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第六十六話 もう一回、友達になろう

 撮影スタジオに到着すると、先に来ていた荒木さんが駆け寄ってきた。


「荒木さん、心配かけてごめんなさい」


 そんな彼に頭を深く下げる。荒木さんは「本当だよ」と言いながらも優しく笑ってくれた。


「日下部さんが祈里ちゃんは無事だって連絡してくれたから、安心はしたけど。でも、もうあんなことしたら絶対にダメだよ」

「はい、ごめんなさい」

「うん。じゃあ、この話はこれでおしまい」


 ところで、と荒木さんは続けて口を開くと、私のことを不思議そうな瞳で見る。私もその視線の意味が分からず、小首を傾げた。


「どうして、昨日と同じ服装なの?」


 荒木さんからの質問にドキッと心臓が跳ねる。どうして、と言われ、素直に答えるならば、日下部くんとホテルで一夜を共に過ごしたから。着替えもなく、昨日と同じ服を着るという選択肢しかなかったわけで。

 いつだったか、荒木さんには内緒で日下部くんとデートの待ち合わせをしていたときのような状況に、そのときと同じように「あはは」と笑って返すことしかできない。

 荒木さんは怪訝そうに一瞬眉根を寄せると、この意味を理解できたようで、顔をボンッと火か点きそうなくらい真っ赤にさせた。


「あ、えっ、ああー! そういう……。いや、いいんだよ。祈里ちゃんももう立派な大人なわけだし。好きでもない奴とじゃなくて、日下部さんと結ばれたなら――」

「ちょ、荒木さん! シーッ!」


 慌てて荒木さんの口を塞いで、人差し指を自分の唇の前に立てる。どこで誰が何を聞いているか分からない。荒木さんの言っていることは何も間違っていないからこそ困るのだ。


「ご、ごめん」


 謝ってくれた荒木さんは自分自身を落ち着かせるように一度深呼吸する。それから、私にそっとヒソヒソ声で話しかけてきた。


「日下部さんと付き合うことになったの?」

「うん……昨日」

「そう。それは良かった。心配してたんだ、俺」

「そのことも心配かけてごめんね」

「いいよ、解決したみたいだし」


 ふふ、と荒木さんは嬉しそうにその頬を緩めてくれて心が温かくなる。お幸せに、と言ってもらえることが、とても幸せだった。


「ただ、仕事はちょーっといっぱい詰めちゃったから」

「あ……そっか」


 日下部くんを忘れるために仕事を詰めてくれって言ったんだった、と苦笑いをする。でも、お父さんのことでお金が必要になるかもしれないのは変わりはなく、仕事がいっぱいある分には嬉しい。お父さんのことも、ちゃんと日下部くんに話をして……それから、荒木さんにも話そう。きっと、荒木さんにも迷惑をかけてしまうことになるから。


