映画の撮影が始まって三日目。
カットの声のあとOKが続かず、何度同じシーンをやり直しているだろう。
「んー……ナナ、お前はソウタに対して本当にそんな顔で話すか? 恋のライバルで親友のコノハも一緒にいるのに」
監督は撮影中、必ず私たちのことを本名ではなく役名で呼びかける。そのおかげもあって、撮影中はどれだけカットがかかっても役を意識し続けられるからありがたいことではある。
ナナ、ソウタ、コノハの三人で会話をするシーンを撮影しているのだけれど、私がセリフを言うたびに羽風監督からNGを突き付けられる。私なりに状況や心境を解釈しているつもりで、監督の意見も汲み取れていると思うのだけれど……。
(ううん。きっと、『私なりに』って思ってる時点でダメなんだ)
まだ私が、ナナという人物を理解しきれていないという一言につきる。彼女は、どう考えて、幼馴染であり、親友であり、そして片想いの相手と恋のライバルと、どんな表情で話をするのだろう。
「うーん、まぁこのシーンはまた明日撮り直すか。昼休憩にしよう。撮影再会は十三時半。シーン21から始めるから、準備よろしく」
腹減ったぁ、と監督はさっきまで纏っていた張りつめた雰囲気をどこかへ置いて席を立つ。私は、城川さんと久留生さんに「すみません」と頭を下げた。
「何がダメだったんだろう。祈里ちゃんの演技、特に問題なかったと思うけど」
「俺もそう思う。あの人昔からそうなんだよなー。結構細かいところ気にするんだけど、要望が抽象的で困る」
城川さんに続いて久留生さんが昔にあった何かを思い出したのか、苦い顔をした。少し遠くで、桜井さんが私と去っていく監督を交互に見て明らかに困った表情をしている。「大丈夫ですよ」と手を振れば、彼は「祈里さんも大丈夫ですからね!」と可愛らしくガッツポーズをしてくれた。
「私たちも昼ご飯食べに行こうか。二時間くらいあるし、ゆっくり食べよ」
「俺はパス。昨日遅くまで起きてたから、部屋に戻って仮眠する」
「またゲームでもしてたの?」
「そんなにゲームばっかりしてたら、目、悪くなるよ」と城川さんが眉をしかめた。兄妹のように育ってきたと聞いていたけれど、この雰囲気はどちらかというと親子のようで微笑ましい。叱られた久留生さんは、子どもっぽく口をへの字にすると「真希には関係ないだろ」と悪態を吐いた。反抗期の少年のようだ。そしてそのまま、「じゃあな」と素っ気なくいって、宿のほうへと帰っていく。
「それじゃあ、私たちだけで行こうか」
「あ、ルイちゃんも呼んでいいですか? せっかくだし」
「もちろん。ルイルイも一緒に行こう」
メッセージアプリでルイちゃんにランチのお誘いをすると、スマホをすでに触っていたのか数十秒もしないうちに既読がついた。それから、「行きます!」と元気よく手を上げている犬のスタンプが送られてくる。宿の中にある食堂で食べようということになり、そこで五分後にルイちゃんとは落ち合うことにした。
ランチの日替わり定食を頼み、窓際の空いている四人席に座る。向かいの席には城川さんとルイちゃんが座った。
席について、店員さんが持ってきてくれたお水を飲んだ一息ついたからだろうか。緊張の糸が切れて、無意識に溜息のように深い息を吐いてしまった。ハッとして向かいの二人を見れば、バッチリとそれを見られてしまっていたようで、ルイちゃんが深刻そうな顔をするから焦る。
「羽柴ちゃん、なにか悩み事?」
「もしかして、監督に言われたこととか気にしてる?」
城川さんも眉を下げて、
「え、なに? 結構キツイダメ出しもらったの?」
と、ルイちゃんが続いた。
「違う違う、そんなことないよ。確かに今日はNGいっぱい出しちゃって、そのせいで午前中は一旦切り上げになっちゃったんだけど……」
