目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第四十五話 似ている二人(2)

 モーニングメニューの時間帯であるカフェは、平日ということもあってか、ウッド調の柔らかなインテリアの雰囲気と同じように落ち着いていた。

 私と城川さんはホットミルクティーを頼んだ。せっかくだからと朝の陽射しがよく入る席に座る。足早に会社や学校へ向かう街ゆく人たちを見送る。私たちだけ、なんだか別の時間を過ごしているようで不思議だ。


 五分ほど待ったころだろうか。店員さんがミルクティーを二つ、私と城川さんの前に置いた。ほんのりと柔らかな湯気が昇っている。茶葉のほろ苦い香りとミルクの甘い香りが混ざって、それだけで癒される。


 秋は一層深まり、冬が間近まで来ている。外を歩いてきたせいで冷えた指の先で温かなカップを包めば、じんわりと体がぬくもっていくのを感じる。


「寒くなったねー」

「本当。この数日で急に寒くなったよね」


 カイロとか持ってこればよかった、と城川さんも両手でカップを持つと、ゆっくりと口をつけた。「おいしい」ととろけるように笑う彼女に続いて、私もミルクティーを一口すすった。思わず笑みがこぼれてしまう気持ちがよく分かる。とてもおいしい。

 城川さんは鼻唄を歌いながら、ご機嫌そうに窓の外を眺めている。訊くなら、今かもしれない。


「ねぇ、ひとつ訊いてもいい?」

「うん? なになに? なんでも訊いて」


 窓からパッと私のほうへと顔を戻した彼女は、話しかけられたことが嬉しかったのか、キラキラと目を輝かせて首を傾げた。


「私のマネージャー……荒木さん、うちの事務所の社長なんだけど……」

「うんうん」城川さんが相槌を打つ。

「その、荒木さんから聞いたんだけど、城川さん、うちの事務所に移籍したいって言ったの?」


 答えたくなかったら答えなくていいから、と慌てて付け足す。しかし城川さんはそんなこと特に気にしていないように、「あー、うん!」と大きく頷いた。


「どうして? ルーチェ……その、なんというか、待遇に不満が、あるとか?」

 言葉を選びたかったけれど、適切な言葉が出て来ない。せめて、と声を潜める。

「全然! ルーチェは大好きな場所だし、なにも不満はないよぉ。だから、今も在籍してるわけだし」


あはは、と彼女はあっけらかんと笑った。事務所の移籍だなんて私からしたら、とんでもない大事件なのだけれど。そう思うのは私だけなのだろうか。城川さんからは、「そんなこと」くらいの気持ちを感じる。


「それじゃあ、どうして? うちの事務所は小さいし、運営が軌道に乗り出したのも最近だし……」


 荒木さんには申し訳ないけれど本当のことだ。最近でこそ日下部くんと荒木さんの頑張りが実を結び、少しずつ事務所の知名度も上がってきている。それでも大手のルーチェとは比べ物にならないくらい小さい事務所だ。

 城川さんは「それはね」と口を開いた。


「祈里ちゃんがいる事務所だからかな」


 可愛らしく、彼女は肩を竦める。「え?」と思わず聞き返してしまった。どうして私が理由になるのだろうか。


「わ、私……?」

「そう。日本に帰ってきたとき、一番最初に目に飛び込んできたのが『Tutu』の祈里ちゃんのポスターだったの。すごく綺麗で、驚いた」


 城川さんが目を伏せる。長い睫毛がより際立った。


「眠って、目を覚ましたあとも祈里ちゃんのことが頭から離れなかった。そうしたら、自然とコスモプロダクションに足が向かってたの」

 ふ、と城川さんの口元が緩む。それから伏せていた目を上げて、私を見た。テーブルに軽く身を乗り出して、城川さんは私に顔を近付けた。近くで見ても毛穴一つ分からないくらい滑らかな肌と、ハッキリとした目鼻立ちだ。ごくん、と私の喉が自然と唾を飲み込んで鳴る。

ざわざわと胸が騒がしいのは、なぜだろう。

彼女がとても美しいから?

