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第十二話 美しい彼女

桜井さんから映画が完成したという連絡をもらってから数日。完成披露試写会の日時が記された案内が荒木さん宛てに届いた。

場所は都内にある小さな映画館。駆け出しとはいえ、今、業界からの注目されている桜井さんであれば、もっと大きな映画館で試写会を行うこともできたはずなのだけれど、桜井さんの希望でこの映画館が選ばれたらしい。


「この映画館は、僕の一作目を唯一上映してくれた場所で……」


抽選で選ばれた一般のお客さん十数人と、数社のマスコミが座る客席に向けて、桜井さんが、試写会の場所としてこの映画館を選んだ理由を話す。


「羽柴さんと藤吉さん、二人とも映画に出演するのは初めてで。でも、僕の表現したい形っていうのを本当に頑張って演じてくれたと思います。撮影を進めていく中で、僕も二人に影響されて、初めて映画を撮ったときのようなワクワクする気持ちを思い出すことができました。だからこそ、僕の初めての想いが詰まったこの映画館で、どうしても試写会をしたかったんです」


そう語る桜井さんの瞳は優しく、そして愛おしそうに細められた。物語を作ること、それを映像として形にしていくことが、本当に好きなのだというのが、その表情一つからでも痛いほど伝わってくる。そんな桜井さんの作品に関われたことへの喜びで胸の奥がジンと熱くなった。

舞台挨拶の終わり際、「あ、そうそう」と桜井さんが思い出したように声を上げる。ステージから降りようとしていた私と相手役の藤吉さんはそれに釣られ立ち止まり、まだステージ上にいる桜井さんを振り返った。


「これから映画をみなさんと一緒に観ますけど、今回の作品、本当に自信作なので。みなさん、宣伝、よろしくお願いします」


強く言い切ったあと、「もちろん、『これは良い!』って思ってくれたら」と途端に照れたようにハニカむ桜井さんに、会場からは笑い声が上がった。


「嬉しいですね、自信作って言ってもらえるって」


声を潜めながらも、本当に嬉しそうに言う藤吉さんに「そうですね」と頷き返す。映画館の大きなスクリーンに私たちはどう映るのだろう。不安と期待が入り混じる心のまま、ステージを降りて最前列の中央付近、空いている席に腰を下ろす。上映開始を告げるブザーが鳴り、照明が静かに落とされた。



 完成披露試写会が終わって、間もなく二週間が過ぎようとしている。

事務所でこれからの仕事のスケジュールについて荒木さんと話し合っていれば、急に荒木さんが大きな溜息を吐いた。完成披露試写会が終わってから、定期的に荒木さんに見られる『症状』だ。この後に出る言葉も、もう覚えてしまった。


「渚が目の前にいる」

「出た、またそれ?」


荒木さんが両手で顔を覆う。それに対して私はもう苦く笑うことしかできない。

『渚』というのは私が桜井さんの映画で演じた役の名前で、完成披露試写会を関係者として一緒に見た荒木さんは、上映が終わって私と顔を合わせるなり、私に渚を重ねて「渚、幸せになるんだよ」と言って泣いていた。それからというもの、もう一ヶ月も過ぎようとしているというのに、未だ荒木さんの中で映画の余韻が抜けていないらしい。


「早く公開日にならないかな、もう一回観たい」


荒木さんが良かったと言ってくれたのと同じように、私もとても良い映画だったとは思うけれど、今はまだ映画の内容よりも、思っていたよりも自然な演技が出来ていて安心した、という気持ちのほうが強いかもしれない。


