「今日、私と仲良くしてくれようとしている人を疑っちゃって、反省してる」
甘いホットココアを飲みながら日下部くんにぼやいた。自分自身の反省も兼ねて、日下部くんに話を聞いてもらいたかった。
「私も仲良くしたいって思ってるのに」
「共演者の人?」
うん、と頷く。
「私と同い年の女優さん。今回の映画で主演を務める方なんだけど……」
「そういえば、ずっと主演が決まってないって言ってたよな。誰になったの? あ、秘密にしておかなきゃいけなかったら、言わなくていいけど」
「ううん。そこは大丈夫。もう情報解禁されるみたいだから」
日下部くん知ってるかな、と続ける。
「城川真希乃さんっていう、ルーチェプロモーションの女優さん。しばらく語学留学に行くために活動休止されてた方なんだけど……」
「城川……? 城川、帰ってきてるのか?」
「え? あ、うん。この映画で本格的に活動再開するみたいだよ」
日下部くんは考え込んでいるのか、口を閉ざす。何だか変な沈黙だ。
「えっと……。日下部くん、城川さんと知り合いなの?」
「あ、ああ。昔、仕事でちょっと、関わりがあったくらいだけど」
「そうだったんだ」
「ルーチェの社長……桐生院さんっていう方なんだけど、その方に投資家として仕事を始めるときに、少しお世話になって。その流れで、城川とも交流があったんだ」
なるほど、と頷く。日下部くんが芸能界との繋がりが多いのは、ルーチェプロモーションという大手の事務所と関わりがあったからなのかと納得する。確かにあそこと繋がりがあれば、いくらでも他の企業や大物と呼ばれる人たちと繋がりを持つことができるだろう。
「城川さん、とても可愛らしい人だよね。いつもニコニコしてて、手を振ったらすごく大きく手を振り返してくれるの。ただ私と仲良くしたいって思ってくれてるだけなのに、何か裏があるんじゃないかって疑っちゃって……。本当に反省してる」
向こうが私に対して踏み出してくれたように、私ももう一歩近付く努力をしたい。
「城川さんって昔からフレンドリーな感じ?」
「あー……馴れ馴れしいともいうけど」
「あはは。でも、そうやって近付いてくれるから、私も仲良くなるキッカケができたかも。今回演じてる役みたいに、親友みたいな関係になれたら嬉しいって思ってるんだ」
「あのさ、祈里」
日下部くんがココアの入った赤いマグカップをテーブルに置く。
「うん?」と首を傾げて日下部くんを見れば、彼は一瞬だけ瞳を泳がせてから目を逸らした。
「いや、やっぱり何でもない」
「……? うん」
「城川と、仲良くなれたらいいな」
「うん、もっと仲良くなれたら嬉しい」
日下部くんが何を言いかけたかは分からないけれど、それ以上深く追求してはいけない気がして流してしまった。
ようやく目が合った日下部くんの笑顔が、ひどく曖昧なものだとも気付いていたのに。
それからの撮影もNG連発や機材のトラブルがいくつかあったものの、順調に進んでいった。城川さんとの仲も順調で、何度か撮影の合間にカフェに行ったり、買い物に行ったりもした。休憩時間はルイちゃんや久留生さんも一緒に、和気あいあいとした時間を過ごす。それが楽しくて仕方なかったけれど、間もなく撮影もクランクアップを迎える。城川さんと何度も「寂しくなるね」と言い合い、ようやく私たちは連絡先を交換した。
日下部くんの曖昧な表情は、忙しい毎日に塗りつぶされて記憶の隅に追いやられていた。あれから、また日下部くんとはすれ違い生活になってしまったけれど、時々顔を合わせる日下部くんがいつも通りだったから、というのもある。
「羽柴祈里さん、城川真希乃さん、クランクアップです」
「お疲れさまでしたー!」スタッフさんや演者さんの声が響く。私と城川さんに大きな花束が差し出された。
「すごーい、綺麗」
