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第44話

やがて気が済んだのか、洛大覚はぐったりした寒軒の身体を離すと、四肢に結わえた紐を取り、最後に足からその剣を引き抜いた。

「お前は永遠に俺の物だ。死んでも、お前の身体は俺が食い尽くしてやるから安心しろ。」

寒軒の太ももから噴き出した血を舐めとると、洛大覚は高笑いしながら、その場を後にする。

咄嗟に身を隠した沈栄仁は、洛大覚の足音が完全に消えるまで待ってから、自身の震える手や足を鼓舞するように一叩きすると、寒軒の元へと走り寄った。

「寒軒!!」

「・・・藍鬼?どうして・・・」

「寒軒!今、手当てを・・・」

胸元に忍ばせた仙薬を取り出し、ほとんど気を失っている寒軒に飲ませようとしたところで、沈栄仁は「やめて」と寒軒に止められる。

「どうしてです?!こんなひどいけがを、全身に・・・」

「ダメです・・・あいつは、身体の傷が癒えた頃に来るんです。前回は、右手を折られました。でも、それから二か月は平和だった。だから・・・すぐに治ると、また、あいつに・・・この程度では死にません。だから、放っておいてください。」

全てを諦めたように笑う寒軒に、カッとなった沈栄仁は、仮面を外し、その口に仙薬を含むと強引に彼の口に注ぎ込んだ。

(私も、この子も、あんな男の言いなりにならなきゃいけないなんて・・・そんな事あっていいわけがない!)

「んぅ?!」

まさか沈栄仁にいきなり口づけられるとは思っていなかった寒軒は、わずかにその身体を身じろぎさせるが、沈栄仁はその身体の上に跨ると、そのままその腕で顔を押さえ込んだ。

ごくんとその喉が上下したのを確認した沈栄仁は、寒軒から自身の唇を離す。

「・・・すぐに治ります。」

「あ、うそ・・・すごい・・・」

仙薬を飲んだ直後から、あっという間に自身の傷が癒えていくのを見た寒軒は驚愕の表情を浮かべた。

「ええ、すごい効き目でしょう?すぐに全ての傷が癒えますから。」

そう言うないなや、沈栄仁は思いきり寒軒の頬を平手打ちにした。

「・・・え?」

「弱いままでいるのも、いい加減にしなさい!!」

般若のような形相で怒鳴りつけた沈栄仁に、殴られた寒軒の方がぽかんと口を開ける。

「藍鬼?」

「いいですか?!そんなふうに耐えていたって、なにも現実は変わらない!それとも貴方、そんなに死にたいんですか?!」

「死にたいなんて思ってない!でも、こうしていなければ・・・もっと、ひどいこと・・・十二でここへ連れられてきた後、最初の一か月間は地獄だった!もう二度と、あんなのは・・・だから!!」

辛い過去を思い出して、ボロボロと泣き出した寒軒に、床に落ちていた着物をかけた沈栄仁は、それでもその身体を抱き寄せることも、頭を撫でることも、慰めることもしなかった。

(あいつが怖いのは分かるし、これまでどれほど嫌な目に遭ってきたかなんて想像もつかない・・・でも・・・)

さきほど寒軒が酷い目に遭っている間、震えて小さくなっていることしかできなかった自分に何より腹が立っていた沈栄仁は、そんな自分と同じように、この状況を甘んじて受け入れ続けようとする寒軒に対し、優しい言葉をかけることが出来なかった。

我ながらひどいことを言っていると自覚をしながらも、一度噴き出した洛大覚への怒りが抑えきれず、コントロールを失った感情を寒軒にぶつけ始める。

いつも思慮深い彼からは、到底考えられないほど配慮に欠けた言動。

それほど、もう沈栄仁の心には余裕がなかった。

「・・・そうやって泣いて、私に何をお望みですか?」

「・・・何も。どうせ、何も出来ない。」

「おや、ちゃんと分かってるじゃないですか、寒軒。貴方の側仕えなのに、あいつより弱くて、何も出来なくてすみません。そんな私の同情や慰めなんて、何の意味も持たないんですよ。口でなんと言おうと、貴方の痛みも苦しみも分からないし、変わることも出来ません。今泣いている貴方がどれほど苦しんきたのかも、きっと何一つ分かってあげられない。」