「良い映画に出させてもらったね」

「うん、それは本当にそう思うよ」

「祈里ちゃんの自然な美しさっていうのを、この映画で見つけた気がするなぁ」


本当にああいう人なのかなって思うくらい、と荒木さんは顎に手を当て考える仕草をする。


「それは純粋に女優として嬉しいな。ちゃんとその人物になれてたってことでしょ?」

「そうだね。あ、そういえば、映画の公開日決まったって連絡来てたよ」

「本当? いつになったの?」

「来月の最初の金曜日だって言ってた」

「もうすぐだね」

「だね。これから宣伝、結構増えると思うよ。桜井さん、結構力入ってるみたいだから」


へぇ、と頷く。試写会のときもメディアに対して、しっかり宣伝して欲しいってお願いしていた姿を思い出した。完成披露試写会の様子を、翌日に朝の情報番組が少しだけ流していたのは知っていたけれど、それから特にこれといった話題を見た覚えがない。そこそこ知名度が上がってきたといえど、私もまだ駆け出したばかり。失礼なことをいってしまえば、桜井さんも共演した藤吉さんも同じように駆け出しだ。話題の映画もたくさんある中で、埋もれてしまっても仕方がないと思っている。


……そう、思っていた。



 翌朝、午前中にテレビ番組の収録が入っているから、いつもより少し早い時間に起きて身支度を整える。着替えを済ませている間に日下部くんも起きてきたようで、まだどこか眠たそうな目をしている彼に見送られて、家を出た。

日下部くんのマンション近くにある駅から電車に乗って、いくつか電車を乗り継いでいく。三十分ほど電車に揺られて、テレビ局近くの駅で電車を降りた。

ホームから階段を下り、改札へ向かうための通路へ出た瞬間、目の前に大きな自分の姿が飛び込んできた。


「う、わっ」


以前、大型モニターに『Tutu』のCMが流れたときと同じように思わず声が出てしまう。周りの人が何人かその声のせいで振り向いてしまったから、慌てて被っていたキャップを目元が隠れるようにツバを掴んで引き下げた。

そっともう一度、先程目に入ったものを伺い見る。青とオレンジが混じる夕焼けの中、ベランダの手すりに体を預ける私の横顔がそこにある。『OneRoom』と書かれた白文字は、桜井さんの映画のタイトルで、ようやくそれが映画のポスターであることに気付いた。


「映画の宣伝ポスターって、こんなに大きいの?」


圧倒されてつい呟いてしまう。嫌でも目に留まるくらい大きいそれに、ドキマギしてしまって心臓がうるさい。

行き交う人々の中には、このポスターの前で足を止めて、スマートフォンで撮影していく人もいる。


「羽柴祈里、映画出るんだ」

「監督の桜井瞬って人の他の作品、結構良いよ」

「そうなんだ、じゃあこれも観に行こうかな。ってか、横顔も美人だよなー」


 私がいるとは思っていないのだろう。若い男性二人が話している声が聞こえてくる。それに対して、心の中で「ありがとう」と感謝しながら、こっそりと後ろを通り抜けた。

 改札を出たところにも『OneRoom』のポスターが柱に貼ってある。それは、先程見たポスターよりもサイズは小さいもので、色とりどりの花の中に私が佇んでいる。


(いつ撮影したやつだろう……?)


さっき駅構内で見たベランダのポスターは映画のワンシーンを切り抜いたものだと分かったけれど、映画の中に花と一緒に映っているシーンはないし、宣伝用としても撮影した覚えもなく首を傾げる。でもどこかで見覚えもあるような気がして記憶の引き出しを漁っていて、ひとつ思い当たるものを見つけた。


桜井さんと初めて撮影スタジオで会った日。カメラテストとして桜井さんに撮影されたものだと思いつく。まさかあれを映画の宣伝ポスターとして使われるなんて……。服も衣装ではなく、私服だし。どうして桜井さんはこれを使うと決めたのだろう。

肩に掛けたバッグの中でスマートフォンが鳴っていることに気付いて、慌てて通話を取る。相手は荒木さんで、もうテレビ局に到着しているとのことだった。


「祈里ちゃん、今どこにいる?」

「ごめん、今ちょうど駅に到着したところ。すぐに向かうね」


映りが良いものを選んでもらえて良かったと胸を撫で下ろしながら、ポスターの中で真っ直ぐ前を見つめる自分の瞳に見送られ、私はテレビ局があるほうへと駆け出した。


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