「使えるものは何でも使いなさい」
ルーチェプロモーション所属のタレントになったとき、桐生院さんに言われた言葉。
桐生院さんの言いつけ通り、私と栄斗は、お金も後ろにある権力も頭も体も全部使って、仕事を得てきた。桐生院さんはそんな私たちを見て、とても満足そうだった。
お姉ちゃんやお兄ちゃん――同じ施設で育ち、私たちと同じように桐生院さんに誘われてルーチェに入った先輩たちも、同じような形で仕事を得て、徐々にメディアへの露出を増やしているようだった。
世間では、「またルーチェのゴリ押し」だとか「プロデューサーのお気に入り」だなんて言葉も上がっているようだったけれど、それ以上にファンになってくれる人も多くて、メディアへの露出も日が経つごとにどんどんと増えていく。だから何も間違いなんてないって思っていた。
好きでもない人と二人きりで食事をすることも、触れ合うことも、体を重ねることも、この世界で生きていくためには必要なことだと、直接的な表現ではなくても自然とそうなるように教えられてきた。
コインロッカーベイビーとして生まれたときから、居場所なんてどこにもないと思っていた私にとって、桐生院さんが与えてくれる世界が全てだった。
でも、梓くんと出会って、今まで生きてきた世界に疑いを持つようになった。
やれることはなんだってする。それは梓くんも私も同じだったと思う。けれど、梓くんは自分で生きる場所を見つけられる人。桐生院さんと彼が出会ったのは、その通過点の一部なだけで、ここを生きる場所には絶対しない。彼がそんな人だと分かったのは、彼に、「ずっと好きな人がいる」と言われたときだ。
「ずっと好きな人がいるんだ。中学のとき、付き合ってた人。今はどこで生きているのかも分からないけれど、風の噂で、女優になったって聞いたんだ。彼女を見つけられたら、次は絶対にその手を離さないって決めてる」
そう真っ直ぐ、力強く、しかし優しい眼差しで言った、梓くんのことを私は忘れない。梓くんに想ってもらえる、顔も知らないその人のことが羨ましいって思ったけれど、その人がいるから梓くんは、強くて美しい人なんだと理解できた。
だから、心の底から、梓くんとその人には幸せになってもらいたいと思った。
「でも、城川が苦しいときはいつでも言って。必ず、城川のこと助けにいくから。良い友達だと思ってるなんて、虫が良すぎるって思うかもしれないけど。俺は、友達である城川には幸せになってもらいたい」
梓くんが、私のことをどれだけ知っていたか知らない。でも、その言葉がすごく嬉しかった。虫が良すぎるなんてとんでもない。それだけで、私はどれだけでも頑張れる気がした。それと同時に、この世界から早く抜け出したいと心から思った。新しい仕事を手に入れるたびに、自分がどんどんと汚れていく気がする。隠さなければいけない足枷が増えていって、いつも体が重かった。
あなたと仲良くなればなるほど、あなたと遠くなる気がした。恋人にはなれなくても、親友として隣にいられるよう、綺麗な私でいたかった。
そんなときに『Tutu』のスタートアップモデルのオーディションが開催されるという話がきた。化粧品のモデルになることにはずっと憧れがあった。だからこそ、このオーディションは、自分の素直な実力で挑んだ。結果は、不合格だった。でもそれで良かった。悔しいという気持ちを初めて知った。夜通し泣いてしまったけれど、心は不思議なくらいスッキリとしていた。私も生まれ変わることができそうだと思っていた。
でも、それは上手くいかなかった。
オーディションがあった数日後の夜。社長に呼ばれて向かった、ホテルの一室。そこにいたのは、『Tutu』のプロデューサーだった。シーツの感触、触れられる肌の温度。その全てが気持ち悪かった。
朝焼けが眩しい朝の町で、泣きながら桐生院さんに電話をかけた。どうしてこんなことをするの、と訴える私に、彼は言っていた。「真希乃が望んでいた仕事を手に入れたよ」と。「だから、日下部くんを必ず捕まえなさい」と。
ああ、私は逃げられないんだ、と思った。桐生院さんを許せなかった。許せないと同時に、桐生院さんがいないと生きていけない世界にいるのだと、現実を突きつけられた気がした。
そのすぐ後のことだった。桐生院さんから「しばらく海外に行ったらどうか」と言われたのは。ご飯が食べられなくなって、笑顔がうまく作れなくなったことが原因だったと、留学してしばらく経ったころに栄斗が教えてくれた。「このままでは真希乃が潰れる」と栄斗が桐生院さんに話してくれたおかげだった。
理由はそれだけではなかったみたいだった。事務所の人の話では、梓くんが桐生院さんにかなり強い反発を起こしたことも原因の一つだと。梓くんのこれからの行動で、ルーチェのこれまでが世間に露呈することを恐れた上層部が桐生院さんに掛け合い、しばらく大人しくするという流れがあったからだったようだ。臭いものには蓋をする。私はルーチェにとって、臭いものだったのだろう。
それから四年が経った。桐生院さんから急な帰国命令が出た。
その理由が分からずにいたけれど、空港で彼女のポスターを見てすぐに気付いた。
――「羽柴祈里っていうんだけど。もし、どこかで会ったら仲良くしてやって。そういえば、ちょっと城川と似てるかも」
あの日、好きな人がいると言った梓くんが、その流れで教えてくれた彼女の名前。留学前に会うことはできなかったけれど、ずっと覚えていた。
『Tutu』のプロモーションモデルを務める彼女はとても綺麗で、華やかに輝くこんな子に似ていると梓くんが言ってくれたことが嬉しかった。
そして、確信した。梓くんは、祈里ちゃんに再会することができたのだと。この仕事には、梓くんが大きく絡んでいて、それが桐生院さんの逆鱗に触れたのだと。
きっと、このままでは梓くんも桐生院さんからは逃げられない。最悪、梓くんが大切にしている祈里ちゃんも一緒に潰されてしまう。
それならば、私は、桐生院さんと共に沈むその日まで、梓くんを守る。私にしかできないやり方で、必ず守ってみせる。
梓くんが私に「必ず、城川のこと助けにいく」と言ってくれたように、私もあなたを助けに行く。
私の初恋の人。あなたには、必ず幸せになってもらいたい。せっかく、大好きな人と再会できたのだから、もう祈里ちゃんの手を絶対に離さないで。
私が演じる悪役に、あなたなら決して騙されることはないって信じている。
「二日後に、日下部梓とバーで会う約束をしています。そこを撮影して、それから次に掲載する記事はこれでお願いします」
「まさかタレント自身から熱愛のタレコミにくるなんて」
「……」
「まぁ、いいですよ。やりますよ。この前の、マンションに入っていく記事も評判良かったんで」
夜の繁華街から少し逸れた路地裏。薄暗くても週刊誌の記者がニヤニヤと下品な笑みを浮かべているのがよく分かった。
「これは報酬の先払い分」
「城川さん。お金も良いんですけどね、結構こっちも上に無理いってやってるんですよ」
頬を撫でられる。ガサガサとして指に鳥肌が立つのを必死に悟られないように、口角を上げる。こんなとき、自分が女優で良かったなと思う。これがドラマのワンシーンだと思えば、苦痛も忘れられる。
「何を望んでます? 物によっては、こちらももっとお願いしたいことがあるんですけど。きっと、そちらにとっても良い話だと思いますよ。私のスキャンダルなんかより、ずっと」
相手のコートの襟元を掴んでグッと顔を引き寄せる。息がかかりそうなくらいの距離で、相手の喉元がごくんと唾を飲み込むのが見えた。