ルイちゃんに言われたとおり、荒木さんがテレビをつけてくれる。朝の情報バラエティ番組が、ちょうどCM明けで次の特ダネを流すところだった。
「先日、活動再開を発表したばかりの女優、城川真希乃さんの熱愛をキャッチしました」
若い女性アナウンサーがそう溌剌とした声で報道している。
「今日発売の週刊誌によりますと、お相手は若手投資家のKさん。真希乃さんは主演を務める映画がクランクアップすると、その足でお相手のマンションへ――」
そこに映し出されている画像にはモザイクがかかっているけれど、見覚えがある。日下部くんのマンションだ。そして、あの日、私たちが打ち上げをした日の映像であると分かる。たった数日前のことが、もうこんな風に熱愛スクープとして報道されていることに驚いた。
「お相手のKさんとは、活動休止される前からお付き合いがあったそうですよ」
女性アナウンサーからの情報にスタジオでは「すごーい」と声が上がっている。
「このKさん、芸能界との繋がりも強い方らしく、背が高くてイケメンだなんて噂もありますね」
コメンテーターの中に芸能記者の方がいて、少し興奮気味なその話し口調から、このことを特大スクープだと思っていることが手に取るように分かった。
「城川真希乃さんの所属事務所は、『プライベートなことは本人に任せております。また、非常に親しくさせていただいていると聞いております』とコメントされています。ということは、これは熱愛を認めた……ということで、よろしいのでしょうか?」
女性アナウンサーが芸能記者の方に尋ねる。
「そうですね、その認識でほぼ間違いないと思いますよ」
芸能記者はそう大きく、自信がありそうに頷いた。
「ねぇ、これって日下部っちのことだよね? どういうこと? まきぴょんの婚約者って、日下部っちのことだったの?」
電話口からはルイちゃんの困惑気味に上擦った声が響いてくる。
「うん、そうみたい」
「そうみたいって……意味が分からないんだけど……」
「日下部くんと城川さんの間で、色々と誤解があったみたいなの。別に日下部くんが私と浮気してたとか、そういうことじゃないから、日下部くんのことを軽蔑したりとかしないでね。それに、城川さんが横取りしたわけでもないから」
「……羽柴ちゃんと日下部っちは、今、どうなってるの……?」
「どうもなってないよ。そもそも私たちは付き合ってもなかったんだし。私はこのまま日下部くんと交際するつもりはないし、もう日下部くんの家も出たから。これから会うこともないんじゃないかな。日下部くんは私となんかよりも、城川さんと一緒になるほうが、幸せになれると思うから」
納得ができない、とルイちゃんは不満そうに言う。もっとちゃんと話し合ったほうがいいと何度も伝えてくれた。ルイちゃんの優しさに胸が詰まる。
「ごめんね、ルイちゃん。これから仕事の打ち合わせがあるの。また連絡するから」
これ以上話すと、ボロが出てしまいそうで切り上げるために嘘を吐く。
「羽柴ちゃんは、本当にそれでいいの!? 羽柴ちゃんの日下部っちへの気持ちは、それくらいのものだったの!?」
「……うん、そうだね。それくらいだったのかも。再会して、ちょっと盛り上がってただけ」
ルイちゃんが息を飲む音が聞こえた。「じゃあね」と言って、赤い受話器のアイコンをタップして通話を切る。「祈里ちゃん」と静かな荒木さんの声が、私の背中に当たった。
「本当に良いの? このままで」
「荒木さんも何か誤解してると思うけど、二人の間に割って入っちゃったのは私なの。城川さんが留学に行く前に少し誤解があって、日下部くんは関係が終わっちゃったって思ってたみたいなんだけど」
邪魔者は早く退散したほうがいいでしょ、と返す。荒木さんの目は見ることができずにいる。
「親友の好きな人を奪うなんて。私にはできない。それに、日下部くんには私よりも城川さんのほうが似合ってると思う。明るくて、きっと毎日、幸せをくれる」
言葉の最後のほうが震えてしまう。慌てて唇を引き結んだ。
これでいいんだ。私は何も間違ったことをしていない。
(みんなの幸せを願っているから……)
荒木さんは「そう、分かった」と頷いてくれて、それ以上私を深く追求することはなかった。きっと聞きたいことはたくさんあるはずなのに、そうしないでいてくれているのだろう。心の中で「ごめんなさい」と荒木さんに謝った。
荒木さんは夕方ごろ、少し用事があると言って事務所を出ていった。
ひとりになった事務所で、ソファーに座り、メッセージアプリのトーク画面を開く。そこには城川さんとのやり取りが表示されている。最後は三日前。カフェで日下部くんとのことについて話がしたいと約束をした日で終わっている。
入力欄に何度もメッセージを書いては消していく。
(お幸せに……は、嫌味っぽいか)
うーん、と唸る独り言だけが誰もいない部屋の中に響く。
私は今も、彼女のことを親友だと思っている。もっと仲良くなりたい。彼女のことが怖いと感じたこともあったけれど、私と仲良くなりたいと腕を組んでくれた彼女の愛らしい笑顔は偽物なんかじゃなかったと信じている。
好きな人のことを話すときの、あの愛おしそうな瞳も。私は心から、彼女の幸せを願ったのだ。
そう伝えたかったけれど、文章にするとどれも安っぽくて、伝えたいことの一割も伝わらないような気がしてしまう。だからといって電話をかける勇気も出なくて、結局そのままスマートフォンの画面をオフにした。暗くなった画面には、情けない顔をしている私が反射していて溜息が出る。
いつか、ちゃんとこの気持ちも、城川さんに伝えることができたらいいのだけれど……。そしてまた、ルイちゃんと三人で笑い合える日が来ることを願っている。
「ただいま」
荒木さんは一時間ほどで事務所に戻ってきた。その手には、湯たんぽやら枕やらが入った大きな袋が下げられている。どうやら私がしばらくここで寝泊まりできるセットを購入してきてくれたようだった。
「ごめん、荒木さん。ここまでさせちゃって……」
「いいよ、いいよ。気が済むまで、ここ使っていいから」
「ありがとう」
「プライベートのことなんて考える余裕ないくらい仕事詰め込むから覚悟しててね」
そう荒木さんは冗談まじりに言ってくれる。その優しさに今は救われる。
それと同時に、今回のことで大きな決め手となったお父さんの存在を荒木さんに隠していることに大きな罪悪感が生まれてくる。ただの失恋ではないのだけれど、荒木さんにはこのまま、私が失恋して落ち込んでいるだけだと思っていてほしい。
お父さんがまた私のところに戻ってきていることは、絶対に誰にも、知られるわけにはいかない。
そう心に誓ったときだ。事務所の扉をノックする音が聞こえる。私と荒木さんは顔を見合わせた。もしかすると日下部くんかもしれないと緊張が走る。
「祈里ちゃん、奥行ってる?」
「……うん」
事務所の奥、給湯室がある場所へと体を隠す。「どうぞ」と荒木さんが、扉の向こうにいる人へ入室を促した。
「羽柴祈里さん、いますか」
訊き馴染みのある声が聴こえる。それは、日下部くんでも桜井さんでもない。
「君は確か……」
荒木さんが問いかける。
「ルーチェプロモーションの久留生栄斗です」
「え、久留生さん?」
思わず奥から顔を出してしまった。久留生さんは私を見ると、
「羽柴さん。お願いがあります。城川真希乃を、助けてください」
と、真剣な声と共に勢いよく頭を下げた。