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第四十三話 声を聴くだけで

 午後から再開された撮影でも、やっぱり三人で会話をするシーンは監督の納得のいく演技をすることができなかった。最終的には、「まぁ……ギリギリ合格点ってとこだな」と監督に妥協してもらった一日のスケジュールが終わった。


「あの、羽風監督」


 今日は解散、と席を立った羽風監督を追いかける。桜井さんは心配してくれたのか、私の後を追いかけてきてくれて、振り返った羽風監督の隣に並んでくれた。


「申し訳ありませんでした。監督のイメージ通りの演技ができなくて。ただ……どうしたらいいのか、私にも分からなくて。教えていただけると嬉しいです」

「あの、羽風さん。僕は、祈里さんの演技、とても良かったと思います。僕も、どこがどう悪いのか知りたくて」


 あー……と羽風監督は、ぽりぽりと自分の頬を指でかいた。言葉にするのは難しいんだよ、とボヤく。でもそこをどうにか言葉にしてもらわないと困るからと食い下がる。


「なんていうか……羽柴の演技は文句のつけようがないくらいうまい。桜井の『OneRoom』を観て羽柴を選んだところもあるし、その頃より断然役に入り込んでて目を引く」

「それじゃあ、どうして?」


 桜井さんが首を傾げた。溜息のように羽風監督は息を短く吐き出すと、腕を組んだ。「でも、今はそこが悪いんだよ」と刺すように言われて、ドキッとしてしまう。


「上手に作りこんだ演技でしかない。別にそれでもいいんだよ。でも俺は、もっとリアルな感情が見たい。カメラに映りこまないような些細なところまで見たいんだ。素で出てしまうような仕草とか。好きな人が目の前にいて、親友なのに恋敵である人がいて、でも三人は幼馴染で……。一言で言い表せられない感情が絶対生まれるはずなんだ」


「もう少しその辺りを考えてみてほしい」と羽風監督は続けて、「もういいか?」とその場を去ろうとする。「はい」と頷いた私の返事は、自分でも分かるくらい小さかった。唇をグっと引き結ぶ。そこには一体どんな感情があるのだろう。想像することはできるけれど、所詮想像でしかなくて、本当のところは分からない。友達と同じ人を好きになるってどういう感情が生まれるのだろう。誰に対して、幸せになってほしいという気持ちが心の中で優位に立つのだろうか。



 宿に戻ると、ルイちゃんは浴場に行っているのか部屋にいなかった。

 カラカラと音を鳴らしながら窓を開けてバルコニーへと出ると、寒いと感じるくらいの夜の空気に当たる。


「星、きれー」


 紺碧の空を覗き見れば、都会では見られないくらいの無数の星が輝いている。手を伸ばせば届きそうだ。


(日下部くんと一緒に見たいなぁ)


 スマホのカメラを向けてみたけれど、肉眼で見るようにはうまく撮影できなくてもどかしい。どうしたらこの美しさを伝えられるだろうか。言葉にするのも難しいし、だからこそ、いつか一緒に隣でこの景色が見られたらいいなと思う。そのときは、ちゃんとした恋人同士として、日下部くんの隣に立っていたい。


