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第二十六話 日下部梓の告白(梓視点)

 叶田かのだプロダクションから投資の依頼を受けるのは、これで五度目だった。叶田プロは、羽柴が所属するコスモプロダクションのような小さな芸能事務所ではなく、有名アイドルや有名俳優を多数輩出し、所属アーティストもそれなりに抱えている事務所だ。そのおかげで徐々に利益も増えてきているはずなのだが、社長のお人好しな性格が裏目に出てしまっていて、経営がカツカツという笑えない事態に陥っている。


 事務所の中からたった一人でも世間に名を広めることができたら御の字。芸能界とはそういう場所だ。芸能事務所だって商売なのだから、売れないタレントをいつまでも抱えておくことはできない。普通は、そう。そうだと俺は思っていた。けれど、叶田プロの叶田社長は全ての所属タレントに対し、衣食住をあてがい、レッスン費用を出し、必要であれば学費も払うというのだ。無茶苦茶だ。人気のアーティストやタレントがたくさんいるのになぜ経営難に陥っているのかと思えばそれが理由で、「せっかくうちを選んで入ってくれたのに、不幸になんてしたくないでしょ」と本気で言っているからまた質が悪い。

百パー善意で満ちたキラキラとした目を俺に向けるな。


「どうしたら投資してもらえるのかな」

「ハッキリ言いますが、売れるかどうかも分からないタレントにお金は出せませんよ」

「僕は売れると思うんだけどねぇ」


 みんなやる気があって良い子だよ、と叶田社長は眉を下げて笑う。ずっっっと我慢していた溜息がとうとう口から溢れ出てしまった。


「将来的な利益が見込めたら俺もお金を払います。路頭に迷わせたくないという理由で、下積みの子たちの生活費のために払うことはできません。ただ……」


 ちらりと、叶田社長の隣に座る女性を見る。


「彼女……友上ルイさんのプロモーションのためでしたら、いくらか払えますよ」

 マルチなタレントとして注目を集めている彼女……友上ルイは俺を見ると、ニッコリと微笑んだ。



 友上ルイに投資をするという話でようやく一歩前進した叶田プロとの打ち合わせは、叶田社長に次の予定があるという理由で切り上げとなった。

 書類やノートパソコンを片付けていれば、まだ席を外していなかった友上ルイが「あのさぁ」と話しかけてきた。


「日下部っちって、」

「ちょっと待て」

「なに?」

「日下部っちってなんだ。日下部っちって」

「あだ名だけど~?」

「変な呼び方はやめろ」

「いいでしょ、可愛いじゃん」


 友上ルイは「話続けるよ」と遮られた言葉の続きを話し出す。いいでしょ、と言われたが、何がいいのか全く分からないけれど、今回はもうそのまま流すことにする。


「日下部っちって、もしかして羽柴ちゃんと付き合ってる?」

 バッグに仕舞おうとしていたノートパソコンが手から滑り落ちて、テーブルにゴンッと鈍い音を立てる。「うわっ、壊れるよ」と友上ルイが顔を歪ませたが、俺のほうがそんな顔をしたい。


「羽柴って……コスモプロのか?」

「そうそう」

「どうして、そう思うんだ?」


 平静を装え、俺。友上ルイは「うーん」と言葉を探すように唸る。


「だって、羽柴ちゃんと同じシャンプーの匂いするから」

「シャンッ……プー」


 予想外のことを言われ思わず声が裏返った。友上ルイは「うん」と頷くと、そう思うに至った推察を話し出す。


「羽柴ちゃん、最近、『OneRoom』の監督と熱愛出たでしょ? 羽柴ちゃんには最近、彼氏いないって聞いてたから、あれ~? 監督と付き合ってるの? って思ってて。まぁ、言わないこともあるかって思ってたんだけど、今日、日下部っちに会ったときに、『あれ? 羽柴ちゃんと同じ匂いじゃない?』ってなって」