「・・・」

沈栄仁の冷めた言葉と冷たい視線に、ぴたっと泣き止んだ寒軒は悔しそうにぐっと唇を噛む。

「悔しいですか?」

「悔しい・・・」

「貴方は、あいつの愛人や恋人では、ないのですか?」

「違う!」

「あいつとの行為は、好きですか?嫌いですか?」

「嫌いに決まってる!誰が、好き好んで、あいつなんかと・・・!」

「・・・あいつが憎いですか?」

「憎い!殺してやりたい!!でも・・・!」

内に秘めた激しい怒りを見せたにも関わらず、急に弱気になって否定の言葉を言いかけた寒軒の顔を、両手で包んだ沈栄仁は、その顔をぐいっと自分の方へ向ける。

「・・・寒軒。それなら道は一つです。あいつを殺せばいい。あいつを殺して、貴方が王になればいいんです。そうすれば、貴方を傷つける者など誰もいなくなります。」

「!!」

沈栄仁の迷いのない力強い声や雰囲気に、一瞬のまれて頷きそうになった寒軒だったが、そのあまりの内容に、小さく頭を横に振ると沈栄仁からわずかに視線を逸らした。

そんな弱気を許さず、沈栄仁は寒軒の顔を持つ手にぐっと力を込める。

「いた・・・」

「寒軒。私の顔をよく見て。」

沈栄仁に顔をぎゅっと持たれて、涙目になった寒軒は沈栄仁に従い、その視線を再び合わせる。

そのときになって、ようやく目の前にいる男が自分と同じようにとても美しい顔をしていることを知った寒軒は、その瑠璃色の瞳に釘付けになった。

「藍鬼・・・どうして、やけどは・・・?」

「ごめんなさい、寒軒。貴方に嘘をつきました。私は天清沈派の宗主、沈栄仁。妖王討伐の命を天帝から受け、ここへやって来ました。」

沈栄仁の突然の告白に、寒軒の人形のような大きな瞳が、さらに大きく見開らかれる。

「仙・・・人・・・?」

その喉がごくりと上下した。

「はい。仙界には四つの派があり、私はその宗主の一人です。」

「・・・服の色は?」

「色?当家は黒ですが・・・仙人を他に見たことが?」

急に服の色を聞いてきた寒軒に対して、疑問を抱いた沈栄仁が聞き返すも、寒軒は強く口を閉ざしたまま、それ以上決して口を開こうとしなかった。

そんな寒軒を見て、沈栄仁は話を元に戻す。

「宗主の一人とは言っても、情けない話で申し訳ありませんが、私では、あの妖王は倒せない。たとえ倒せたとしても、そこで力尽き、他の奴らに殺されるでしょう。私には仙界に残して来た者が・・・将来を誓い合った者がいます。だから、絶対に帰らなくてはいけない。私は協力者が欲しいんです。」

「協、力者・・・?」

「ええ。寒軒、貴方が。」

「俺・・・?」

寒軒は戸惑った表情を見せ、その言葉を失う。

「俺には・・・そんな力なんて・・・」

「嘘です。貴方は自覚をしているはず。その上で、その力を使うことを押さえている。なぜですか?あの殺したい男から自由になれるのに。」

沈栄仁の声に、寒軒の身体が小刻みに震え出す。

「・・・いやだ・・・」

「寒軒?」

「嫌だ!俺は、それで人を何人も殺した!!怒りに任せて、自分に良くしてくれた人まで一緒に!そして、そのせいで母さんが死んだんだ!母さんは、俺を逃がして、一人何も言わずに死んでいった!」

寒軒の悲痛な叫び声に、同情した沈栄仁は一瞬黙り込んだが、ここで引いてはいけないとぐっと下唇を噛むと寒軒を再び怒鳴りつけた。

「・・・だから、この扱いに耐えると?あの男に汚され、傷つけられ、いつか飽きて殺される。それが、貴方の贖罪ですか?それなら、どうして最初にさっさと死ななかったんです?こんなふうに汚される前に、お母様が死ぬ前に、貴方が自分の命を絶てば良かったではありませんか!」

「それは・・・」

「貴方のお母様がどんな方か、私は知りません。でも、私が貴方のお母様なら、貴方を逃したのは決してこんな目に遭わせるためではない!貴方に、生きてほしいと、幸せになって欲しいと願ったから逃したのでしょう?違いますか?!」

『桜雲、愛してるわ。どうか、あなただけは生きて・・・幸せになって。』

沈栄仁の一喝で、母親の最期の一言を思い出した寒軒の、母親と同じ桜色の瞳から涙が溢れる。

「・・・嫌だった・・・怖かった・・・誰も、助けてくれなかった・・・それどころか、あいつら全員、俺に・・・でも、もう、俺には誰もいなくて・・・行くところもなくて・・・ここで、耐えるしかないって、ずっと・・・でも!本当は、ここから出たい!自由になりたいんだ!!」

その口から嗚咽が漏れ始め、やがて大声で泣きじゃくり始めた寒軒の身体を、今度はしっかり抱きしめた沈栄仁は、彼が泣き止むまでその背をさすり続けた。

「辛かったですね。もう大丈夫ですよ。私がいます。絶対に、貴方を一人にはしません。」

沈栄仁は、そう何度も寒軒の耳元で繰り返す。

その温もりに母親を思い出した寒軒は、ますます涙が止まらなくなり、ぎゅっと沈栄仁に強く抱き着いた。

そんな寒軒が泣き止むまで、沈栄仁は何も言わず、彼を優しく抱きしめ続ける。

その鳴き声が次第に止み、泣き疲れた腕の中の寒軒が少しうつらうつらとし始めたのを見た沈栄仁は、その身体をそっと寝台に横たえ、そっと髪を撫でた。

「寒軒。私に、ついて来てくれませんか?」

「・・・ついていく?」

「ええ。寒軒、私が貴方を立派な王にしてみせます。だから、これから一緒に頑張りましょう。あの男を殺し、この妖界をその手に収め、出来れば三界を・・・貴方と私の弟とであれば、それが出来るかもしれない・・・」

すでに眠気がひどく、ぼーっとしていた寒軒は、「弟?」と思いながらも、それ以上口を開くことが出来ず、ただこくりと小さく頷き、その目を閉じた。

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