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第38話

明らかにホッとした沈楽清の様子に、夏炎輝は「すまない。ずいぶんと気を遣わせたな。」と、その頭をよしよしと撫でた。

(イケメンで優しくて強くて金持ちで、どこまでもヒロインに一途・・・まさにヒーローだよな、この人。)

少し心に余裕が生まれたからか、さきほどの仮説が頭に浮かび、それを確認しようとした沈楽清の前で、少し厳しい顔になった夏炎輝が先に口を開く。

「ただ、阿清。お前がどこまで知っているかは分からないが・・・妖王・洛寒軒。栄仁からの報告では、仙根と妖根どちらも持つ変わり種で、その出自は不明。若く美しく強い王だと書いてあったが、普段は仮面をつけていて、その姿をきちんと見た者は仙界では栄仁以外他にいない。妖族は変幻自在な者も多いし、先々代妖王にあやかって、仮面をつける者も少なくないしな。」

「え?」

「せめて居場所だけでも分かれば・・・私が知っていた前妖王の棲み家は火事で焼け落ちていて、あいつの居城は不明。栄仁も、それは決して明かさなかったし。」

「いや、炎輝兄様、待ってください。それは本当ですか?」

(寒軒の姿を見た者がいない?それなら、最初にあいつを襲っていた奴らはなんなんだ?それに、玄肖・・・それが本当なら、やっぱり・・・)

「妖王の姿を見たのは、栄仁兄様だけなんですか?玄肖は?」

「玄肖?あいつは仙界へ来てまだ日が浅い上、いつもはお前と同じ天清山にいる文官だ。妖族討伐に出るのはここに住まう者と決まっているから、洛寒軒はおろか妖族に会うことすらないはずだ。」

「・・・じゃあ、妖王に仕えていた間の、栄仁兄様の連絡は誰が?」

「栄仁からの手紙は私が直接受け取っていた。とはいえ、手紙を受け取ったのなんて、5年間のうちで2回だけだ。一度は前妖王が死に、洛寒軒が妖王になった時。あとは、あいつがまるで形見分けのように髪の一房と血だらけになった自分の剣を私に寄こしてきた時。その日以降、あれほど派手に動いていた藍鬼、いや栄仁の姿を誰も見なくなった。だからあいつは死んだとされたんだが・・・」

「死体はない?!」

(死体がなくて、なんで死んでることになるんだよ・・・まぁ、でも俺も一緒か。沈栄仁は死んだって、人が言ってるのを完全に鵜吞みにしてたもんな)

現代科学がまるで無い世界とはいえ、あまりに杜撰な死亡認定に沈楽清は一言物申したくなる。

「あの剣は栄仁にとって大事な父親の形見であり、天清沈派の宗主の証。生きているなら手放すわけがない。それに、もしも身分も何もかも投げ捨てて、どこかへ消えたと言うならば、それはそれで私は複雑だ・・・あいつとは生涯を共にする約束をしていた。戻ったら、必ず一緒になると。最後に会った時、あいつから私にそう誓ってくれた。」

暗い顔をした夏炎輝を慮りながらも、玄肖から直接聞いていた話とはずいぶん違う内容に、沈楽清の頭は逆にクリアになるばかりだった。

(さっきの炎輝兄様の演技を見る限り、この人は嘘をつけない。そんな人が、自分に対してここまで流ちょうに嘘の話をしているとは到底思えない。綺麗な嘘をつけるのは、むしろ玄肖のほうだ・・・)

「どうした?阿清。そんな怖い顔をして。」

「炎輝兄様・・・兄様が、私の事を阿清って呼ぶのは、どうしてですか?天清山でもこちらでも、私の事をそう呼ぶ人はいないように見受けましたが。」

「どうしてって・・・」

沈楽清の問いの意味が分からないのか、沈楽清から視線を外した夏炎輝は、少し口元に手を当てて考え込む。

「栄仁がそう呼んでいたからだ。確かに一般的なお前の呼び名は『天清神仙』だから、お前を阿清と呼ぶのは、今ではもう私だけになってしまったが・・・」

「ならば、門弟が私をそう呼ぶことは?」

「ありえないな。たとえ、どれほど親しくなったとしても、宗主相手に不敬にもほどがある。正式な道侶にでもならない限り、その名で呼ぶことなどあり得ない。現にお前と親しい玄肖だって、お前の事は、きちんと『宗主』と呼ぶだろう?」