自分で言っていて、自分の肩が落ちていくのが分かる。気にしても落ち込まないようにしていたのだけれど、やっぱり少なからずショックを受けていたようだ。
「恋心って、イマイチよく分かんないなぁって思って」
監督が言っていることは充分に理解することはできるんだけど、と考えすぎて痛むこめかみを指で押さえた。
「自分のこともちゃんと分かってないのに、自分の役とはいえ他人の気持ちを汲み取るって難しい」
私はまだナナに完全になりきれていないのだろう。ルイちゃんが「うーん」と唸りながら腕を組む。どうやら一緒に考えてくれるようだ。
「確かに、恋心って他の人と違うものなのかな」
ルイちゃんが言う。そもそも恋って何なんだろうね、と言うルイちゃんと、私たちは二人で腕を組んで、再び「うーん」と唸り合う。しばらくじっと黙っていた城川さんが「ねぇねぇ」と口を開いた。そして、そっと口元に手を当てて周りから聞こえないようにして、
「二人は、恋人っているの?」
と言った。ええっ? と、ルイちゃんは一瞬戸惑ったような顔をしてから、「……まぁ、うん。いるかな」と頷く。やっぱり、あのとき、デートしていた男の子は恋人だったんだなぁとようやく答え合わせができた。そして、あのときに私と日下部くんに言ったときと同じように「うちのマネージャーには内緒にしててね」と城川さんに釘を刺した。城川さんは「分かった!」と大きくコクコクと頷く。
「祈里ちゃんは?」
「私は……秘密」
「ええっ、秘密なの?」
そんなぁ、と城川さんの今日は抑え気味のカラーのリップが塗られた唇が拗ねる。
「ごめんね」
「そういう、まきぴょんは? 彼氏いないの?」
ルイちゃんからの質問に城川さんは「あー……」と珍しく言葉を淀ませる。
「好きな人はいる」
「え、どんな人?」
ルイちゃんが興味津々といった様子で食いついた。
「……優しくて、かっこいい人」
そう言う、城川さんはふんわりと頬を桃色に染める。その表情は、いつもの積極的な様子と打って変わり、どこか恥ずかしそうで可愛らしい。恥ずかしそうにちょっぴり肩を竦めるその姿に、私がキュンとしたのと同じようにルイちゃんも心をときめかせたようで、「まきぴょん可愛い」とリアクション大きく胸を押さえた。
「えっと……城川さんの片想いって感じ?」
人の恋愛を根掘り葉掘り聞くものではないのかもしれないけれど、まるで修学旅行の夜のようだ。あれこれ聞きたくなって、疑似的にキュンキュンさせてほしいと思ってしまう。
「婚約もしてる」
「婚約!?」
キュンとした淡い恋話よりも随分とぶっ飛んだ答えに、私とルイちゃんは思わず大きい声を上げてしまった。これには城川さんも慌てた様子で「しーっ」と人差し指を唇の前に立てた。「ごめんなさい」と謝って声を潜め、私とルイちゃんは城川さんに内緒話をするように顔を寄せる。
「まきぴょん、結婚するの?」
「まだいつになるかは分からないけど。それに、留学から帰って来てからまだ一度も会いに行ってなくて」
帰国してからすぐに仕事入っちゃったから、と城川さんは眉を下げた。
「それは早く会いに行ったほうがいいですよ。城川さんのこと待ってると思います」
「そうかなぁ」
「そうだよ、だって婚約者だよ?」
待ってないほうがおかしいよ、とルイちゃんは真剣な顔で頷いた。うーん、と城川さんはしばらく悩む素振りを見せる。長い期間離れていたから、会いに行くのが恥ずかしいのだろうか。どんな人か聞くだけで頬を染めるくらい相手のことを想っているようだし。恋する姿がとても可愛らしくて、自然と自分の口元も緩んでしまう。
「うん、そうだね。二人の言う通りだと思う。この映画の撮影が終わったら、会いに行こうと思う」
城川さんの話を聞いていたら、私もたった数日しか離れていない日下部くんに会いたくなってきた。改めて、この撮影が終わったらきちんと自分の気持ちを日下部くんに伝えようと心に誓う。