電車で指定された集合場所へ行き、そこから用意されたマイクロバスに揺られること約二時間。到着したのは、海と秋が深まる自然に囲まれた田舎町。バスを降りると、海街独特の爽やかな潮風に包まれる。都心よりも少しだけ気温が低いようで、バスの中でひざ掛けとして使っていた幅広のストールを肩に掛けた。
「羽柴ちゃん、おはよう」
「ルイちゃん、早いね」
駆け寄ってきれくれたルイちゃんと両手を重ね合わせる。
「アタシが朝弱いから、前乗りさせてもらったんだ」
「そうだったんだ」
「羽柴ちゃんと私、同室にしてもらったよ」
五日間よろしくね、とルイちゃんが私の手をギュッと握り込むように指を絡めた。ニギニギするルイちゃんが可愛くて、ついつい私の口元は緩んでしまう。
「髪色も変わってる!」
少し前に会ったときは金髪に近かったルイちゃんの髪色が黒くなっていて、新鮮だ。彼女は「役作りのために染めましたー!」と自慢気に髪を揺らした。
しばらく戯れていれば、ふとルイちゃんが「あれ?」と何かを探すように顔を動かす。
「マネージャーさんは?」
「え? いない? 私の後ろにいると思ったんだけど」
バスを降りるときには確かに後ろにいたはずだ。どこへ行ってしまったのだろう、と振り返れば、「こっち」と弱々しい声が下のほうから聞こえ、私たちの視線はそちらへ向く。
「あっ、荒木さん!?」
日下部くんと同じくらいある大きな体を小さく折りたたんだ荒木さんがいる。
「マネージャーさん、どうしたの?」
「山道で酔った。ごめん、ちょっと冷たいもの飲んで休憩する」
「ゆっくり休んで。あ、私、乗り物酔いの薬買ったんだ。酔ったあとでも効くやつ」
昨日のコーヒーカップの反省を活かして、集合場所へと行く途中に24時間営業のドラッグストアで酔い止めを購入したことを思い出して、ショルダーバッグの中を漁る。「はい」と箱の裏に書かれた用量の二錠分をシートから千切って荒木さんに渡す。
「ありがとう」と言う荒木さんの声は弱々しく心配になる。人目から少し離れた場所へと移動するいつもより小さい背中を見送った。
「あ、そうそう。羽柴ちゃんが絶対びっくりする人いるんだけど……」
アタシもさっき挨拶してびっくりしちゃって、とルイちゃんが軽く後ろを振り返る。一体誰のことを言っているのか見当がつかず、ルイちゃんの視線を追った。
「日下部っちには知られないほうがいいかも……」
こそっと教えてくれたルイちゃんの心配も、先日私たちが話したことも気にしていないように、視線の先にいたその人は私を見つけると大きく右手を振った。
「えっ!? 桜井さんがなんでここに!?」
「お久しぶりです、祈里さん」
「元気でしたか?」と駆け寄ってきた桜井さんはいつにも増してテンションが高くみえるのはなぜだろうか。
「私は元気ですけど、桜井さんは……とても元気そうですね」
「元気ですよ、見ての通り。この撮影、とても楽しみにしていたので!」
「え、でも、なんで? この作品の監督、桜井さんじゃないですよね?」
「そうですね、僕ではないんですけど……。実は、羽風さんは僕の師匠でして」
「えっ、そうなの!?」
驚いた声を上げたのは、私よりもルイちゃんのほうが先だった。
「おい、カメラマンー」
低く、気怠そうな声が響く。私たち三人は自然とそちらへ顔が向いた。そこにいるのは、乱雑に伸ばされたような長い髪を後ろで一つにくくり、無精ひげを生やした、私よりも一回りほど年齢が高そうな男性がいる。なぜかロリポップキャンディーをくわえて。
その人こそが、先程桜井さんが自分の師匠だと言った映画監督の
桜井さんが師匠だと言うだけあり、確かに羽風さんの作品と桜井さんの作品は、それぞれ彩る雰囲気が似ているかもしれない。
「羽風たん、甘党なのー?」
いつの間に! 隣にいると思っていたルイちゃんが羽風監督の隣に瞬間移動していて、桜井さんと私は同時にギョッとする。というか、「羽風たん」って何!?「羽風たん」って!?
