「風宗主。こんなところに呼び出すとは何の用だ?」
風金蘭に火急の用と呼び出された陸壮は不機嫌な顔をそのままに彼女を強く睨みつけた。
「今は華南夏派の新しい宗主のことや行方不明になった天清神仙の代理を立てるのに忙しい。それに死んだ奴らは無関係だと言っていたが、やはり妖王。かの者にも一度は話を聞く必要がある。まぁおおよそ妖王の居所さえ掴むことが出来れば天清神仙の行方も分かるだろうがな。」
「・・・妖界には手を出さないと沈栄仁様達とお約束しましたよね、陸宗主。その代わりに彼らに死ねと迫ったのではありませんか。沈栄仁様、夏炎輝様、江陽明三名の命で陸承様のことは全て無かったことにすると。それなのに、なぜまだ天清神仙を?」
「決まっている。彼が天帝だからだ。」
風金蘭に出されたお茶を口に含んだ陸壮は忌々し気に沈仁清の名を呼ぶ。
「あいつが子などなさなければ、こんなことにはならなかった。仙人同士は子が出来ない。だから仙人同士で男女の交わりをする者など居なかった。女で仙根のある者は稀だし、そういう女は人間の男と交わって子をなす。だから気を高め合うための同性同士の双修のみと言われてきたのに・・・本当に最期まであいつは嫌な男だった。」
「・・・陸宗主は、なぜそこまで沈仁清殿を憎むのです?彼は私たちと同じ時代に梦幻宮へと出仕した仲間だったではありませんか。確かに私たちより彼の方が四歳年下でしたしやや平凡なきらいはありましたが、努力をなさってとても立派な宗主になられました。陸宗主も最初は彼をとてもかわいがっていたのに、どうして・・・」
ガシャン
自分めがけて飛んできた茶器が、自分の頬をかすめて壁に当たって割れる音に風金蘭は身体を小さくビクッと震わせた。
茶器が掠めた頬からツーっと一筋血が滴り落ちてくる。
「・・・それで?今日は何のために私を呼んだ?返事によっては・・・」
風金蘭を脅すため、ぐいっと風金蘭の腕を掴んだ陸壮はそのまま彼女の耳元で低い声を出す。
「天帝殺しを世間に公表されたいのかな?風宗主。」
耳元で冷たく囁かれ、風金蘭は「申し訳ございません」と彼に謝った。
「用事があるのは私ではありません。陸宗主。私は少しの間、失礼させていただきます。」
陸壮から離れ、小走りで風金蘭が出て行くのを凍てつくような目で見送った陸壮は、大きなため息をつくと座っていた椅子に身を委ねた。
沈仁清。
大した才も美貌もないのに天帝に愛された男の名などもう見たくも聞きたくもなかった。
その子である沈栄仁は彼に似ても似つかない美麗な容姿と強かな性格と非凡な才能があり、陸壮も彼を気に入っていた。
自分の部下になればいいと思い、実子の陸貴の道侶へと推薦したほどだった。
しかし出仕してほどなく、夏炎輝の道侶となった彼は何故か自分の行く手を阻む存在になった。
そんな邪魔者を殺そうと妖界へ送り込んだのに、何年もしぶとく生き続け、自分が取引していた前妖王が彼に殺されたと聞いた時にはどうやって殺してやろうかとひどく悩んだものだった。
結果として、今の妖王に殺されたと聞き、良かったと喜んだのもつかの間。
次に宗主になった次男の沈楽清は目の色と髪の色が父親譲りで、その姿は沈仁清が十四、五歳だった時にそっくりだった。
正直なところ、そんな彼が洛寒軒と関係していると聞かされたときは、やはり血は争えないなと冷笑したものだった。
「権力のある男を誑し込む才能は父親譲りだな、天清神仙。」
「・・・楽清が男を誑し込むかどうかは知らないが、俺の物には間違いないな。」
