目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第42話

「藍鬼。そろそろ新しい仕事をやろう。」

ある日、報告を終え、下がろうとした沈栄仁を珍しく洛大覚が呼び止めた。

先ほど献上された少女を弄びながら話す洛大覚と、その手の中で泣き叫ぶ少女には出来るだけ視線を送らないようにしつつも、そこで待っていろと命令された沈栄仁は耳をふさぐことも許されず、仮面の下で静かに目を瞑り、少女が絶命させられるまでの間、とにかく黙って耐え続けた。

(今すぐ殺してやりたいのに、私はどうしてこんなに無力なのか・・・)

こんな時、夏炎輝であればきっと怒りに任せて後先考えずに飛び掛かっていたでしょうね・・・と想像した沈栄仁は、地獄のような光景の中、ほんの少しだけ仮面の下で笑う。

(最近、頭の中が、炎輝のことばかりだ・・・)

彼からもらった首飾りを握りしめる回数が多くなっていることに気がつき、沈栄仁は、そんな弱い自分に嘲笑する。

「行くぞ。」

一番おいしいと言われる脳を取り出して、そこだけさっさと食べ終えた洛大覚は、残りの身体を手下に向かって放り投げると、沈栄仁を連れて広間を後にした。

そして、沈栄仁を伴い、今まで見たことがない通路へと入って来る。

「お前には『人形』の世話を任せたい。」

「『人形』の世話、ですか・・・?」

「ああ、世にも珍しい生きた『人形』だ。食事は一日一食でいい。風呂は毎日入れろ。衣服はあるものを順番に着せて、古くなったら新しいものを調達してこい。」

はぁ・・・と生返事しながら、洛大覚の言葉の意味を全く理解できない沈栄仁は、洞窟の奥に進むにつれ、彼に対して警戒を強めた。

(もしかして、ここで私を始末するつもりか?)

沈栄仁は腰にさした剣を持つ手をわずかに強める。

(父上、どうかお守りください)

彼から受け継いだ沈家宗主の剣である三智だけは、夏炎輝と沈楽清が置いていくのを許さず、今も自分の手元にある。

(これを阿清に渡すまで、私は死ねないのです。父上・・・)

しかし、そんな沈栄仁の予想も空しく、嬉々とした表情で一番奥の扉を開けた洛大覚は、椅子に座らせてあった『人形』をその手に担ぎ上げ、沈栄仁へと渡した。

「心を込めて世話をしろ。俺の大事な『人形』だ。」

訳が分からないまま、手にしたものを見た沈栄仁は、驚きのあまり、思わずその手から『人形』を落としそうになった。

今まで、自分も、そして自分の道侶である夏炎輝も、仙界でも有数の美貌の持ち主と評されていて、おのずと外見には自信がある方だった。

綺麗な子どもと言うならば、弟の楽清もまた愛らしく、その道侶候補である陸承も異国の血が入っていることもあり十分美しかった。

しかし、そんな自分たちでも敵わないほどの美貌を、まさか目にする日が来るとは思わなかった沈栄仁は、自分の手の中で動かない『人形』をまじまじと見つめる。

(阿清と同じか、もう少し幼いくらい?こんな美貌を持つ子がいるなんて・・・いや、でも、なぜこんな子どもがこんなところに?)

通常であれば、どんな美しい子どもであろうと一回で遊び飽きて殺す洛大覚が、どうしてこの『人形』に執着するのか分からず、沈栄仁は仮面の下で訝し気な視線をその子に向けた。

そんな沈栄仁の気持ちをまるで見透かしたかのように、その子どもがふいにその顔を上げる。

(あ、動い・・・)

「うっ!」

その子と視線が合った次の瞬間、その場に立っていられなくなるほどの圧力を感じた沈栄仁は、ガクンとその場に膝をついた。

なんとか腕の中の『人形』を落とさないようこらえながらも、その『人形』から送り込まれる妖気に、自分の中の仙根が拒絶反応を起こし、息がどんどん上がり、呼吸が浅くなっていく。

ハッハッと荒い呼吸を繰り返し、その場から動けなくなりながらも、『人形』を決して落とさなかった沈栄仁に対して、洛大覚は「やはりお前は大丈夫そうだ。頼んだぞ。」と笑いながらその場を出て行った。