「ええ、そうですね・・・それにしても、炎輝兄様。玄肖はあんなに強いのに文官だなんて不思議です。」

沈楽清を訝しみ始めた夏炎輝に対し、これ以上はまずいと思った沈楽清は咄嗟に話題を変えた。

「ああ、あいつは実力がありすぎてダメなんだ。ここにいるのは陸承の腰ぎんちゃくばかりで、だからこそ最近の天清沈派は・・・いや、なんでもない。この話はまた今度にしよう。今は玄肖の話だったな。あいつは真面目で気が利くし、頭の回転も速い。」

「そうですね。」

「私はここで仕事があるから、自分がいなくなったら代わりにお前を守ってくれと言った栄仁との約束が満足に果たせなくて・・・だから、あいつをお前の側仕えに推挙したんだ。」

「玄肖を信じているんですね。他家の、普段ここにはいない文官なら、兄様はほとんど会ったことも無かったでしょうに。」

(もしかして・・・この人、本当は気づいてる、とか?)

玄肖を手放しで誉める夏炎輝に対し、沈楽清は少しかまをかける。

「あいつはいつも明るくて、裏表がなくて話しやすい。それに、とても芯が強い。他家の宗主の私にもきちんと苦言を呈してくれる。正義感が強く、人を選んで態度を変えない。信じるにはそれで十分だ。」

玄肖のことを少し微笑んで話す夏炎輝の様子に、この反応はどっちなんだろう?と引っかかるものを感じながらも、確信を得たわけではない沈楽清は「そうですね」とだけ返事をした。

「ただ、人前であいつと関わるのは避けるようにしているんだ。あいつは私の愛人だと陰で言われている。そのせいで、きちんと評価されない。お前も、白秋陸派があいつをどう扱うか見ただろう?」

「・・・あれは、私への侮蔑から来るものなのかと思っていました。」

「バカを言うな。お前は天清沈派の宗主だぞ。全て、玄肖に対して、だ。」

(いや、それでも、俺を栄仁兄様の代わりにするのか?みたいなゲスい話をする奴も居たからな・・・天清沈派自体がひどく舐められている。まぁ、優秀な宗主が死んで、新しい宗主は引きこもり。その代理は白秋陸派の人間。軽んじられるのも当たり前か・・・)

前途多難だな、と沈楽清が小さくため息をついたタイミングで、馬がいななき、ゆっくりと馬車が止まった。

「今日はこうしてゆっくり話が出来て良かった。阿清。」

綺麗な白い歯を見せて、爽やかな笑顔を浮かべた夏炎輝につられて、沈楽清もにっこりと笑い返す。

夏炎輝に手を引かれて馬車から降りた沈楽清は、「ありがとうございました、炎輝兄様。」と礼儀正しく一礼した。

「ただな、阿清。」

夏炎輝はぐいっと沈楽清を抱き寄せると、ぽんぽんとその背を撫でながら、子どもに言い聞かせるようにその耳元で話し始めた。

「お前が言ったように、妖族にも話ができる者はいるだろう。妖王も、もしかすると話が出来る男なのかもしれない。それでも容易に気を許すな。相手は仙界の敵である妖族。大事なお前に何かあったら・・・私は、栄仁に合わせる顔がないんだ。」

夏炎輝の義弟を想う心にありがたさを感じながらも、断りもなく正面から急に強く抱きしめられた沈楽清は、洛寒軒とは違うその体温や腕の感触や香り、耳元にかかる吐息に肌が粟立った。

洛寒軒が自分の名を呼ぶ温かい声や自分に向けられる優しい笑顔が脳裏に広がり、沈楽清は今すぐ彼に会いたくてたまらなくなる。

(なんで俺、こんな時に寒軒のこと・・・)

大人しく夏炎輝の腕の中に納まりながらも、沈楽清は早くそこから逃れたくて仕方がなかった。

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