ボソッと呟いた陸壮の言葉が扉の向こうから現れた男に拾われ、陸壮はその声に思わず椅子から身を起こすと扉の方を睨みつけた。
「・・・妖王か・・・」
「ご明察。」
音もなく現れたこの世のものとは思えない美貌の男に陸壮は一瞬目を見張るが、すぐにその視線をきつく冷たいものへと変える。
「なるほど。そうか風宗主は私を裏切ったのか。」
クククっと笑う陸壮に違うと洛寒軒は答える。
「そもそも誰も信じてないお前相手に裏切るも裏切らないもないだろう?違うのか?」
「・・・それで話とは?妖王。まさか復讐などとは言いませんよね?貴方の父親を殺したのは貴女の祖母。貴方の母は自害。天清神仙が行方知れずなのも私のせいではありませんよ。それとも彼の行方を知っていた江陽明を殺したことを怒っているとか?」
「・・・別に復讐するとは誰も言っていないが?」
陸壮のテーブルを挟んだ向かいの椅子に腰かけた洛寒軒は「取引をしないか?」と彼に持ち掛ける。
「取引・・・ですか?」
「ああ。お前は前妖王とも取引していただろう?俺を売った時とか、藍鬼の正体をばらしたときとか。」
後は、と洛寒軒は付け加える。
「夏家の四男。夏蒼摩をあの場に連れて来たのもお前だ。可哀想に。あの子がどんな目に遭っていたか、お前に想像が出来るか?」
「・・・私の目の前で洛大覚に犯されたのでそこまでは見ましたよ。なので生きて帰ってきた時には驚きました。」
「その夏蒼摩。今もずいぶんうまく子飼いにしてるみたいじゃないか。おかげで楽清が泣くはめになった。夏炎輝と沈栄仁と江陽明が殺されてな!」
「私だって、その三人に陸承を殺された。不肖な息子でもあれは私の子だった!」
「・・・お前、全てが済んだら夏蒼摩をどうするつもりだ?まさか俺や楽清のせいにして始末するつもりじゃないだろうな?」
「あんな小物をどうしようと勝手でしょう?」
それで?と聞く陸壮に内心激しい怒りを覚えながらも、洛寒軒は彼から目をそらして、壁際に視線を移す。
「そちらに何か?」
「いいや、気のせいだった。」
鳥が飛んで行ったんだと答えた洛寒軒に本題を早くと陸壮が急かす。
「本題は一つだ。二度と妖界へ手を出すな。その代わり、妖族が仙界へ手を出す事は未来永劫無いと誓おう。人間を食べる妖族も出来るだけ抑える。必要な分以外は狩るな、とな。」
「・・・貴方にそんなことが可能なんですか?混血の妖王に?」
馬鹿にしてせせら笑う陸壮に「あいにくと既にできている」と洛寒軒は余裕をもって答えた。
「この前殺した猿神。あとはあいつくらいだった。朱羅は既に俺の部下だ。それで勢力図は分かるだろう?」
なるほどと納得し、では見返りは?と陸壮が尋ねる。
「仙界をお前が牛耳ればいい。仙界がこの先どうなろうと知った事か。だから天清神仙・・・いや天帝は俺がもらう。あれはもう六年も前から俺の妻だ。今まで仙界に貸してやっていた。この機に返してもらう。あいつは永遠に妖界で俺と共に生きる。本人もそれを望んでいる。」
「・・・彼が天帝になりたいと言い出す可能性が全くないと言い切れるのは何故ですか?貴方と喧嘩別れすることや急に心変わりする可能性もありますよね?」
もともと愛情というものを全く信じていない陸壮にとって、彼らが結婚しているかどうかなどどうでも良いことだった。
「天帝が二度とこの地に戻ってこないという確たる証拠を頂きたい。」
「分かった。証拠をお見せしよう。」
洛寒軒は胸元から取り出した一つの文書を彼に渡す。
それに目を通した陸壮はしばらく沈黙した後、「確かに覚悟は受け取った」とその文書が残らぬようにその場で燃やし尽くした。