城川さんが嬉しそうな声を上げる。
「赤と緑でクリスマスカラーですね」
カレンダーは十二月になっていて、街もクリスマスの装飾で彩られている。クリスマスカラーでラッピングされた花束は、少し早いクリスマスプレゼントをもらったようで心が弾んだ。
「羽柴ちゃん、まきぴょん、お疲れさま!」
「わっ、ルイちゃん。来てくれたの?」
「ルイルイもお疲れさま」
昨日、私たちよりも先にクランクアップを迎えていたルイちゃんの登場に、私と城川さんは沸く。
「二人ともこのあとの予定は? ご飯、一緒に行かない? 打ち上げも兼ねて」
「行きたい! 私は今日、予定ないよ。城川さんは?」
「私も、今日はもうこれでおしまい。行こ!」
スタッフさんひとりひとりに感謝と労いの言葉をかけていく。羽風監督にも感謝を伝えると、彼は「よかったよ」と優しく微笑んでくれた。
「すみません、たくさんご迷惑をおかけして。恋愛について、もっと勉強してきます」
「羽柴はもうちょっと色んなものを見てきてると思ったんだが、恋愛に関してはピュアなんだなって、今回の撮影でよーく分かった」
次はそういう役で呼ぶわ、と監督が笑う。ルイちゃんがそれを「セクハラ寸前発言」とからかう。羽風監督は「はぁ!?」と大きな声を上げてうろたえた。
「訴えないでくれよ、羽柴」
「訴えないですよ。ピュアな役でまた監督と再会するのを楽しみにしてます」
「羽風たん、また私のことも使ってねー」
まるで友達に別れを告げるようにルイちゃんが手を振る。こんな姿、ルイちゃんのマネージャーさんが見たら発狂してしまうんじゃないだろうか。
「祈里ちゃん。花束、俺が預かっておこうか?」
そっと荒木さんが声をかけてくれる。私はそれに首を横に振った。
「大丈夫。ルイちゃんたちとご飯が終わったら、お母さんのところに持って行こうと思ってるの」
「祈里ちゃんの実家、この近くなの?」
話が聞こえていたようで、城川さんが首を傾げた。
「あ、ううん。私のお母さん、入院してて。お見舞いに花を持っていこうと思ってるんだ。撮影の間、あんまり会いに行けていなかったし」
「そうなんだ……」
城川さんが心配そうに眉を下げるから、「そんなに深刻じゃないよ!」と慌ててしまう。
「昔、頑張りすぎちゃったから、少しゆっくりしてるだけ」
「そっか。祈里ちゃんが来てくれたら喜ぶよ」
「そうだといいけど」
「私もいつか一緒にお見舞い行きたいな。祈里ちゃんのママとお話してみたい」
「城川さんが来てくれたら、お母さんも元気になるかも」
いつか一緒に行こう、と約束する。
監督と話が終わった後、少し私たちの傍から離れていたルイちゃんが駆け足で戻ってきた。
「お店の予約、取れたよ」
「ありがとう、ルイちゃん」
「それじゃあ、行こっか」
三人並んで、ルイちゃんが予約を取ってくれたお店のほうへ歩き出す。振り返ってみれば、私とルイちゃんは昔からの知り合いだけれど、城川さんとは二ヵ月前に出会ったばかりなんだよな、と不思議な気持ちになる。
もう何年もずっと仲良くしてきたような感覚。
いつもは城川さんから腕を組んでくれるけれど、今日は私から彼女の華奢な腕に自分の腕を絡めた。
「えーっ、どうしたの? 祈里ちゃん」
「こうやって歩けるのも、今日で一旦終わりかーって思って」
「あ、ずるい。アタシも入れて」
ルイちゃんが城川さんとの間に私を挟むように、私の腕に抱きつく。その衝撃で私と城川さんが抱える花束が揺れて、たったそれだけなのに笑いが零れた。
「グループトーク作ろうよ、三人の」
ルイちゃんが提案してくれて、私たちは「いいね」と応える。
「既読無視禁止ね」
城川さんが私たちの顔をイタズラな笑顔で覗き込む。
「定期的に会う約束もしよ」
身を寄せ合っているからだろうか。この冬は、とても温かい気がする。