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十五話 冷酷な投資家

家に帰ると既に日下部くんは眠っているようで、部屋の中はシンと静まっていた。物音をなるべく立てないようにサッとシャワーを済ませて、自分も寝支度をする。

そのまますぐに眠ってしまっても良かったのだけれど、部屋のカーテンを閉めるときにふと窓の外に広がる夜景が目に留まって、バルコニーへと出た。

頬を撫でる夜風が気持ち良い。もう日付も変わる頃だというのに、街の中にはたくさんの明かりが灯っていて、起きている人がまだこんなにもいるのかと不思議な気持ちになった。

「綺麗……」

誰に宛てるでもない、呟くような声は、濃い夜の青の中に吸い込まれていった。ここから見える景色を忘れることのないように、しばらく眺めていた。


桜井さんの映画『OneRoom』の公開が始まってから、二週間が過ぎた。映画は見事に大ヒットし、短編映画界の歴史に名を残すのではと言われるほどだ。上映する映画館も増えたのだと、桜井さんから連絡を受けたらしい荒木さんがうれしそうに私に報告してくれた。

そして、私には何か影響があったのかと言うと……。

「いつも応援しています! サインください!」

「一緒に写真、撮っても良いですか?」

「SNSで会えたこと自慢しても良いですか!?」

撮影のためにやって来たテレビ局の前でファンに取り囲まれるようになるほどに、さらに知名度が上がっていた。

露出が増えるごとにSNSのフォロワーが増えたり、街中で「もしかして……」と遠巻きに私を見つけてくれる人がいることがたまにあったりはしていたのだけれど、映画が公開された翌日くらいから声を掛けられる機会が圧倒的に増えた。嬉しいことではあるのだけれど、まだ上手い対応の仕方を見つけられていなくて、仕事面で迷惑をかけてしまうことも多々あり、どうしたものかと頭を悩ませている。

「すみませーん、これからお仕事なので、道開けてくださーい」

溌剌とした声が、私とファンの人の間を割くように響く。ピンクのインナーカラーが入ったウェーブが綺麗な髪をなびかせた女の子が、ピンクとブラックの可愛らしいネイルで飾られた手で私の腕を掴んで引っ張った。

「ルイルイだ!」

「えっ、可愛いー!」

「ごめんねー、写真はまた今度ねー。遅刻しちゃうからぁ」

グイグイと腕を引かれ、あんなに前に進むことに苦戦していたのに、あれよあれよという間にテレビ局の中へと入ってしまった。

「羽柴ちゃん、ヤバくない!? 大人気じゃーん」

ルイルイ……ルイルイこと、現役高校生モデル、タレント、女優として活躍する友上ルイちゃんが目を輝かせて私を振り返る。

彼女とは十歳近く年齢が離れているけれど、エキストラばかりで出演していた当時のドラマの撮影で何度か一緒になったことがキッカケで仲良くなった。いわゆる、戦友というやつかもしれない。芸能界で唯一、連絡先を知っているのは彼女だけだ。

「映画、すっごく良かったもん。納得だわ」

「ルイちゃんも観てくれたの?」

「観た観た! やばい、羽柴ちゃんが『渚』に見える……」

幸せになってね、とルイちゃんが私の肩を摩るように叩く。いつかの荒木さんのようで苦笑いを浮かべるしかなかった。

今日はバラエティ番組の撮影で、ルイちゃんも一緒に出演する予定だ。撮影前の打ち合わせまでまだ時間があるようで、ルイちゃんは自分の楽屋へ行くのではなく、そのまま私の楽屋へと入ることをマネージャーさんに伝えた。

楽屋の中に置かれた椅子に、机を挟んでルイちゃんと向かい合い座る。来る途中に寄ったコンビニで買ったお菓子を机の上に広げる。ルイちゃんも同じ考えだったようで、白いレジ袋の中からお菓子をいくつか取り出して、私と同じように机の上に並べた。

「羽柴ちゃん、最近、彼氏できた?」

番組側で用意してくれていたペットボトルの水にちょうど口をつけていた私は、ゴフッと思わず吹き出してしまう。慌ててハンドタオルで口元を覆って、「なんて?」と聞き返した。

「いやだから、彼氏はできたのか?って」

「な、なんでそんなこと聞くの?」

「羽柴ちゃん、昔から美人だなって思ってたけど、最近急に変わったでしょ? 昔は、夏でも長袖着てたり、変にメイク濃かったりしてたし」

それは、と言いかけて言葉を飲み込む。ヤクザの取り立てで殴られたアザを隠していたなんて、とてもこんな可愛らしい若い女の子に言えるわけない。あー……まぁ……と曖昧に頷き返す。

「でも、『Tutu』のイメージモデルやった頃から、劇的に変化したでしょ? アタシはその頃に彼氏ができたって考えたんだけど、違う?」

どう? 私の推理。と、ルイちゃんがズイッと私へ顔を寄せる。私は平静を装うために、一口水を飲み込んでから、「全然違う」と返事をした。

「彼氏はいないよ。その頃も、今も。それこそ、ルイちゃんと初めて会ったときも」

「えー? そうなの?」

「そう。ただ、ちょっとプロデュースしてもらったっていうか……」

「プロデュース? 誰から?」

「言っても分からないと思うけど……。投資家の、日下部梓っていう人」

日下部くんの名前を聞くなり、今度はルイちゃんが吹き出しそうになる。え!? と言う驚きを隠さない声は、楽屋の外にまで響きそうなくらい大きい。

「日下部梓って、あの日下部梓? 前髪長くて、なんかちょっとくらーい感じの」

「ああー……うん、たぶんそうだと、思うけど」

 日下部くんのことを思うと「その人です」とはハッキリ言えない特徴を並べられて言葉を濁す。ルイちゃんは「信じられない」と眉をしかめた。

「あの人、業界でも冷酷って有名だけど。そんな、一芸能人をプロデュースとかするような人なんだ?」

「冷酷……?」

「出資してもらうためにプランとか話すでしょ? ダメ出ししてもらえたらまだ良いほうで、ほとんどは何も言われずに断られるんだって。ちなみにうちの事務所も、何度も断られてるの見たことあるよ。すっごい冷たい目してて怖いくらい」

「そ、そうなんだ……」

 再会したとき、私に芸能界をナメてると言った日下部くんの目を思い出す。あの目は確かにひどく冷たかった。

「よっぽど羽柴ちゃんに魅力を感じたんだろうね、分かる気がする」

「それはどうかな……? ただの腰フェチだっただけかも」

「なにそれ?」

「いや、私のウエストとかスタイルがどうのこうのって、そのときに言われたから……」

 ルイちゃんはもう一度「なにそれ」と言って、あの人そういう人なの? と肩を揺らしてクスクスと笑った。中学時代からの知り合いだとか、そういう深い部分のことは、まだルイちゃんには話さないでおこう。

「でも実際、方向性をそっち方面に変えたら当たったわけでしょ? 見る目あるってことだよね」

 すごい、と本当に感心しているようにルイちゃんは言う。

「うちの事務所も結構カツカツだから、日下部さんからの出資受けられるように頑張って欲しい」

日下部くんが色々なところから注目され、必要とされているのだと、このとき初めてちゃんと彼の投資家としての存在の輪郭をハッキリと見ることができたかもしれない。

 ルイちゃんがチョコレート菓子の包みを開く。甘くてほんのりと苦い香りが私の鼻をくすぐった。


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