「祈里ちゃん、このあとどこか行くの?」
雑誌の撮影の仕事終わり、控え室で私服に着替えた私を見るなり荒木さんはそう言った。朝から着ていた服ではあるけれど、今日は荒木さんとバラバラに現地入りしたのもあって、荒木さんが今日の私の私服姿を見るのは初めてだった。
「ど、どうして?」
「いや、いつもより可愛らしい恰好してるから」
メイクも直したんだね、と言われ、心臓がドキリと鳴る。そんなに気合が入った格好をしてしまっているだろうか。確かにおろしたての服を着ているけれど。担当してくれたメイクさんを撮影終わりに捕まえて、ちょっと直してもらっちゃったけれど……!
「もしかして、デートとか?」
いいなー、と冗談っぽく荒木さんが笑う。
「いやー……アハハ」
私もそれを笑って流してしまおうと、荒木さんの真似をして笑ってみせたけれど、あまりに不自然だった。失敗した。
「え……? マジで?」
荒木さんが一歩足を引く。恋愛禁止ではないと言われたけれど、バカ正直に日下部くんの話をしていいのかいけないのか分からず、荒木さんに頷くこともできないまま、私は唇をギュッと噛みしめるように引き結ぶしかなかった。
「羽柴ちゃん、いるー? ……って、うわ、羽柴ちゃん、なに変な顔してんの?」
ノックの返事も待たず、同じビル内で他の雑誌の撮影をしていたルイちゃんは、私の控え室に入ってきて顔を見るなり、そう言った。
日下部くんとの待ち合わせの駅。一緒に降り立ったルイちゃんは「へぇ、羽柴ちゃん、今日デートなんだ」と瞳を輝かせた。
「それがマネージャーさんにバレて、変な空気になってたってわけね」
「バレたっていうか、勘付かれたっていうか」
結局、荒木さんには何も説明しないまま、「帰ります!!」とだけ元気に言って、ルイちゃんと一緒に逃げ出すように控え室を後にしてしまった。明日、荒木さんにはちゃんと謝ろう。
……日下部くんとのことも、ちゃんと話そう。
「それで、デートって誰と? あの桜井って監督さん?」
「あ、ううん。違う人」
「アタシも知ってる人?」
ルイちゃんは大切な友人だ。信頼もできる。だから、首を傾げるルイちゃんに一回頷いて返せば、彼女はすぐに「あ!」と両手を打った。
「もしかして、日下部さん?」
「……うん、そう」
「へーぇー!! やっとあの人、素直になったんだ」
ルイちゃんはイタズラっ子のようにニヤニヤとする。猫のようなアイメイクも相まって、まるで小悪魔みたいだ。彼女のお尻にあるはずのない悪魔のしっぽが揺れているように見えるのは気のせいだろうか。
「素直になったって……日下部くんと何か話したの?」
「んふふ。それは秘密かな」
ごめんね、とルイちゃんのニヤニヤは止まらない。一体何を話したのだろうか。私とのデートの相手、私と同じ芸能界にいるルイちゃんも知っている人というヒントだけで日下部くんに辿り着くということは、私のことも含めて日下部くんから何かを聞いているのだろう。
「あっ、噂をすれば、だよ。羽柴ちゃん」
「え?」
ルイちゃんに腕を叩かれ、彼女が指差したほうを見れば、日下部くんがちょうどこちらに気付いたところだった。
「祈里、」
そう言って、片手を上げた日下部くんの顔が、みるみる険しくなる。私ではなく、その視線が私の隣にいるルイちゃんへ向いていることに気付いた。ルイちゃんを見れば、さっきよりも一層好奇心に満ちたような笑みを浮かべている。
「やっほー、日下部っち」
「日下部っち……?」
「出たな、友上ルイ……!!」
なんでお前までここにいるんだ、と日下部くんは不機嫌そうに顔をしかめる。ルイちゃんが言った通り、日下部くんとルイちゃんはそれなりに親しいようだ。以前のルイちゃんの話では、日下部くんがルイちゃんが所属する叶田プロに顔を出しているから、存在は知っている程度な感じだったように思ったけれど……。