「たまたま同じシャンプー使ってることだってあるだろ」

「そうかなぁ。 んー……でも確かに、それはあるかもしれないね」


 あたしの思い過ごしかな、と友上ルイはつまらなさそうにテーブルに頬杖をつく。羽柴とは付き合ってるわけじゃないが、まさかそんなことを聞かれるなんて思わなくて動揺した。ざわついた心を平静ぶりながら落ち着かせていく。何も考えずに共有でシャンプーを使っていたけれど、一度見直したほうが良いかもしれない。


「でもさ、日下部っち、羽柴ちゃんのこと好きでしょ」

 バッグに入れようとしていた書類の束が、バサバサと盛大に床に落ちていった。図星だ、と友上ルイはケラケラと憎らしい笑い声をあげた。



 打ち合わせが終わったから早く帰宅したかったのに、結局あれから友上ルイの質問攻めに合い、一時間も叶田プロの会議室に居続けることになってしまった。

 なんとか次の打ち合わせに間に合ったから良いが、今日はひどく疲れた。

 体が重く頭が痛い。根掘り葉掘り聞かれて、言いたくないことまで話してしまった気がする。

 他人に言われてハッキリと自分の感情が輪郭を持ってしまった。羽柴のことが好きだ。誰よりも幸せになって欲しい。桜井は良い奴で、桜井なら絶対に羽柴のことを幸せにしてくれると分かっている。つい先日、羽柴を幸せにしてれるのは、過去の羽柴を知らない奴だって思ったばかりなのに。だからこそ、それには桜井が適任で、羽柴への想いも本物だから安心できると思ったばかりなのに。羽柴とはもう何も関係ないと言いながら、桜井に対しても応援するようなことを言っておいて、それをひっくり返すようなことをしているのだ。自分でも最低だって分かっている。でも、俺はやっぱり……。


「えー? そんな理由で他人に譲っちゃうんですか?」

「一緒に住むくらい好きなくせに、肝心の幸せを他人任せにしちゃうんだ」


 何をどこまで話して友上ルイにそう言われたのかはもう覚えていない。でも、友上ルイの言葉が何度も何度も頭の中で響いている。

 自分の本当の気持ちに、やっと気付くことができた。

 俺は、本当は、何が何でも俺の手で羽柴を幸せにしたい。

 あのとき守ってやれなかった分まで、羽柴を守りたい。



 家に着いたら、羽柴にそう伝えようと思っていた。

 玄関を開けると同時に、目の前の世界がぐにゃりと歪む感覚。壁を伝って何とかリビングへと辿り着いたは良いものの、羽柴の「おかえりなさい」という声を聞いた途端に膝の力が抜けた。

 鉛でも入っているのかと思うくらい体が重い。「ひどい熱」だと羽柴に言われて、自分が体調不良に陥っていることに気付く。

 いつもよりも霞んでいる視界の中、心配そうな表情をしている羽柴を見て申し訳なかった。そんな顔をさせたいわけじゃなかったから。

 ちょっと出かけてくるね、と部屋を出ていこうとする羽柴の腕を慌てて掴んで引き留める。驚いたように目を丸くする彼女に「傍にいて欲しい」と伝える。今日だけは、どうしてもこのまま隣にいて欲しかった。体調が悪いから人肌恋しいとかではなく、どうしても今日、羽柴に気持ちを伝えたいから。ちゃんと、羽柴に届けたい。



 いつの間に眠ってしまっていたのだろう。まだ起きたばかりの思考は、熱のせいでよりぼんやりとしているのを感じる。時計を見れば、自分が帰ってからまだ一時間ほどしか経っていないようだ。

 部屋の中がとても静かだ。羽柴がいないことに気付いて、胸の中が途端に不安になる。出かけてくると言っていたから、もしかすると誰かと用事があったのかもしれない。それこそ桜井と何か話が進んでいて――……。

 玄関扉が開く音がする。帰ってきたのだろうか。リビングのほうへ向かう足音がして、そこまで行こうと自分もベッドから起き上がる。ふわふわと宙を浮くような感覚で歩きにくい。早く羽柴の顔が見たい。

 自室の扉が開く。羽柴の姿が見えて、思わず思い切り抱き寄せてしまった。華奢な羽柴の体は、少し力を入れるだけで折れてしまいそうだ。


「日下部く、」

「好きだ、祈里」


 彼女が小さく息を飲む音が聞こえた。


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