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第十話 団らん

 撮影が終わったら、スーパーで夕食の食材を買って帰ろう。十六時には撮影が終わる予定だから、ちょうど良いくらいの時間になりそうだ。

まだ、日下部くんの味の好みも分からないし、無難にカレーライスとかが良いだろうか。甘口か辛口か、どれが好みかくらいはあとでメッセージで聞いてみよう。誰かのために作る料理は久しぶりで、とてもワクワクする――。

撮影スタジオを出ると、世界はすっかり闇に包まれていた。時刻は二十時過ぎ。十六時に終わる予定が、なぜこうなった……?

機材トラブルやら、小物を紛失したやらで、今日の撮影は予定を大幅に遅れて終了した。

こんな時間から買い物をして料理までしたら、下手したら二十二時を回ってしまう。近くのコンビニでインスタントラーメンを買って、泣く泣く日下部くんのマンションへと向かった。


日下部くんから貰ったカードキーで玄関扉を開ける。眠ることができそうなくらい広くて綺麗な玄関でパンプスを脱いで端に寄せた。日下部くんの靴も同じように置いてある。人の気配もあるから、家にはいるようだ。

照明の明るい廊下を通り、リビングへ続く扉を開けば、ふわりと温かくて美味しそうなダシの香りが私の鼻と、空腹のお腹を刺激した。

「お疲れ」

 日下部くんがキッチンから顔を覗かせる。

 対面キッチンの前に置かれたダイニングテーブルには、美味しそうな肉じゃががお皿に盛り付けられていた。にんじんが、可愛らしく花の形にくり抜かれている。

「お疲れ……って、日下部くん、夕食作ってくれたの? ごめんね、遅くなって」

「ああ、自分の仕事が早く終わって、勝手にやっただけだから」

 気にしなくていい、と日下部くんは言ってくれたけれど、半ば無理やり自分の意見を通しておいて、初日から約束を破ってしまうなんて、本当に情けない。

「早く食べよう」

「あ、うん。手、洗ってくるね」

 肉じゃがの他にも、和食を中心に小鉢やみそ汁が置かれている。そのどれもが美味しそうで、自分が買って来たインスタントラーメンが恥ずかしくなる。隠すように、持っていたバッグの裏にコンビニの袋を隠して、自分の部屋に置いた。

 洗面所で手を洗い、リビングのほうへ戻る。ダイニングテーブルに日下部くんと向かい合って座って、「いただきます」と両手を合わせた。

 しっかりと味が染みていそうな、じゃがいもを箸で摘む。口に入れれば、ダシの旨味と甘辛い醤油の味が口いっぱいに広がる。柔らかいじゃがいもに、心がホッと和らぐのを感じる。

「美味しい!」

「口に合ったなら良かった」

「日下部くんって、料理上手だったんだね」

「上手かどうかは分からないけど、作るのは割と好きかも」

 小鉢に入った付け合わせも、お味噌汁も、どれも疲れた体に染み渡る美味しさがある。

「すっごく美味しい」

「褒めすぎ」

「いや、本当に」

「あ、そう」

 照れ隠しなのか、日下部くんは素っ気ない返事をして、私から視線を逸らす。

本当に、毎日これを食べられたら、どんなに幸せだろうって思うくらいに、美味しいのだけれど……。

「あ……あのさ、日下部くん」

 箸を一度置いて、膝に手を置き日下部くんに向き直る。

「うん?」

「昨日は、家事を私が全部やるって言ったんだけど……。もし、日下部くんが良ければ、仕事が忙しくないとき、ご飯作ってくれないかな」

 忙しいときは私が作ったり、お互い作れないときは総菜にしたりしよう、と付け加える。

「昨日は、私がやる! って譲らなかったのに」

「うっ……それは、そう。本当にごめん。でも、私、これからも日下部くんのご飯、食べたいな」

 お茶を飲みたかったのか、湯飲みを口元に持って行っていた日下部くんが、ゴフッと盛大に咽る。

「わっ、大丈夫?」

「だい、大丈夫」

 ごめん、と日下部くんはティッシュで口元を拭うと、ゆっくりと呼吸を落ち着かせるように息を吐き出す。

「ごめん、何でもない」

「そう……?」

「うん。いいよ、料理は俺担当で。羽柴がオフの日とかは任せるかもしれないけど」

「それはもちろん!」

 じゃあ、それで決まり。と、私たちの共同生活の形が一つ決まった。

 これが、どれだけ続く生活かは分からないけれど、この家に帰ってくることが楽しみになりそうだ。

食器洗いは私がやると、食べ終わった食事をシンクへと運んでいく。食洗器があると日下部くんが教えてくれて、使い方を教わる。食器の汚れを軽く落としてから、シンク下に備えついている食洗器の中に食器を並べていく。初めて使う機械は緊張する。恐る恐るスタートボタンを押せば、問題なくスタートしたようで胸を撫でおろした。

赤いチェック柄のカウンタークロスで、ダイニングテーブルを拭いていた日下部くんが思い出したように「あ、」と声を上げた。

「最近、桜井から連絡あったか?」

「桜井さん? ううん、何も来てないけど」

「前会ったとき、そろそろ映画が出来上がりそうだって言ってたから」

「そうなの? それは楽しみ。完成したら連絡してくれるって言っていたし、そろそろ連絡あるのかな」

 どんな風にあの映画は形になるのだろう。桜井さんが描いていたものが、少しでも理想通りに形になっていることを願う。

「そういえば、桜井さんが日下部くんの後輩っていうのは聞いたけれど、何歳なの? 結構若そうに見えたけど」

「二十二だよ。今、大学四年になったんじゃかったかな」

「ん? えっ、桜井さんって大学生なの!?」

「知らなかったのか?」

「てっきり大学はもう卒業してるものだと……現役大学生なんだ」

「そう。だから、結構業界では話題になってる。色んな制作会社から、うちに来ないかって話も来てるらしい」

 どうするつもりかは知らないけど、と日下部くんは続けた。卒業し、今のように独立したまま映画監督になるのか、それともどこかに所属するようになるのか。どちらが良いとは一概に言い難い。「どうするつもりか知らないけど」と言った、日下部くんがどこか心配そうな顔をしているように見えたのは、やはり相当可愛がっている後輩だからなのだろう。

「桜井が、羽柴のこと褒めてたよ。演技も良かったって」

「本当に? それは嬉しいな」

 あんまり自信なかったから、と自分の眉が下がるのが分かる。これまで、エキストラのような役しかしたことがなく、セリフを覚えて話すことも、共演者と掛け合いすることも、カメラが自分の表情に注目して撮影することもほぼ初めてで、桜井さんの指示がなければ全く動けなかった。台本に書かれている表現を、声のトーンや仕草だけで再現することの難しさを、今回の撮影で痛感した。

「上映が始まったら、俺も観に行くよ」

「感想はお手柔らかにお願いね」

「あんまり酷かったら、俺も桜井に謝らなくちゃいけないな。俺が、羽柴を薦めたわけだし」

「ちょっと」と顔を顰めれば、日下部くんは「冗談だよ」と肩を揺らして笑う。

「羽柴は上手くやってるよ」

「なに、それ」

「何となく。そう思っただけ」

 俺は風呂入って寝る、と日下部くんは強引にこの話題を切り上げると、バスルームのほうへと消えていく。ちょっと、と呼び止めたけれど、日下部くんはこちらを振り返ることはなかった。

 何なのよ、と言いながら、自分の口角が上がっていることに気付いて、慌てて口元を引き締める。

 胸の奥が、じんわりと温かい気がする。

 こんなに賑やかで温かな夜を、私は知らない。


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