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第54話

自分を好きだと言ってくれた沈栄仁の腕の中で少しだけ甘えていた沈楽清は、自分よりも辛そうな顔をしている沈栄仁の背中をぽんぽんと叩くと「ねぇ、栄兄」と声をかけた。

「今度は、俺が聞いてもいい?」

「ええ、もちろんです。」

「栄兄は、どうして死んだってことにしたの?普通に戻ってくれば良かったのに。今からでもそうしたら?その方が、みんな喜ぶよ。炎輝兄様も、ずっと栄兄を待ってるじゃん。」

沈楽清の提案に苦笑した沈栄仁は「それは出来ません。」ときっぱり答える。

「もともと私を殺したがっている者がいて、その者に私は一人で妖界へ行くよう仕向けられました。なかなか死なない私に業を煮やして、正体を前妖王に明かしたのもその人でしょう。今、私が生きていると知れば、躍起になってまた殺そうとしてくるに決まっています。」

「栄兄を殺そうとした?天清沈派の宗主を?一体誰が、そんなこと・・・」

眉をひそめた沈楽清の頭を、ぽんぽんと沈栄仁は優しくたたく。

「・・・楽清。すみませんが、今、貴方に考えてほしいのはそこではないので、この話題はそこまでで。今、貴方に考えてほしいのは、宗主になるか、ならないか。ただそれだけです。仙界や私のことは考えなくて大丈夫なので、貴方がどうしたいか、きちんと考えてください。貴方のこの問いに答えるのは、貴方が宗主になると決めた時にしましょう。そうしないと、きっと貴方は私のために仙界に残ると言うでしょうから。」

「・・・栄兄は、俺にどうして欲しいの?」

沈楽清の問いかけに、沈栄仁は抱きしめていた沈楽清から身体を離すと、再び向き合って座り、正面から沈楽清を見据えた。

「私個人の意見を言わせてもらえるのであれば、貴方は平凡な一人の人間になって、三界に二度と関わらず、妖王と幸せになって欲しいと思っています。私は五年間のあの子しか知りませんが、あの子はとても優しくて思いやりのある子です。一度大切にすると決めたら、生涯にわたって大切にしてくれるでしょう。宗主の仕事は、時には冷酷な判断も、もちろんその手を汚す必要も出てくる・・・本来自分を殺すはずの妖王ですら殺せなかった貴方に、それが出来るとは到底思えません。」

「栄兄は、寒軒と同じことを言うんだね・・・あいつも、俺には難しいって思ってるみたいだし。」

「え?それは誤解ですよ、楽清。」

頭で分かっていても、沈栄仁の口から面と向かって宗主に向かないと言われ、傷つき俯いた沈楽清のいじけた言葉を、沈栄仁は間髪入れずに否定する。

「誤解?」

「貴方が推理した通り、私があの子に貴方をもらってほしいと頼みました。貴方が妖王を殺しかけたあの晩に。でも、妖王は貴方ならば宗主になれると言って、二週間様子を見たいと言った。自分が貴方を宗主にするとも、私に言いました。」

驚いた沈楽清は、信じられないという表情で沈栄仁を見る。

「でも、それなら、どうして寒軒は俺に、あんなこと・・・?」

「まぁ、そこは、その・・・あの子が妖族だから、としか・・・。どういう訳か、一目見た時から妙に貴方を気に入っていたようですし。それにやや貴方が煽った感は否めませんし、あの行動も致し方ないかと・・・何より、貴方が初めてではないと、なぜか強く思い込んでいたみたいですし・・・」

さんざん煽ったという指摘には納得した沈楽清だったが、洛寒軒が自分を初めてではないと思っていたという事実にその眉が跳ね上がる。

「初めてじゃないって・・・俺は誰かの恋人だとか、そういう経験があるとかないとかなんて、冗談でもあいつに言った覚えないけど?!」

「・・・私と貴方の仲を、最初から疑っていたようです。炎輝も、同じことを言っていたでしょう?」

「なんだよ、それ!そんなありえない妄想で、あいつ、俺の大事な・・・」

ファーストキスをと言いかけ、あの夜の事をありありと思い出した沈楽清は、かーっと顔を真っ赤にすると、そのまま黙り込んだ。

だいぶ薄くなってきたとはいえ、彼がつけた跡がこの身体のあちこちに刻まれていることも思い出してしまい、沈楽清はあまりの恥ずかしさに両手で顔を覆った。

「・・・もうお嫁にいけない・・・」

「嫁に行きたいんですか?大丈夫ですよ。花嫁衣装もすぐに用意できます。」

沈楽清の冗談に、現代の漫才という文化を知らない沈栄仁は至極真面目に真顔で返事をする。

「いや、そうじゃなくて・・・」

「まぁ、本当に、炎輝もあの子も想像力が逞しいとしか・・・いくら私が手段を選ばない人間とはいえ、さすがに阿清とは・・・ああ、でも貴方は違いますか。どうします?一度皆さんの期待に応えてみます?」

「やめて!それは一ミリも考えないで!!」

洛寒軒と沈栄仁の過去を聞いた今、最後の手段としてなら実弟だろうがなんだろうがこの沈栄仁は抱きかねない怖さがある。

「おや、私は好みじゃないですか?比較的、あの子に近い見た目だと思いますけど?」

ふっと艶っぽい表情を浮かべた沈栄仁に、恐れおののいた沈楽清は、彼から距離をとろうと馬車の隅で両膝を抱えて小さくなり、ちょっとでも触れたら噛みついてやると、フーフーと猫のように威嚇した。

「・・・さすがに、その拒否の仕方は傷つきます・・・」

その美貌で、今まで誰からもそんな扱いをされたことがない沈栄仁は、自分を激しく拒む沈楽清に少し傷ついた声を出す。

「冗談でも言っていいことと悪いことがあるでしょ?!俺たち、実の兄弟なんだから!」

沈楽清の言葉に、沈栄仁は一瞬ひどく傷ついたように顔を歪ませたあと、すぐにクスクスと笑い出した。

「・・・楽清。あなたは、どうかそのままでいてくださいね。」

「栄兄?」

「どちらの道を選んだとしても、私のようには絶対にならないで。」

さきほどのふざけた態度から一転し、儚げに微笑んだ沈栄仁を見た沈楽清は、警戒を解くと再び彼の前にきちんと座り直した。

「あのさ、栄兄。栄兄は随分俺を優しい奴って思っていそうだけど、俺は、栄兄が思っているような良い人間じゃないんだ。」

「楽清。そんなに謙遜しなくても・・・」

「もちろん、何かを殺すのは嫌だよ・・・でもさ、俺、そんなこと言ってても、キレると見境がなくなるんだ。それで人を死なせたことがある・・・」

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