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第四十話 距離感バグ

 物語は、海と山に囲まれた田舎町から始まる。

 産まれてきたころからまるで姉妹のように過ごしてきた、城川真希乃演じるコノハ、羽柴祈里演じるナナ、そして真希乃と同じルーチェプロモーションに所属する俳優・久留生栄斗演じるソウタ。決してその関係は崩れることも変わることもないと信じて疑わなかった三人だが、コノハが大学進学のために上京したことで関係が一変する。

 天真爛漫なコノハはソウタに対する恋心に気付き、積極的なアプローチを始める。ナナは幼稚園生のころからソウタに想いを寄せていたが、関係が壊れることを気にして、ずっとその気持ちを胸に秘めていた。しかしコノハの行動に徐々に焦りをみせ始める。ソウタは果たして、どちらの想いに応えるのか――。


 五日間の撮影では、私たち三人の出会いや上京先から帰省した際のシーンを撮影することになっている。ルイちゃんは私の高校生時代の役を演じてくれることになっていて、私の顔立ちに似せるメイクを施されている。


「元々のお顔立ちも似てるんですねー、姉妹みたい」


 メイクさんが興奮気味に私とルイちゃんを交互に見る。


「お二人並んでいるところ、写真撮らせてもらってもいいですか?」

「もちろん」

「メイクさん、あとでアタシにもその写真送ってー! 羽柴ちゃん、SNSに載せていい?」

「いいよ」

「ルイ。載せるのは、映画の宣伝が始まってからな」


 まだ全然情報開示されていないから、と近くにいたルイちゃんのマネージャーさんが一言釘を刺す。ルイちゃんはそれに「分かってるよ」とどこか不満そうに返した。まるで反抗期の娘とその父親のようで微笑ましい。


「祈里ちゃん、そろそろ撮影始めるって」


 荒木さんがメイク室として使っている客室の扉から顔を覗かせる。


「うん、分かった。すぐに行くね」


 頑張ってね、とまだヘアメイクが終わっていないルイちゃんが見送ってくれて、私もそれに手を振って応える。

 今からの撮影はさっそく城川さんとのシーンだ。どんな人なのだろう。話し口調やこちらに手を振ってくれるところを見ると、気さくそうな人ではあるけれど……。監督もどのような指示を出してくる人なのか分からず、緊張が高まってくる。


「よろしくお願いします」

「んー。じゃあ、ま、やってみるか」


 立ち位置はリハと同じで、と少し離れた場所で、モニター画面を見ながら桜井さんと横並びで座る羽風監督が言う。「はい」と返事をして、リハのときに指示された場所を思い出しながらその場所に立った。

 台本を渡されてから何度も何度も読み込んだ文章を思い出しながら、自分の中に落とし込んだ役へと入り込む。アクション、という声が、私のスイッチを切り替えた。

 怒ったときの少し歩く、速い足取りで、海沿いの道をズンズンと進んでいく。遠くから、「ナナ」と私を呼ぶ声がする。どうしてそんなに焦った声で私を呼ぶのだろう。コノハ自身が望んで、私たちの関係を、無邪気に壊したのに。