「あ? 別に甘党なわけじゃない。今、嫁さんが妊娠してて禁煙してっから、何か口に入れてねーと落ち着かねーんだよ」
ご懐妊、それはおめでたい。って、そうじゃなくて!
ルイちゃんのマネージャーさんが「友上!」と叫びながら青い顔をしてすっ飛んでいく。
「すみませんすみません、うちの友上が大変失礼なことを!」
「そんなことよりも飴もってない? ハッカとかそういう、スーッとするやつ」
羽風監督がルイちゃんのマネージャーさんに問いかける。マネージャーさんに頭を押されえつけられるように頭を下げていたルイちゃんが「アタシ持ってる!」と手を上げて、肩から下げていた小さなショルダーバッグの中からキャンディーを一つ取り出すと、そのまま監督の手の上に乗せた。……なんて自由を感じさせる光景なのだろう。
桜井さんと思わず目が合う。「ちょっと変わった人なんですけどね」と桜井さんが笑うから、私も同じように微笑むしかなかった。
「そういえば、主演女優の方がやっと決まって」
「あ、そうですよね。ずっと未定になっていたから、どうなるんだろうって思っていたんですけど。誰が主演を務められるんですか?」
「祈里さん知ってるかな。しばらく活動休止していた女優の方なんですけど。
「監督さーん、もう挨拶とか始めますかー?」
心地よく通る、低すぎず高すぎない声が響く。声のするほうへ顔を向ければ、大きなサングラスと真っ赤なリップがとてもよく似合うスレンダーな女性が、宿のテラスから身を乗り出しているのが見えた。潮風に、絹のような黒髪がサラサラと靡いている。サングラス越しでも分かる美しさを身に纏っていて、目が奪われる。
「あ、あの人……!」
酔い止めが効いて復活したのか、いつの間にか私たちの傍まで来ていた荒木さんが驚いたような声を上げた。
「荒木さん、知ってる人?」
「知ってるっていうか……少し前に、うちの事務所に移籍させてほしいって言ってきた人」
祈里ちゃんと日下部さんが来てくれた、あのあと。と、荒木さんは続ける。
「移籍? え、じゃあ、うちの事務所の人ってこと?」
「違う、違う。断ったよ。だって彼女、『ルーチェプロモーション』在籍の女優だから」
「ルーチェ!? なんでそんな大手の人が!?」
ルーチェプロモーションといえば、有名女優や俳優が多く在籍する大手も大手な芸能事務所だ。ビジュアル、演技力、カリスマ性、全てを兼ね備えていないと入所できないと言われている事務所で、女優や俳優として芸能界を目指すものなら誰だって一度は憧れる。
「俺も分かんないよ。明らかにおかしいから、断ったんだけど。まさかこんなところで再会するなんて……。面倒くさそうな香りがプンプンする」
荒木さんが顔を歪めるのは珍しい。「あんまり深入りしないほうが良い人かも」と荒木さんは言う。
サングラス越しに彼女と目が合った気がする。城川さんが長い指をヒラヒラとひらめかせるように手を振っている。誰に? と周囲を見回してみるけれど、「あなただよ」と言われているような気がして、恐る恐る手を振り返したら、それが正解だったように、彼女は綺麗な唇を満足そうに緩ませた。
今回の映画、私は城川さんが演じる主人公の幼馴染、そして恋敵役として一緒にカメラの前に立つことが多い。荒木さんが感じている心配など何もなく、二ヵ月間の撮影が無事に終わることを願うばかりだ。