 向日葵が咲いているような瞳に、吸い込まれてしまいそうだから?

 どれも違う気がする。

 城川さんは、こんなにも威圧的な雰囲気を持っていただろうか……?


「私が、留学前にやる予定だった仕事、なにか知ってる?」

「あ……ううん、分からない……」

「『Tutu』の、スタートアップモデルだったんだよ」

「……え?」


 ふふっ、と笑って彼女は離れる。刺すような視線が見間違いだったように、彼女はパッといつものような笑顔の華を咲かせた。


「やっぱり私と祈里ちゃんって似てるんだね!」

「そ、うかな」

「似てる、似てる。だって、身長も体重も一緒なんだよ」


 そう言って彼女はバッグの中からスマートフォンを取り出すと、スイスイと長い指で画面を操作する。それから、私が事務所の公式で公表しているプロフィールの身長と体重を口にした。


「ウエストのサイズも一緒」


 すごくない? と城川さんが笑う。


「違うところって言えば、髪の色と目の色かな? 祈里ちゃんはその髪、染めてるの?」

「あ、うん。美容室で染めてもらってる」

「綺麗な色だよね。今度、そのオーダー教えて」


 この仕事終わったら染めたいの、と城川さんが言う。うん、と頷いたのはいいものの、このおかしな違和感はなんだろう。城川さんの人懐っこさはいつもと変わらないはずなのに、吐かれる言葉の意味を深く考えようとしてしまう自分がいる。


「2Pカラーみたい」


 城川さんが両頬を包むように頬杖をついて、いたずらっ子のような笑顔を浮かべて首を傾げる。メイクさんが似せるメイクをしているからだろうか。彼女の言う通り、向かい合う彼女と私はよく似ているように思えてくる。

 喉が渇いてひりひりと熱い。「冷めちゃうよ」と城川さんに言われて、慌てて口にしたミルクティーは、冷めてしまう一歩手前で生温かかった。

 テーブルに置いていた城川さんのスマートフォンが着信を告げる。それは、ADさんからで、機材が思ったよりも早く直ったとの報告だった。三十分後に撮影が再開するらしい。

「スタジオ、ちょっと急いで戻ろうか」

 この時間が終わることにどこかホッとしている私がいる。ショルダーバッグと伝票を掴む私は、不自然なくらい慌てていたかもしれない。

「そうだね! 機材直って、よかったー。スケジュール押すと大変だから」

「本当だね」

「でもまた祈里ちゃんとこうやってお茶したいな」

 来たときと同じように、席を立った城川さんは私の腕に腕を絡める。同じ高さにある城川さんの目。彼女はその目を優しく細めた。


「次は、ルイちゃんも一緒にどうかな」

「あ、いいね。ルイルイにもこのお店紹介したいし、近いうちにまたここに来ようよ」

「うん、そうしよう」

「でも、私。また、祈里ちゃんと二人で話をしたいな」


 訊きたいこといっぱいあるの、と城川さんは言う。


「訊きたい、こと?」

「うん。祈里ちゃんの好きな人のこと。前、内緒って言われちゃったけど。私、祈里ちゃんと恋バナしたくて。祈里ちゃん、同い年だし、色々共感しあえることもあるんじゃないかな」


 ほら、だって、と城川さんは続ける。


「私たち、そっくりだから。好きな人も、もしかしたら似てるかも」


 ね、と私を見つめる城川さんの瞳の中に、ひどく怯えた表情をした私が映っている。

 それはきっと、城川さんの人懐っこい笑顔が、彼女の顔に張り付いているものだと分かったからだ。


――「あんまり深入りしないほうが良い人かも」


 荒木さんの忠告が、今頃になって私の頭の中を巡っている。


「行こ? 祈里ちゃん。撮影、楽しみだね」


 城川さんに優しく腕を引かれ、完全に委縮してしまっていた私はたたらを踏むように一歩踏み出す。

 この人は一体、何者で、何を考えているのだろう。

 この違和感は、ただの思い過ごしなのだろうか。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?