら、昼、食べに出掛けない? 俺の友達も一緒に。祈里のこと紹介したくてさ」

「うん、もちろん。全然いいよ」


 梓くんのお友達。そういえば、桜井さん以外に知らないな。どんな人なのだろう、と想像してみる。


「良い奴だよ。男気があって」

「そうなんだ。楽しみにしてる」

「うん。寿司でも食べに行こうかって、もう話してるんだけど大丈夫?」

「うん、お任せします!」


 じゃあ、そう連絡しとく。と、梓くんはケーキにナイフを入れながら言った。


 お寿司を食べるなんて久しぶりで、何を食べようかと今から思考が浮かれている。


 梓くんの誕生日からケーキを食べたり、年越しそばを食べたり、今日もケーキで五日はお寿司。美味しいもの尽くしの日々に、少しだけ自分のスタイルが気になって来た。


 太ってはいなさそうだけれど、運動もしたほうが良さそう。真希乃ちゃんに一緒にジムに行かないかって言ってみようかな。ひとりだと続かなさそうだし。


 このときの私は、こんな風に呑気なことばかりを考えていた。


 楽しく、穏やかな、誕生日の夜が更けていく。五日の私が、驚愕することも知らぬまま。

 梓くんが私のことを紹介したいと言っていたお友達が、まさかあの人だったなんて。そんなこと、全く考えも予想もしていなかった。



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