顔を上げて私を見た真希乃ちゃんは、大きな瞳をさらに大きく、丸くさせた。
その瞳が潤んだと思うと、一粒、涙が零れ落ちた。
「また、友達になってくれるの……?」
その唇は微かに震えている。
「うん。友達になろう。私、真希乃ちゃんと仲良くなりたかった」
真希乃ちゃんは「うっ」と小さく嗚咽をこぼすと、服の袖で涙を拭った。それから、私の手を強く握り返してくれる。
「私も。私も、祈里ちゃんとずっと友達になりたかった。ありがとう」
ありがとう、と真希乃ちゃんは何度も零すように言う。私はそんな真希乃ちゃんの体を抱きしめた。そして、宥めるように彼女の背中を摩る。
「こちらこそ。また私に会いたいって言ってくれて、ありがとう」
彼女の泣いて乱れた呼吸が落ち着くまで、私たちはしばらく抱きしめ合った。真希乃ちゃんの体はとても華奢で、こんなにもか弱い女の子の肩や背中にどれほどの重荷が乗っていたのだろうかと思うと、胸が苦しくなった。
真希乃ちゃんも落ち着き、私たちは彼女が用意してくれたケーキを食べた。真希乃ちゃんが淹れてくれた紅茶は少し冷めてしまっていた。「淹れ直そうか」と提案してくれたけれど、「大丈夫」と答える。それよりもゆっくりと話がしたかったから。
「真希乃ちゃん、日下部くんのこと、好き?」
端っこを切るようにショートケーキにフォークを通す。
「うん、好きだよ。でも、さっきも言ったけど、付き合えるなんて思ってない。それこそ、最初に振られたときから。憧れっていうのかな。梓くんの生き方に憧れてた。いつだって真っ直ぐで」
真希乃ちゃんは続けながら、彼女も苺にフォークを差した。それから、ショートケーキのクリームを苺にたっぷりとつける。
「恋にも仕事にも真っ直ぐで、誠実で、いいなって思ったの。私もそういう人になりたかった。でも、私は、いっぱい間違えちゃった」
「それは……どうすることが正解か分からなかったんでしょう?」
「うん、そう思ってた。ずっと。でも、ちゃんと考えれば違ったと思うし、梓くんや祈里ちゃんに迷惑をかけちゃうこともなかったと思う。私が桐生院さんを恐れないでいれば、梓くんのことももっと早く救えたのかもしれない」
そこは私が甘えていただけだよ、と真希乃ちゃんは自嘲気味に笑って、苺を頬張った。それを否定するのは違う気がして、「そっか」と相槌を打つ。
「そういえば、あの日、日下部くんの家で、真希乃ちゃんが言っていた約束って? 日下部くんは分からないって言ってたんだけど」
「え? あー、あれは……昔、梓くんが言ってくれたの。『必ず、城川のこと助けにいくから』って。それを伝えたかったんだけど、ちょっと難しすぎたかなぁ」
梓くんなら分かると思ったんだけど、と真希乃ちゃんは言う。
「分かるって?」
「だって、何年も連絡取ってなかった……それどころか、トラブルになっていた事務所の女が急に尋ねて来て、婚約者ですとか言うんだよ? おかしすぎるでしょう?」
「え?」
「敵を欺くにはまずは味方からって言うでしょ? だから、梓くんには騙されてもらうつもりではいたけど、私がしようとしていることに少しは気付いて欲しかったなって。祈里ちゃんは完全に巻き込むだけになっちゃったけど」
本当にごめん、と真希乃ちゃんはもう一度頭を下げる。
「あと……それから、梓くんにキスしちゃったことも、ごめんなさい」
真希乃ちゃんが眉を下げて私を見る。色々なことが衝撃的すぎて忘れていたけれど、そういえばこの話の始まりはそこからだったと思い出す。ソファーに座る日下部くんと真希乃ちゃんのキスシーンを思い出してしまって、それを振り払うようにブンブンと頭を左右に振った。
「祈里ちゃんのことも騙さなきゃいけないって思ったら、こう……やりすぎちゃった」
「大丈夫! 全然、気にしてないから!」
