トントン・・・トントン・・・
寒軒が出て行ったその後すぐに、気ぜわしく何度も部屋のドアがノックされて、やれやれと仮面をつけた沈栄仁は笑顔でドアを開けた。
「そんなに何度も、一体どうしたんですか?」
「藍鬼、寒軒はいるか?妖王が連れて来いって言ってて・・・」
「寒軒を?」
成長してからも、未だに自分を見るだけで寒軒が怯えることを知っている洛大覚は、彼に興味を完全に失って以降、彼だけを呼び出すような真似はしなかった。
(ああ見えて、自分の部下は大事にするんですよね。そこだけは評価してたんですが、それなのにあえて寒軒だけを呼ぶなんて・・・)
藍鬼と寒軒はセットと、洛大覚だけでなく、ここにいる誰もがそう認識するまで、沈栄仁は決して彼を一人で行動させなかった。
(私が仙界へ帰った後、一人の時間が多くなった時に困ると思って、ここ半年くらいは自由にさせましたけど・・・あの子、知らないうちに何かしたんですかね?)
「寒軒はお使いに出してしまったので、代わりに私が行きます。」
「あ、いや・・・だけど・・・」
「もし寒軒が早く帰ってきたら、私たちの所へ来るように言ってください。」
歯の奥に何かが詰まったような話し方をする男をその場において、沈栄仁はさっさと一人妖王の所へ向かった。
「妖王。失礼します。」
洛大覚がいるであろう広間へ来た沈栄仁は、いつもふんぞり返って座っている彼が玉座にいなかったことで、強い不安を感じた。
(まさか、寒軒を追って?それなら、あの子は一体何を?)
外に使いに出した寒軒が心配になった沈栄仁は、くるりと踵を返すと勢いよく広間を出る。
ドンッ
廊下に出たところで、歩いて入って来た人物と思いきりぶつかった沈栄仁は、相手の体格に負け、そのまま床にしりもちをついた。
「すみません。急いで・・・」
「藍鬼か・・・」
(妖王?!)
その声で、ぶつかった相手が妖王だと気がついた沈栄仁は、急いで後ろに飛び退ると、その場に叩頭した。
「申し訳ございませんでした!」
「・・・あいつはどこだ?」
「寒軒は使いに出しています。用があれば私にお申し付けください、妖王。」
「・・・いいだろう。」
沈栄仁に立つよう命じた洛大覚は、ぐいっとその右腕を掴んで歩き出した。
(一体、何がどうしたんだ?)
今まで醜いと言って自分へ決して触れようとしなかった洛大覚が、自分の手を引っ張っているという事態に、沈栄仁の顔に緊張が走る。
その上、彼が自分を連れて行こうとしているのが、かつて寒軒が囚われていた部屋だと気がついた沈栄仁は、相手の意図が全く読めず、恐る恐る口を開いた。
「妖王・・・ここに、また誰かを連れてきたのですか?」
「・・・愛らしい声で囀る美しい小鳥がもうすぐ手に入る予定だ。さっき帰った客人が、今日は用意できなかったが、次に来るときには俺への手土産に必ず持ってくると言っていた。今日持って来てくれたものも活きが良かったが、そんなものの比ではないほどの価値のある小鳥だそうだ。」
(客人?活きが良い?美しい小鳥?)
この力がすべての妖界で、そんな商人のような振る舞いをする妖族などいないことを知っている沈栄仁は、客人を出迎えたという洛大覚の話が全く飲み込めず、かえって頭が混乱する一方だった。
一体誰が来たんだろう?と思いながら、沈栄仁は彼と一緒に部屋へと入って行く。
「・・・では、掃除ですか?それとも、これらの衣装の片付けを?」
寒軒がここに居た頃のまま、何一つ変わっていないこの部屋は、長いこと誰も使用していなかったためか、ところどころに埃が溜まってしまっている。
(金糸や銀糸で贅沢に作られた衣服を捨てるのは少々勿体ない気もしますが・・・あの子のお古を新しい子に着せるわけにはいかないでしょう?とでも話せばいいでしょうかね。こちらの準備が整うまでは、その『小鳥』を相手も連れてはこられないでしょうし。できれば、その前に私たちがこいつを・・・)
洛大覚は見た目こそ悪いが、実力は妖王になるだけのことはあり、少なくとも一人で挑んで勝てる相手など、沈栄仁が思いつく限り二人しか存在しない。
少なくとも、自分は奇襲攻撃でもかけない限り、彼には及ばなかった。
(寒軒が本気を出せば・・・でも、あの子にはまだその覚悟がない・・・)
彼に修行をつけ始めて三年。
見込んだ通り実力のある彼は、未だに本当の力を出す事を恐れている。
それでも自分と同じか、それ以上に強いので、彼が本気でないことは誰も気がついていないのだけれども。
(でも、心はどうにもならない)
ここ一年、洛大覚を見るだけで怯える寒軒の心を、まずはどうにかしなくてはと、沈栄仁は悩み続けていた。
(寒軒の気持ちに整理がつくまでは、妖王討伐は難しいと考えていましたけど・・・ここに新しい犠牲者が来るのは出来れば見過ごしたくない。それはあの子も同じなはず。)
誰より辛い目に遭ってきた寒軒だからこそ、第二の自分を作ることには、強い怒りや嫌悪感を覚えるのではないだろうか。
そう考えて、寒軒が帰ってきたら、改めて彼としっかり向き合おうと心に決めた沈栄仁は、仮面の下でにっこりと微笑むと洛大覚の前に跪いた。
「新しい小鳥はどのような方なのですか?似合う衣装をご用意いたします。特徴などお分かりでしたら、教えていただけませんか?」
恭しい態度で接する沈栄仁を、黙って見つめていた洛大覚は、彼の目の前に瑠璃色の宝玉を差し出した。
「そうだな。寒軒ではなく、お前に任せよう。何が似合うかは、お前が一番よく知っているだろうから。」
「は?」
「これだ。」
洛大覚の言葉の意味が理解出来ず、沈栄仁は伏せていた顔を上げ、目の前に差し出された宝玉をその目にする。
それを見た沈栄仁は、思わず「あっ」と声を上げそうになった。
(金聯?!どうしてこんなところに・・・)
目を丸くする沈栄仁の目の前で、金聯がわずかに光を放ち、ゆらりとその中に何かを映し始める。
「これが『小鳥』だ。本当に真っ白で小さくて可愛いだろう?さぞいい声で啼いてくれそうだ。お前のせいであいつが成長してしまって、それ以降は何をどれだけ食べても満足しなかったが、久しぶりに満足できそうだ。そう思わないか?」
「・・・」
金聯にくっきりと映った、少し癖のあるふわふわした鳶色の髪、大きな丸い琥珀の瞳。
丸みのある薔薇色の頬が、まだあどけない少年であることを示している。
(阿清・・・)
自身の記憶よりは少し成長しているものの、絶対に見間違えようがない大切な弟。
宝玉の中、微笑んで静かに本を読んでいる沈楽清の姿に、沈栄仁は声一つ発する事が出来ず、その身体が小刻みに震え始めた。
バタン
放心状態の沈栄仁の耳に、まるで死刑宣告を告げるかのように、大きな音を立てて部屋の扉が閉まる音が聞こえた。