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第45話

(もう三年か・・・)

沈栄仁は洛大覚に捧げるための人間を連行しながら、小さくため息をついた。

この三年で、妖王の腹心と言われるまでに上り詰めた沈栄仁は、隣を歩く自分と同じ仮面を被った寒軒に声をかけた。

「寒軒。今日の術は見事でしたよ。」

「・・・嫌味か?」

「違いますよ。純粋に褒めただけです。誰も前回は同じ術で全員焼き殺してしまったのに、なんて言ってないでしょう?」

クスクス笑う沈栄仁に、寒軒はさらに不機嫌な声を出す。

「・・・やっぱり嫌味じゃないか。」

(あーあ、すっかりひねくれてしまって・・・反抗期でしょうか。それとも育て方を間違えましたかね。阿清と同じように接してきたつもりだったのに、どこでどう間違えたのやら・・・)

あの後すぐ、寒軒の反対を押し切り、沈栄仁は洛大覚への命がけの交渉の末、寒軒の隣にその居室を移した。

「藍鬼・・・なんて無茶を・・・」

「この程度できなくてどうします?さ、寒軒。約束通り今日から頑張ってもらいますよ。」

沈栄仁が隣室に越してきて、一番最初に寒軒に課したのは『三食きっちりとること』だった。

「・・・藍鬼。もう、食べられない・・・」

「仕方ないですね。せめて肉だけは食べてください。まずは身体を作らないといけないので。」

それまで一日一食、しかも雀の涙ほどしか食べていなかった寒軒にとって、肉や魚を食べ始めた最初の一か月は、ある意味地獄だった。

自分を定期的にいたぶり傷つけに来る洛大覚以上に、「時間をいくらかけてでも全て食べなさい」と笑顔でご飯をよそう沈栄仁の方が恐怖の対象になるほどに。

しかし、寒軒の胃袋が徐々に大きくなり、またその身体がたんぱく質をうまく分解できるようになった時から、寒軒の身体に大きな変化が起こり始めた。

(まぁ、まさか私より大きくなるとは思いませんでしたけど・・・阿清も、もしかして、私より大きくなっていたりして・・・個人的にあの子は可愛いままで居て欲しいのですが・・・)

おそらく血統的に楽清くらいにはなるだろうなぁと軽く考えていた沈栄仁は、どんどん日に日に大きくなっていく寒軒にやや困惑しつつも、その成長を二年間見守り続けた。

沈栄仁の子育ての結果、瘦せっぽちの小さな少女のような姿だった寒軒は、いまや自分より十センチ以上も背が高くなり、しっかりと鍛えられた厚みのある身体の男に成長している。

「一見、華奢にみえるところは、変わらないんですけどねぇ・・・」

「何か言ったか?」

沈栄仁のつぶやきを目ざとく寒軒が拾う。

「いいえ。貴方が無事に成長して良かったと思っているだけです。」

「それは・・・お前のおかげだ。」

ありがとうと照れたように呟いた寒軒に、「どういたしまして。さぁ、今日は何の修行をしましょうね?」と沈栄仁は微笑み返した。


「それで、ここはこうなります。では、応用になります。これはどうなると思いますか?」

「六千五百三だ。」

「そうです!算術も身についてきましたね。読み書き算盤は全ての基礎ですが、この辺りはもう完璧ですね。では、次はこの書物を・・・」

洛大覚の隠し部屋に閉じ込められていた寒軒だったが、すっかり身体が大きくなったのと同時に洛大覚の興味は失われ、あの部屋を追い出された。

どこの部屋にしようか迷っていた寒軒を、これ幸いと自身の部屋に引っ張り込んだ沈栄仁は、一人部屋がいいという寒軒の言葉には一切耳を傾けず、彼の荷物をさっさと自分の部屋に運び込んだ。

「藍鬼!」

「え?何か問題でも?」

最初は同室で、しかも寝る場所まで一緒なことに戸惑った寒軒だったが、「通年通して寒いのでちょうどいいですよ。一緒に寝ましょう。」と沈栄仁に寝台に引きずり込まれて以降、大人しく寝食を共にするようになった。

それでもう一年の月日が経っている。

最初はお互い声には出さないものの、見るたびに「美しいなぁ」と思っていた互いの顔も、今ではすっかり見慣れてしまった。

「藍鬼。精を出すのもいいが、そろそろ休まないと明日が・・・」

トントン

もう寝る時間であるにも関わらず、本を何冊も抱えた沈栄仁に、寒軒の顔が引きつったのと同時に、部屋をノックする音がして、二人は顔を見合わせた。

互いに仮面をさっと被り、沈栄仁がその扉を開ける。

「どなたです?」

「藍鬼。寒軒。悪いけど、今からもう一度出てもらえないか?」

扉の外にいた男が、洛大覚ではないことに安堵した沈栄仁は、微笑んでその男の対応をする。

「ずいぶん急ですね。妖王には、先日しばらく遊べる人間をたくさん用意しましたし、あなた方の食料も今日ので十分足りているはずでは?」

「違うんだ!何をとち狂ったのか、仙人が攻めてきたんだよ!ほら、南の!赤い髪のでかい優男!」

「華南夏派の・・・夏、炎輝・・・?」

「そう!そいつ!!今まで一度も、天帝ですら、こんな場所まで来たことがなかったのに、一体何が何やら・・・妖王は面白がって一人でさっさといっちまったけど、万が一があるといけないからお前たちを呼びに来たんだ。」

夏炎輝がここへ来たことが信じられず、どこかぼーっとした頭で聞いていた沈栄仁は、最後の妖王が行ったという一言に顔色を変える。

しかし、それに気がつかれないように平静を装うと、中にいる寒軒に視線を送った。

「いつでも。」

寒軒のその言葉に、沈栄仁は呼びに来た男の方を振り返る。

「分かりました。寒軒と出ます。」

「よろしくな!」

足早に去っていった男を見送り、扉を閉めた沈栄仁は、膝から崩れ落ちて、ぺたんとその場に座り込んだ。

「藍鬼?!」

「どうしましょう・・・」

いつもと違う沈栄仁の様子に、寒軒は駆け寄ると、その身体をゆっくり立ち上がらせ、寝台へと腰かけさせた。

寝台に座っても、なおふらつく沈栄仁の身体を、寒軒は自身の身体で受け止めると、彼が座っていられるようにそっと支える。

「藍鬼。どうしたんだ?体調が悪いなら、俺一人で・・・」

自分を心配する寒軒に、沈栄仁は小さく微笑む。

「ありがとうございます。大丈夫ですよ、寒軒。ただ・・・」

「ただ?」

「夏炎輝は・・・私の道侶です。それなのに、ここへ攻め込まれたら、藍鬼である私は、これから結婚する家の者をこの手で・・・しかも彼の前で殺さなくてはいけないことになる。中には知った顔もあるでしょうに・・・私は、一体どうすれば・・・」

そう言いながら、ふらりと立ち上がった沈栄仁は、そのまま剣を手に取ると外へ向かった。

「藍鬼!」

「・・・行きましょう、寒軒。炎輝が何の目的でここへ来たのか分かりませんが、妖王が向かったとなれば彼が危険です。寒軒、一緒に来て、私を手伝ってくれませんか。」

「分かった。」

寒軒が立ち上がったのを見た沈栄仁は、それまでの緩慢な動きが嘘のように、一気に外へと駆け出した。

そんないつもより冷静さを欠いた沈栄仁に、つかず離れずの距離で着いていきながら、寒軒は「道侶・・・結婚・・・」と小さく呟いた。


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