「じゃあ、今日も仕事頑張ろうか」

「はい! よろしくお願いします!」


 これまで心配をかけてしまった分、まずは仕事で荒木さんに恩返しをしよう。そう思ったら、自然と返事に力が入った。



 雑誌の撮影とインタビューを終え、夕方撮影スタジオを出る。今日はこれで仕事が終わりで、明日から鬼のようなスケジュールが待っているらしい。


「荒木さん、城川さんはどう?」


 荒木さんの車に乗り込み、ずっと気になっていた城川さんの様子を尋ねる。荒木さんはシートベルトを締めながら答えてくれた。


「今朝、久留生さんが迎えに来てくれて、城川さんのお家まで送ってくれたよ。社長にはしばらく会わせないって言ってた。それから、祈里ちゃんにもお礼を伝えてくれって」

「そう」

「城川さんは元気だから安心して。彼女の今後のことも、一応俺なりに考えてるから」


 まだそれは祈里ちゃんにも話せないけど、と荒木さんはバックミラー越しに私を見た。

「うん。荒木さんのこと信じてるから、それは心配してないよ」

「そっか、それならよかった」


 荒木さんが車を発進させる。日下部くんへのマンションまでお願いすると、荒木さんはくすくすと笑った。日常が戻って来た、と嬉しそうで、少し恥ずかしい。

 窓を流れる景色を眺める。膝の上にのせていたバッグの中で、スマートフォンが着信を告げて震えたのが分かった。

 開いてみればメッセージを受信していた。その相手は城川さんで、『今、どこにいる?』という内容だった。


「荒木さん、ごめん。ちょっと場所、変更してもらってもいい?」

「え? うん、いいけど」


 荒木さんに目的地を告げて、ルートを変更してもらう。日下部くんにも、少しだけ帰りが遅くなることを連絡した。

 車で十分ほど走った場所。荒木さんはゆっくりと車を停めると、「ここ?」と一棟のマンションを見上げた。


「うん、ここで合ってる。ありがとう、送ってくれて」

「ここ、どこなの? 誰の家?」

「城川さんのお家。会いたいって連絡があったの」

「え、そうだったんだ」


 荒木さんは一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに「分かった」と頷いてくれる。


「帰りはどうする? 待ってようか」

「ううん、大丈夫。久留生さんが車で日下部くんの家まで送ってくれるみたい」

「そう。じゃあ、城川さんと久留生さんによろしく伝えて」

「うん。また明日」


 荒木さんに手を振って、後部座席の扉を閉める。走り出した車を見送り、私は城川さんのマンションのエントランスに足を踏み入れた。

 オートロック式のマンション。エントランスにあるインターホンで、城川さんに教えてもらった部屋番号を入力し呼び出しをかける。三コールもしない内に城川さんの応答があり、名前を告げて開けてもらった。

 エレベーターに乗り込み、城川さんの部屋がある八階へと辿り着くと、城川さんが玄関から顔を出して私のことを待っていてくれた。


「祈里ちゃん」

「城川さん、こんばんは」

「こんばんは。寒かったでしょ。入って」

「ありがとう。お邪魔します」


 城川さんに促されて部屋の中へと入る。

 玄関のシューズクロークの上には、可愛らしいうさぎとくまのぬいぐるみが置かれていた。

 通されたダイニングとリビングもピンクとブラウン、ホワイトで整えられていて、ガーリーで柔らかな雰囲気がある。


「こういう雰囲気、好きなの。意外だった?」

「ううん、全然。私も好きだよ、こういうインテリア」

「本当? やっぱり私たち似てるかも」


 ふふふ、と城川さんが穏やかに笑う。座って、と案内されて、リビングのホワイトのファーマットの上に腰を下ろした。


「ケーキとか、お腹に入る?」


 キッチンのほうで何やら準備をしている城川さんからの問いかけに振り返る。


「うん、まだ夕飯食べてないから、お腹ペコペコ」

「そうなの? あ、もしかして、梓くんと食べる予定だった? 夕飯」

「あ、うん。そう……あ、ごめん……えっと、」


 言い淀む私に、キッチンから顔を覗かせた城川さんはキョトンとした顔をする。けれど、すぐに「ああ!」と声を上げると、肩を揺らして笑った。


「全然いいの。気にしないで、祈里ちゃん。そもそも私、自分が梓くんと結ばれるなんて最初から思っていないし」


 ケーキと紅茶を載せたトレーを持って、城川さんは私のほうまで来ると、それをテーブルに置いて、私の隣に座った。


「まずはそれを、ちゃんと謝りたかった」


 城川さんは私のほうを向くと、深く頭を下げる。


「祈里ちゃん。あなたを傷つけて、本当にごめんなさい。私の勝手な計画に、祈里ちゃんと梓くんを巻き込んで、いっぱい迷惑をかけてしまった。許してくれ、なんて思ってないけれど、謝らせて。本当に、ごめんなさい」


 頭を下げ、床についた城川さんの手が震えていることに気付く。その手に、私はそっと自分の手を重ねた。城川さんの手は、外から来た私よりも冷たかった。それほど、私と話すことに緊張していたのだろう。

 そのまま、城川さんの手を優しく握る。


「いいよ」


 彼女に会ったら、私はこう言おうって決めていた。


。私たち、もう一回、お友達、やり直そう?」


 そう伝えようって。


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