「・・・俺を、離してください。」

洛大覚の足跡が聞こえなくなったところで、腕の中の『人形』が声を上げる。

しかし、その人外の美貌からは想像もつかない落ち着いた低めの声に、沈栄仁は一瞬苦しかったのも忘れ、ぽかんと口を開けた。

「男の子・・・?」 

「はい。」

「すみません。そんな着物を着ているし、小さいから・・・てっきり・・・」

「分かっています。俺は十六には見えないでしょう。」

「十六?!なにかの間違いでは?数の数え方は知っていますか?一の次は・・・」

「二、です。試しに百まで数えましょうか?」

少年の言葉に彼が言っていることが冗談ではないと分かった沈栄仁は、「いえ、大丈夫です。すみません。」と少年に謝罪する。

「それに、この服はあの男の趣味です。俺が好きで着ている訳じゃない。」

瞳の色と同じ、東嬴で女性が着ているとされる桜色の着物を着た少年は、軽い身のこなしで沈栄仁の腕からするりと逃れると、両手で沈栄仁の右手を掴んだ。

「・・・すみません。あなたは元仙人だとあいつから聞いていたので、妖気を送り込んで、わざとあなたを苦しめました・・・あなたが、変な気を起こさないように。」

(変な気・・・ああ、そうか。この子は今まで・・・)

少年の言葉で、この少年の立場を察した沈栄仁は、なんて可哀そうな子だ、と少年に同情する。

「気にしないでください。急に知らない男に抱きしめられて怖かったですよね。安心してください。貴方に対しておかしなことは絶対にしません。私は、大やけどを負って以降、男として機能しないんです。」

「・・・貴方は変わっていますね。良かったです。今まで俺を見るとおかしくなる奴しかいなかったので。」

(まぁ、この美貌であれば・・・美しいのが悪いと、幼いころから私も、何度か危ない目に遭いかけましたし・・・)

好色な目で見られる辛さを知っている沈栄仁は、自分の右手を握る少年の手に自身の左手をそっと乗せ、安心させるように包み込んだ。

「大丈夫です。私は、絶対に貴方を傷つけません。約束します。」

沈栄仁の真っすぐな言葉を信じたのか、少年は沈栄仁よりも一回り小さい手から、今度は霊力を彼に送り始めた。

「仙人は、これで回復できますか?」

「・・・さっきは妖力だったはずですよね・・・なぜ霊力まで使えるんです?!そんな人間、今まで聞いたことが・・・」

ない、と言いかけた沈栄仁の脳裏に、自身の母の最期の記憶が蘇った。

『今まで黙っていて、本当にごめんなさい。栄仁。どうか、これからは貴方が楽清様を、そしてできればあの方たちを探し出して、ここでお守りして欲しいの。それが、私と貴方に課せられた使命だから。』

(・・・嘘だ。まさか、母上が言っていた、あの・・・?道理で見つからなかったわけだ・・・いや、待ってください。もしも、この子が本当にそうなら・・・)

少年の霊力によって身体が癒えてきた沈栄仁は、自分の目の前にいる少年に興奮が隠し切れず、その肩をぐっと掴むと、目を輝かせて少年を揺さぶった。

「君の名前は?出身は?君の母上と父上の名前は?!」

「・・・俺の名前はありません。出身は八軒村。父は生まれた時からいません。母は四年前に死にました。」

「母上がいたなら、自分の名前はあるでしょう?」

「名前は名乗りたくありません。母の名も、おそらく俺は本当の名を知らない。俺は・・・俺自身が何者なのかすら知りませんので。」

(何も知らない?・・・それはそれで、いっそその方が事を運びやすいか?)

よく知らない者に自分の事を軽々しく教えないという少年の頑なな態度に、むしろ彼に慎重さや賢さを感じた沈栄仁は、少年の頭をぽんぽんと軽く撫でる。

「分かりました。でも、名前がなくては呼びづらいので、私が貴方に名前をつけてもいいですか?」

「え?あ、はい。」

よほど意外な申し出だったのか、それまで終始暗く無表情だった少年が、きょとんと目を丸くして沈栄仁を見る。

(ああ、良かった。こういうところは年齢相応ですね)

そのあどけない表情に自分の弟を重ねた沈栄仁は、まるで弟がもう一人出来たようだと嬉しくなって、ぎゅっと彼の手を両手で掴んだ。

「寒軒。」

「寒軒?」

「ええ、八軒村の出身なのでしょう?あの地は、冬になると凍えるほど寒いと聞きます。だから、寒軒。安直すぎますか?他の名前がいいなら、他にも・・・八雲。あとは・・・その目にちなんで桜・・・」

「・・・寒軒でいいです。」

口の中で「寒軒」と呟いた少年は、その名が気に入ったのか、少しだけ口の端を上げて微笑んだ。

その表情に沈栄仁は、仮面の下で彼と同じように笑顔になると彼に対して手を真っすぐに伸ばし、握手を求めた。

「寒軒。私は藍鬼です。元は仙人でした。今日から貴方の側仕えになります。これからよろしくお願いします。」

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?