「え、いやでも、祈里ちゃん、そんなにフォーク刺したら苺がグチャグチャに……」
あわあわとする真希乃ちゃんの言葉に手元を見れば、無残な姿になった苺があって、「あ……」と小さく声が漏れる。
「本当に、ごめん……」
と、真希乃ちゃんはもう一度、神妙な面持ちで頭を下げた。
真希乃ちゃんとはそれから一時間ほど話をして、そのあと久留生さんが私を日下部くんのマンションに送ってくれるために迎えに来てくれた。
「これ、梓くんに。梓くんにもまた直接謝りに行くけど、ごめんなさいって伝えておいてくれると嬉しい」
帰り際、マンションの下まで送ってくれた真希乃ちゃんは小さな包みに入ったケーキを私に持たせた。
「うん、伝えておくね」
そう返せば、真希乃ちゃんは強張らせていた表情をふわりと柔らげた。それから、真希乃ちゃんは何かを思い出したような表情をすると、私に耳を寄せるように言う。言われるままに、真希乃ちゃんの口元に耳を近付けた。
「梓くんとお幸せにね」
驚いて彼女の顔を見れば、ニヤニヤとして満足そうだ。それから、
「栄斗、ちゃんと梓くんの元へ安全に送り届けてね。よろしく」
と、真希乃ちゃんは久留生さんの背中をバシバシと叩く。
「おう、任せろ」
気恥ずかしさから照れてしまって、顔が熱い。早く早く、と車に早く乗るように真希乃ちゃんに急かされ、久留生さんの車に乗り込む。そんな真希乃ちゃんに見送られ、私たちは日下部くんのマンションへと向かった。
お幸せに、という言葉を紡いだ真希乃ちゃんの顔は、とても満ち足りている様子だった。日下部くんのことは、本当に吹っ切れているように私には見えた。
彼女がどこか幸せそうで良かった。同じ人を好きになって、結ばれたのが私であることに少し複雑な気持ちはある。けれど、真希乃ちゃんの笑顔を見ることができて良かった。可愛らしいその笑顔を思い出しながら、私は窓の外へと視線を向けた。明るい夜の街並みが流れていく。
真希乃ちゃんのマンションから十五分ほどで日下部くんのマンションへと到着した。久留生さんにお礼を言い、数日ぶりに私はこのマンションに足を踏み入れる。
オートロックのエントランスをカードキーで抜けて、エレベーターに乗り、日下部くんの部屋の前に立つ。
なんだか緊張してしまう。
強張る手でドアノブを握れば、私が扉を引くのと同時に中側からも扉を押された。
「う、わっ」
勢いで体がよろける。その体を日下部くんが引き寄せ支えてくれて、「ごめん」と慌てた声が飛んできた。
「待ちきれなくて、外で物音がしたから、つい」
「あはは、大丈夫だよ」
日下部くんの必死な表情が愛らしくて、思わず笑ってしまう。日下部くんも照れたように笑ってから、「早く入って」と私の手を引いた。
玄関扉が閉まる。それと同時に日下部くんに扉に押さえつけられるように、唇を奪われる。
「ん……、」
深い口づけに、無意識に声が漏れる。それが恥ずかしくて、日下部くんの胸をトントンと叩く。
「おかえり、待ってた」
唇が離れる。それでも吐息がかかりそうなほど距離の近い日下部くんに、心臓がもたない。いつもは長い前髪のせいでよく見えない切れ長の瞳も今はよく見える。そこには熱が灯っているようで、その熱い視線が私に向けられていると思うと、そわそわとしてしまう。
「た、ただいま。ちょっと……近い、から」
「……た……」
「うん?」
日下部くんの声が小さく、聞き取れなくて首を傾げて聞き返す。
「また、帰って来なかったらどうしようって、不安だったから……」
よかった、と日下部くんは呟くように吐き出すと、私の首元に顔を埋める。ギュッと私を抱きしめてくれる日下部くんの気持ちに応えるように……彼を安心させてあげたくて、抱き締め返し、その頭に自分の頬をすり寄せる。
「ただいま。ずっと傍にいるよ」
顔を上げた日下部くんの頬を撫でる。今度は私から、彼の唇に自分の唇を重ねた。