「偶然、今日の仕事がルイちゃんと同じ場所だったの。それで、同じ駅に用事があるって聞いて、一緒に来ただけだよ。……二人は、仲良しなの?」
「別に仲良しじゃない。この前、叶田プロに打ち合わせに行って、そのときに少し話をしただけだ」
「少し~? 深い話まで色々したでしょ」
日下部っち水くさいんだから、と今度はルイちゃんが顔をしかめる。深い話って一体どんな話をしたのだろう。日下部くんは「仲良しじゃない」なんて言ったけれど、悪態をつきながらも何だかんだルイちゃんの相手をする日下部くんを見ていると、私にはとても仲良しなように見えてくる。ルイちゃんもとても懐いているみたいだし……。
(……って、いやいや! なにモヤモヤしてるの、私。ルイちゃんはまだ高校生で……)
「日下部っちが素直になれたのはアタシのおかげだと思うんだよねー」
ルイちゃんが私の背中を軽く押して、日下部くんのほうへと近付ける。モヤモヤに気を取られてぼんやりしていた私は日下部くんにぶつかりそうになる。それを日下部くんが軽く受け止めてくれた。
「あとは日下部っちから詳しく聞いてみてよ」
「えっ、ちょっと、」
お邪魔しました、とルイちゃんは愛らしく微笑む。
「アタシも今日、デートなんだ。うちのマネージャーには内緒でお願い」
大きな目を崩さず綺麗なウィンクを決めると、ルイちゃんは手を振って駆けだしていく。その先には、ルイちゃんと同い年くらいの男の子がいて、ルイちゃんは飛びつくようにその子の腕に自分の腕を絡めた。男の子を見上げるルイちゃんの横顔は、ほんのりと頬が桃色に染まっていて可愛らしい。
ルイちゃんはとても優しい子だ。助けてもらったことも何度もある。今回もきっと、私と日下部くんの関係に気付いていて、一役買ってくれていただけなのだろう。それなのに、日下部くんとの仲を一瞬でも疑ってしまった自分が恥ずかしいし、情けない。
ルイちゃんの幸せが一日でも長く続くことを願う。彼女がもし思い悩んだときには、全力で守ってあげようと心に誓いながら。
「それで、さっきルイちゃんが言ってた、ルイちゃんのおかげってどういう意味?」
「あー……。この前、叶田プロに打ち合わせに行ったって言っただろ?」
「うん」と相槌を打つ。
「そのとき、友上さんに、祈里のことが好きなんだろうって聞かれてさ」
まぁ、その前にも色々話はしてた流れはあるんだけれど、と日下部くんは続ける。
「でも、そのときの俺は、祈里から身を引こうって思ってて。好きだからこそ、お前に幸せになってもらいたかったから。それを友上さんに話したら、結構煽られて」
一緒に住むくらい好きなのに、肝心な幸せを他人任せにするだとか、そんな理由で他人に譲ってしまおうとしているとか……と、日下部くんはぽつりぽつりと呟くように話す。
「そう言われたことがずっと頭から離れなくて、俺が祈里を幸せにして、守ってやりたいってハッキリ思ったんだ。それで……あの流れになったって感じ」
「ふふ。なるほど、それで、ルイちゃんのおかげってことね。確かにそれは、ルイちゃんのおかげかも」
気まずそうに、そして照れたように話す日下部くんがおかしくて、抑えているけれど笑ってしまう。笑うな、と軽く日下部くんに小突かれて「ごめん」と謝った。
「ルイちゃんがそう言ってくれて、日下部くんが勇気を出してくれたおかげで、私も一歩踏み出せた気がする。私は、ルイちゃんと日下部くんのおかげかな」
駅前の軒下から、一歩陽だまりへと出る。眩しくて、温かい。そうだなって日下部くんも、ふっと優しくその目元を緩ませてから、私の隣に並んだ。
「今から、どこに行く?」
ルイちゃんのように可愛らしく腕を組む勇気はないけれど、少しだけ日下部くんのほうへと体を寄せた。肩が触れ合いそうな距離が私の心臓を弾ませる。