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第52話

「寒軒・・・」

洛大覚を殺し、しばらくその場に佇んでいた寒軒の耳に、沈栄仁の声が聞こえ、寒軒は彼の元へと駆け寄った。

「藍鬼!」

「ありがとうございました。よく、あの薬を覚えていましたね。」

「・・・最初に、俺を助けてくれた薬だったから。」

自分を抱え起こそうとした寒軒を押しとどめた沈栄仁は、自分でその場に起き上がると、全身を軽く動かした。

別れの挨拶に見せかけて飲ませてもらった仙薬で、傷が全て塞がったのを確認した沈栄仁は、その場にさっと立ち上がる。

「すみません、寒軒。着物をこのまま貸してもらえますか?私の服はもう着れそうにないので。」

「ああ。」

自分の服の腰紐だけ抜き取った沈栄仁は、寒軒の服を着ると、その紐で腰をしっかりと結んだ。

ただの布と化した自身の服をバサバサと振り、落ちてきたものを拾い、それを手近にあった巾着袋へと収めると、借りた服の袖口にしまう。

金聯も、その袋の中にいれた沈栄仁は、小さく歪に笑った。

「藍鬼?」

「ああ、大丈夫ですよ。」

自分の剣をその腰ひもに適当に挿した沈栄仁は、転がっていた自分の靴を履くと、寒軒の背をぽんっと軽く叩いた。

「さて、洛大覚を殺したことがバレる前に、ここにいる全員殺しましょうか。」

「ああ。」

最後に、いつもかけている大切な首飾りを優しい手つきで拾い上げ、「無事でよかった」と首にかけた沈栄仁は、どこかぼんやりした表情で部屋を見つめる寒軒の手を取ると、その顔を覗き込んだ。

「寒軒、大丈夫ですか?」

「・・・すまない。なんだか・・・」

「ねぇ、ここはこうしましょうか?」

沈栄仁は術で火を起こすと、その部屋へと放った。

色とりどりの美しい衣装や宝飾品、あちこちに飾られた絵画や美術品。

洛大覚が好んだ美しいものがたくさん詰まっていた部屋。

寒軒を長い間苦しめていたその部屋が、全てあっという間に激しい炎で焼き尽くされていく。

その光景をじっと見つめていた寒軒の瞳から、静かに一滴だけ涙が流れていく。

「寒軒・・・もう行きましょう。」

「・・・ああ。」

二人は仮面をしっかりと被り直すと、それぞれ剣を手に外へと駆け出して行った。


「藍鬼。どうしてあいつと一緒に帰らなかったんだ?」

洛大覚を倒し、夏蒼摩を助け出した後、その全てを壊し焼き尽くした二人は、姿を変えて人界を転々としながら、次の拠点を探していた。

「どうしてって・・・帰って欲しかったんですか?貴方一人じゃ、何も出来ないのに?」

台所に立った沈栄仁は、料理の味見を寒軒にお願いしながら、その質問に呆れた声を出す。

洛大覚を倒した翌日、術で眠らせたままにしてあった夏蒼摩を、沈栄仁は「送ってきます。」と連れて出て行き、その夕方に自分はあっさりと寒軒の所へ戻ってきた。

それから一か月以上経つが、未だに彼が仙界へ帰る兆しはない。

(仙界に帰って、夏炎輝と結婚するんじゃなかったのか?)

その聞きたい一言を聞けないまま、寒軒は困ったように沈栄仁を見つめた。

「いや・・・居た方が助かる。一人では、どうしていいか分からないから。」

妖界の掟に従い、洛大覚を倒したことで強制的に『妖王』となった寒軒であったが、自分が王になりたくてなったわけではないため、正直なところ困り果てていた。

(いきなり知らない奴らに擦り寄ってこられるのも気持ちが悪いし、命を狙われるのも面白くないし)

己の手で殺してもなお、洛大覚への憎しみは消えないが、こんな状況を受け入れて王として存在していたという部分は、少し感心してしまう。

「私は役に立つでしょう?」

「ああ。」

味見皿を沈栄仁に返しながら、素直に頷いた寒軒に、ふふっと嬉しそうに微笑んだ沈栄仁は、火を止めると彼にぎゅっと抱きついた。

「じゃあ・・・します?」

「しない。」

自分に色っぽい視線を送って迫る沈栄仁の身体をべりっと引きはがし、寒軒はそっぽを向く。

「ご飯が冷める。さっさと食べて寝るぞ。一日も早くちゃんとした拠点を持ちたい。いつまでも人界を転々とするなんて、いつ寝首をかかれるか分からない生活を送れるか。」

「そうですか?意外に安全な気もしますけど。まぁ、どっちがどっちと思われているのかは村の皆さんに聞いてみたい気がしますが。」

「止めろ!ここにいられなくなるだろ。」

夏蒼摩を送ったその夜。

「あんな奴との行為が最後になるなんて死んだほうがましだと思いませんか?可哀そうな部下を慰めてくれてもいいでしょう?妖王。」

その一言に、洛大覚をなぜもっと早く殺してくれなかったのか、という自分への恨みつらみが込められていると感じ、何も言えなくなった寒軒は自分の服を脱がしていく彼を強く止めることが出来なかった。

「藍鬼・・・やめ・・・」

「・・・ここは、そんなふうには思ってないようですけど?」

恋焦がれた沈栄仁の舌が、手が、自分の身体を這う。

沈栄仁のことがずっと好きだった寒軒にとって、たとえそれが恨みつらみだとしても、彼から求められ、関係を持てることは嬉しかった。

しかし、その翌朝、寒軒が感じたのは、言いようもない空しさと夏炎輝への強い敗北感だった。

『炎輝・・・』

行為の最中も、果てた後に隣で抱き合って眠った後も、沈栄仁が無意識で呼ぶ名は、自分ではなく彼の人の名前だった。

その一晩で、彼の中に、自分に対する恋情などかけらもないことを思い知った寒軒は、それからは徹底して彼を拒み始めた。

(少なくとも・・・こいつの中で、俺に対して何か感情が芽生えるまでは、絶対に寝ない)

そんな寒軒の心のうちなど、全く気がついていない沈栄仁は、はいはいと笑うと、料理をよそい始める。

「色気より食い気。まだまだ子どもですね、寒軒。」

「・・・ガキはどっちだ。」

「え?」

「いいから!早く食べるぞ。」

机に向かい合わせに座った二人は、沈栄仁が作った料理をつつき始める。

「すみません。今日はちょっと濃いですね・・・」

「大丈夫だ。ありがとう。」

作ってもらった料理に対し、どんな出来であれ必ず礼を言う寒軒に、「貴方は本当に優しいですね。」と沈栄仁は微笑む。

「そういえば、名前はそのままでいいんですか?」

「名前?」

「ええ。貴方の名は、私が名付けたものなので。」

「何か支障があるのか?」

何も気にしていない様子の寒軒に、沈栄仁は「そこからですか?」と呆れた声を出す。

「歴代妖王は『洛』姓を名乗る。今のままだと、貴方は『洛寒軒』になります。本名じゃないのに。」

沈栄仁の説明に、ああそういうことか、と納得した洛寒軒は「じゃあ、そのままでいい」と答えた。

「一生、誰にも本名は名乗る気はない。」

「・・・そうですか。では、洛寒軒。我が王。今日から、改めてよろしくお願いいたします。」

箸を置いた沈栄仁が、自分に対して右手を伸ばす。

同じく箸を置いた洛寒軒は、その右手をしっかり握り返した。

「ああ、よろしく頼む。藍鬼。」


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