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ワケあり女優さんは恋をする
葵ひかり
恋愛現代恋愛
2024年07月10日
公開日
131,709文字
連載中
知名度の低い女優・羽柴祈里はやっとの思いで役をゲットした。その役は事務所が投資者を通してクライアントにテコ入れしてもらった結果得られたものであり、事務所は投資者への感謝を伝えるために祈里を連れて行く。そこに現れた投資者はかつての恋人である日下部梓だった。しかし祈里は梓から厳しい言葉を投げつけられることとなる。
祈里は前払いで受け取った報酬を持って、父親の代わりに闇金へ借金の返済に行く。その際、闇金の東間環(とうまたまき)から「一晩付き合えば、この金は返さなくていい」と言われ襲われる。祈里は抵抗し相手の頭を殴って逃げ出すが、梓の運転する車と接触してしまう。祈里は梓に責任を問わない代わりに自分をこの場からすぐに連れて行ってほしいと懇願する。負わせてしまった怪我の手当てのため自宅に祈里を連れてきた梓は、祈里の綺麗なウエストラインとスタイルに目を奪われる。そして、祈里が借金の返済に追われていることを知っていた梓は「金に困っているのなら、俺が女優としてお前をトップに立たせてやる」と祈里に豪語する。

第一話 再会

 一人きりになった、私のアパートの部屋。ラグの上に仰向けに寝転ぶ。殴られた腕や脚がジンジンと熱い。


 近くに投げ捨てられた中身のない財布。その隣でスマートフォンがメールの着信を告げて短く震えている。手を伸ばして手繰り寄せメールを開けば、数日前に受けたドラマのオーディションが不合格であると書かれていた。溜息が出る。


 羽柴祈里はしばいのり。二十五歳。女優。

 ギャンブル中毒で蒸発した父親の代わりに借金の返済に追われ、路頭に迷うことになった私を、『コスモプロダクション』という小さな芸能プロダクションがスカウトしてくれたから、私は女優になれた。けれど、名前が付いている役なんて未だ一度も演じたことはなく、知名度は底も底、地を這っている。


 それでも私には、ここしか居場所がない。もう、ここしかないのだ。私の事情を知っても、「一緒に働こうよ」と言ってくれたここしか……。


 痛みで軋む体を起こす。画面を操作して、電話帳から『荒木瀬那あらきせな』と書かれた名前をタップし、通話ボタンを押した。三コールもしない内に、「はい、もしもーし」という荒木さんの大らかで朗らかな声が返ってくる。同じ男性なのに取り立てに来る人たちとは全然違う。


「荒木さん、お願いがあるの……一生のお願い」

「なになに? どうしたの?」


 一生という言葉を大袈裟に思ったのだろう。電話越しで荒木さんが笑っている。


「本当に一生のお願い。すぐにお金になる仕事、ないかな」

「え?」

「明後日までに、お金が必要なの。お願い。お願いします」


 荒木さんが息を飲む音が聞こえた。少し間があってから、「なんとかする」と言ってくれた声に、申し訳なさが募る。でも、母を守る手段が、私にはもうこれしか浮かばなかった。



 荒木さんは私が所属するコスモプロダクションの経営者で、私をスカウトしてくれた人だ。年齢は、私の五つ年上の三十歳。兄のように私に寄り添ってくれる人。


「仕事、決まったよ」


 そう荒木さんから電話があったのは、その日の夜のことだった。


「ちょっと無理して頼み込んだから、今から祈里ちゃんも一緒にお礼に行ってくれる?」

「それは、もちろん。でも、仕事って、どんな?」

「詳しくは向かいながら話すね」


 荒木さんが運転する車の助手席に乗る。

 荒木さんの話はこうだった。

 私からの相談を受けたあと、荒木さんはコスモプロダクション設立時に投資してくれた投資家に連絡を取った。女優を探している人はいないかと相談したところ、若手の監督がちょうど二十代半ばの女優を探しているとの返事が来た、と。


「短編映画のヒロイン役をしてもらいたいそうだよ」

「ヒロイン!? 大丈夫? 私で」

「監督さんには一応、祈里ちゃんの宣材写真と動画は送って、OK貰ってる」


 ふふ、と荒木さんは笑って続ける。


「こんな形とはいえ、ヒロイン抜擢、おめでとう」

「自分から頼んでおいてアレだけど、ちょっと複雑。でも、ありがとう」


 ヒロインという肩書きが、このときはまだ違和感しかなく、むず痒かった。



「こちらが、今回お世話になった投資家の日下部梓くさかべあずささん。そして、こちらがうちの羽柴祈里です」


 連れて来られたのは、都内一等地にある高級マンション。高層階にある一室で、互いを見た私たちの目は大きく見開かれた。荒木さんが紹介してくれた名前も、よく知っている。


「羽柴と同じくらいの年齢なのに、投資家として成功されていてすごいですよね」

「え……日下部くん?」

「あれ? もしかして、知り合いだった?」


 荒木さんが私と日下部くんの顔を交互に見る。知っているも何も、中学時代の同級生で、たった数ヶ月とはいえ交際していた相手だ。私にとっては初恋で……しかし、あまり再会したい相手ではないけれど。


 十年経ち、日下部くんは思い出の中のあのころよりも身長が伸びていて、頭一つ分くらい私より大きい。多少顔立ちは大人びているけれど面影がある。切れ長の瞳は、多少鋭さが増して……いや、私、今、睨まれている……?


「誰?」


 日下部くんの眉間に深く皺が寄る。『不快』と顔に書かれているように、そこには嫌悪感が満ちている。冷たく吐き出された言葉に「え?」と言ってしまったのは、私ではなく荒木さんのほうが先だった。


「お前みたいな無名の女優が俺に話しかけるな」


 はぁ、とわざとらしい溜息が日下部くんから吐き出される。ここまで言われると、本当に彼が日下部くんかどうかも怪しくなってくるくらいだ。けれど、最初に私を見た目は、私と気付いているようだった。まぁ、でも、彼が私を忘れてくれているならそのほうが良い。それくらい、私は彼を傷つけてしまったから。


「前払いで金が欲しいんだってな」

「えっと……」


 荒木さんがどこまで私の話をしているか分からず、そっと荒木さんの顔を伺う。


「すみません、急な入り用で」


 困惑する私の代わりに、荒木さんはそう日下部くんに頷いた。


「桜井……今回紹介した監督の桜井瞬さくらいしゅんから預かってる。ただ、アイツも駆け出しで、今払えるのは半分の十万だけだ」


 お金が入った封筒をデスクの引き出しから取り出すと、私に向かって日下部くんは差し出した。お礼とともにそれを受け取ろうと封筒を掴んだけれど、日下部くんが手を放してくれない。受け取ってはいけないものなのだろうか、と悩んでしまった私に、日下部くんは苦々しい表情で口を開いた。

「荒木さんにはこれまで色々世話になっているから今回は引き受けたが、コネを使って得た役で喰っていけるなんて思ってるなら、お前この世界ナメてるよ。お前がどれくらい信用できるかも分からないのに、報酬を先払いとかふざけてるのか?」


 絶対に桜井には迷惑をかけるな、と封筒を押し付けるようにして日下部くんの手がようやく離れていく。この世界をナメてる。その言葉が、頭の中でぐるぐると廻った。

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