「あ、羽柴ちゃん。戻ってきてたんだ。お疲れさま」


 少し濡れた髪と寝間着である浴衣を羽織ったルイちゃんが顔を覗かせた。


「私もそっち行ってもいい?」

「いいよ。でも寒いから、なにか羽織ったほうがいいかも」

「うん、そうする!」


 ルイちゃんは一度顔を引っ込めると、すぐに赤い羽織をもって戻ってきた。それに袖を通しながらバルコニーへと出てくると、「想像以上に寒い」と笑った。


「羽柴ちゃん、何してたの?」

「いやー、星が綺麗だなーって眺めてただけだよ」

「わ、本当だ。星、綺麗に見えるね」


すごーい、とルイちゃんの明るい声が響く。その声にも癒されていく自分がいて、ルイちゃんのそばに寄って、彼女の肩に自分の頭を乗せた。


「あら、珍しいですね。羽柴ちゃん」


 ルイちゃんも私の頭とくっつくように首を傾げた。そのちょっとした重みが心地いい。


「お疲れですか?」

「さすがに今日は疲れましたねー」

「羽風たん、羽柴ちゃんにちょっと厳しくない?」

「いやぁ、まぁ、そこは期待されてるってことかなって前向きに捉えてる」


 実際に褒めてもらっているところもたくさんあるし、期待してくれているのはよく分かる。だからこそ、それにきちんと応えたいのだけれど……。力不足を感じてもどかしい。

そんなときは、愛の力が必要なんじゃないですかー?」

「愛?」


 少し顔を上げれば、ルイちゃんと目が合った。彼女は「くふふ」と悪戯っ子のように可愛らしい笑みを浮かべている。


「日下部っちと連絡とってる?」

「……全然。向こうも忙しいだろうから、電話するのも迷惑かなって」

「それはよくない! 絶対電話したほうがいいし、日下部っちも羽柴ちゃんの声聴きたくて待ってると思うよ」


「今すぐ電話しよう!」とルイちゃんに背中を軽く叩かれる。「でも」と躊躇う私を後押しするように、「私も彼氏に電話するから、部屋に戻るね!」とルイちゃんはいそいそとベランダから部屋の中へと戻っていく。


 閉められた窓の向こうで、ルイちゃんは「がんばって」と口パクで言うとガッツポーズをしてから手を振って、見えないところへと行ってしまった。


 どうしよう、と思いながらもスマホの画面をつける。もうこの時間だったら仕事は終わって、夕飯でも食べているころだろうか。

 うーん、と唸り声が漏れる。やっぱり、もし万が一にも忙しくて迷惑をかけたら申し訳ない。電話をするのはやめておこう――……スマホの画面を切ろうと、側面のボタンを押そうとしたときだ。手が滑ってバルコニーの床へ落ちそうになるのを慌ててキャッチする。よかった、落とさなかった、と胸を撫で下ろしたのも束の間。キャッチしたときに指が当たってしまったのだろう。画面は日下部くんへ発信していることを表示していて肝が冷える。


「うそっ、どうしよ……っ」


 急いで電話を切って、間違えてかけたことをメッセージで送ろう。パニックになる頭で必死に考えながら、通話を切ろうとしたけれど、画面がパッと切り替わる。通話時間が表示されていて、それは日下部くんとの電話が繋がったことを意味していた。あああ、と声を上げながらスピーカー部分へと耳を当てた。


「もしもし?」


 日下部くんの低く心地の良い声が私の鼓膜を揺らす。


「ご、ごめんね、日下部くん。今、忙しくなかった?」

「ちょうど仕事が終わって、夕飯でも食べようかなって思ってたところだった」


 とりあえずまずは仕事中じゃなかったことに安心する。


(よかった、迷惑なタイミングじゃなくて……)


「そっちは? 今、休憩時間?」

「ううん。今日は撮影終わって、今部屋に戻ってきたところ」

「そう。撮影は順調?」

「うん。順調に進んでる」


 演技がうまくいかず落ち込んでいることは言わないでおこう。日下部くんからはもう一度「そう」と相槌が返ってきた。


「ごめんね、全然、何か用事があったわけじゃないんだ」

「別にいいよ。というか……むしろ、なんでもない電話をかけてくれるんだなって嬉しいんだけど……」


 照れたのか、日下部くんの語尾はどんどんと小さくなり、最後はごにょごにょと不明瞭なものへとなっていった。けれど、それは私の体温と心拍数を上げるには充分すぎるもので、「そっか」と何気なさを装って返事をしたつもりが、かなりつっかえた返事になってしまって恥ずかしい。

 スマホを持っていない手は落ち着かなくて、毛先を指に巻いたり梳いたりと忙しなくなる。


「撮影期間は集中してるだろうし、こういう電話はしてこないだろうなって思ってた」


 日下部くんの声で、今日一日の疲れや心の沈みが薄れていく気がする。愛が足りていないのでは、と言ったルイちゃんの言葉が身に染みてよく分かった。


「俺も何度もかけようと思ってたんだけど勇気が出なかったから、祈里からかけてきてくれて本当に驚いたし、嬉しい」

「私も……。私も、日下部くんの声聴きたかったら、電話に出てくれて嬉しい」


 空を仰ぐ。今にも降ってきそうな星空を見て、「あのね」と話を続ける。


「宿から見える星がすごく綺麗なんだ。いつか、日下部くんと一緒に見たいな」


 今日くらいはちゃんと素直になりたくて、そう紡いだ。


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