「ナナ、待ってよっ」


 腕を掴まれ、強引に振り向かされる。でも、コノハの目は見たくなくて、肩だけが弾かれるような形になった。


「ごめんね、ナナ」

 ごめんね、という言葉にぶわっと感情が昂る。目が、無意識に大きく開いた。

 カットの声がかかる。ふ、と気持ちが引き戻される。


「演技は悪くないな。立ち位置少しズラして撮ってみたい」


 はい、とADさんが気持ちの良いハッキリとした返事をして、台本を持って監督の元へと駆け寄る。それを目で追っていれば、不意に手をギュッと握られて肩が跳ねた。


「祈里ちゃんって、すっっごく演技上手なんだね!」


 城川さんにズイッと顔を近づけられ、自分の喉がぐっと鳴るのが分かった。距離が、近い。

 ひまわりが咲いていそうな独特な、まるでカラーコンタクトでもしているような色素の薄い虹彩に見つめられて、ドキッと胸が高鳴った。

 彼女とまともにコミュニケーションを取るのはこのときが初めてだ。カメラリハも別々に行ったし、ヘアメイクの部屋も別室だったこともあって、ここに到着してから話す機会があまりなかった。他の現場ではあった演者やスタッフの挨拶も、羽風監督の意向によってまともに行われなかったのもある。桜井さん曰く、一緒に仕事をしていたら自然に顔を覚えていくだろうし、それぞれ色んな現場で顔を合わせているだろうということらしい。……なんて無茶苦茶な。


「『Tutu』のモデルやってるの、あなたでしょう? あのCM、私大好きなの」

「あ、ありがとうございます……」

「敬語なんてやめてよ。私たち、同い年なんだし」

「えっと……」

「今、二十五歳でしょ? 私も一緒。だから気軽に話そっ!」


 ね!と掴まれた両手を上下左右にブンブンと振られる。ルイちゃんとはまた一味違う距離の詰め方に翻弄されている自分がいる。


「それにしても、祈里ちゃん、本当に綺麗ね」


 掴まれていた手が離されたと思ったら、今度はスルスルと頬を撫でられて、思わず肩が竦む。その反応が面白かったのか、彼女は「ふふふ」と満足そうに瞳を細めて微笑んだ。


「お肌もすべすべだし、髪もサラサラ」

「それは城川さんのほうが……」


 髪を掬うように撫でられて、妙にドキドキしてしまうのは、同性の私から見ても城川さんがどこか妖艶だからだろうか。それとも、ほのかに漂ってくる香水の香りが、日下部くんが使っているものに似ていると思ってしまったからか。


「それにスタイルも抜群!」

「ひゃあっ!」


 いきなり腰をガシッと掴まれて全身が跳ね上がる。城川さんはそんな私を見て大きく肩を揺らして笑って、「可愛いねー」とそのままハグしてきた。城川さんのコミュニケーション力に圧倒される。……これがコミュニケーション力というのかは分からないけれど。


「城川さん、羽柴さん、移動お願いしまーす」


 ADさんの声に思わず助かったと思ってしまった。「はい!」と元気よく返事をして、城川さんを引き剥がす。


「城川さん、移動です! 行きましょう、持ち場につきましょう!」

「えー、うん」


 もうちょっとお話したかったなーと不満そうな声を出しながら、城川さんは「今、行きまぁす」と返事をして、新しく指定された場所へと歩いていく。失礼だとは思いながらも、こっそりと胸を撫で下ろす。

 まだ撮影一日目、現場に入ってから数時間しか経っていないけれど、賑やかになりそうな現場に、ついていけるだろうかと一抹の不安が心を過る。


(嫌われてるわけではないみたいで、それは良かったけれど……)


 私だってせっかく共演するなら仲良くなりたい。そういう意味では、積極的にコミュニケーションを取ってくれるのは嬉しいと思う。ただ、急な距離感に思わず戸惑ってしまっただけで。というか、『Tutu』のモデルを務めてくれていること知ってくれていたんだ。私もあとで城川さんの出演作品を調べてみよう。私からも声をかけられるキッカケになるかもしれない。


 先に持ち場についた城川さんは、私と目が合うと、幼い子のようにブンブンと両手を振った。私もそれに手を振り返す。


(本当に、ただ人懐っこくて無邪気な人なのかもしれない)


「それじゃあ、準備はいいかー?」


 メガホンを通して羽風監督の声が響く。私と城川さんの「はい」という返事が重なった。


「演技はさっきみたいな感じでよろしく。よーい……」


 羽柴祈里として考えていることを一旦すべて停止する。祈里ではなく、ナナというこの映画の中に出てくる女性そのものに近付けるように、強くイメージする。


「アクション!」


 カチンコのカン!という小気味の良い音が、秋晴れの空に響いた。


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