ガラガラガラ
梦幻宮から玄冬宮へ向かう石で舗装された道を、沈楽清と夏炎輝が乗った馬車がのんびりと走っていく。
(ドナドナみたい・・・・誰か、この空気をどうにかしてくれ・・・)
自分の優秀な側仕えは、夏炎輝に沈楽清を託すと、天清山に帰るための馬車を用意しに、颯爽と馬に乗ると、さっさと玄冬宮へ向かってしまった。
馬車の中では、何も言わない夏炎輝とベールを外したにも関わらず、恐ろしくて顔を上げられない沈楽清が取り残されている。
(さっきのは、世界中の誰に言ってもいいけど、この人にだけは絶対聞かせちゃダメなセリフだったような・・・)
沈栄仁の道侶だった夏炎輝は、何より憎いはずの妖王を庇う沈栄仁の弟をどう思ったのだろうか。
(怒ってる?情けないと嘆く?それとも・・・)
静まり返った室内で、うつむいた沈楽清は、夏炎輝をちらりとでも見る勇気がなく、ますますその頭が稲穂のように下がっていく。
重苦しい沈黙が続き、この空気に耐え切れなくなった沈楽清が、勇気を振り絞って夏炎輝へ声をかけようと顔を上げたと同時に、目の前の夏炎輝が笑い始めた。
「フッ・・・フフ・・・」
「炎輝兄様?」
密かな忍び笑いから、徐々に声をあげて笑い始めた夏炎輝は、ひとしきり笑った後、沈楽清の頭をよしよしと撫でた。
「あの陰険な白蛇どもに、あんな間抜けな表情をさせたのはお前が初めてだ。すごいな、阿清。」
(陰険な白蛇・・・)
夏炎輝に頭をグリグリと撫でまわされた沈楽清は、夏炎輝から出た白蛇発言に陸壮の姿がぴったりと重なり、思わずクスリと笑ってしまう。
「良かった。ようやく笑ったな。それにしても、お前が人前であれほど話ができるとは驚きだ。それに、あの体術や術。お前はきちんと修行していたんだな、阿清。俺が見ていた限りでは、ただひたすら籠って本を読んでばかりだったから意外だった。ああ、でも、この前、玄肖と修行していたか。」
(え?『沈楽清』は一人で修行ばっかりしていたんじゃないの?)
自分が玄肖から聞いていた『沈楽清』と夏炎輝の彼に対する印象の違いに、言われた沈楽清の方が戸惑う。
今の沈楽清は、元々のスポーツ好きも相まって、本を読む時間よりも身体を動かす時間の方が圧倒的に長い。
そういう時間の使い方をしていて、玄肖から何か口出しされたことは一度も無かったので、沈楽清はてっきり『沈楽清』もそうだったのだろうと思い込んでいた。
「ましてや躾のためとはいえ、虫一匹殺せないお前が人を殴るなんて・・・覚えているか、阿清。飛んでいた蝶が蜘蛛に掴まって、お前はそれを助けようとして、蜘蛛の巣に顔から突っこんで「ベタベタが取れない」って泣いていただろ?地面を這うミミズが干からびて死んでいても憐れんで悲しむお前がな。」
(『沈楽清』はどこまでお花畑な人間だったんだよ・・・俺も虫を殺すの嫌だけど、ミミズが死んでて悲しむことは無いわ・・・)
「本当に信じられないな。もしかして今日の阿清は偽物か?」
夏炎輝の『偽物』という言葉に、沈楽清の心臓がドキッと跳ね上がった。
さっと青ざめた沈楽清の頬を、化けの皮が剝がれたりして、と冗談めかして夏炎輝がちょいちょいと撫でる。
「・・・炎輝兄様・・・」
いつもの控えめで大人しいとされる『沈楽清』のふりをした沈楽清は、自分に出来る精いっぱいの儚げで困ったような微笑みを頑張って浮かべてみせた。
(こういう時、『沈楽清』はどうするんだ?冗談を言う?悲しむ?拗ねる?もう、どうふるまうのが正解か、さっぱり分からない!)
ずっと一人で屋敷にいて修行してばかりいたという『沈楽清』という人物が、沈楽清は人から聞けば聞くほど分からなくなっていく。
「ハハハ、本当に疑っている訳じゃない。ただ・・・今のお前を栄仁が見たら喜んだだろうな、と思ってな。あいつは、身体が弱くて優しすぎるお前の心配ばかりしていたから。でも今は・・・そうだな。一言でいうなら明朗快活だ。今の阿清の方が、私も付き合いやすい。以前は、いつも怯えているようで、どう声をかけていいのかもわからなかった。」
(『沈楽清』は義理の兄が怖かった?なんで?こんなに良くしてくれるのに?)
寂しそうな笑みを浮かべた夏炎輝に、色々な疑問を抱きつつも、先ほどの自身の爆弾発言を思い出した沈楽清は、親切な彼に対して、とても申し訳ない気持ちになり、再び俯いた。
「阿清?」
「ごめんなさい、炎輝兄様。私、兄様の気持ちを考えずに・・・」
「ああ・・・いや、大丈夫だ。お前の言っていることは概ね正しい。」
「でも、兄様の前で言っていい言葉ではありませんでした。ただ、私は栄仁兄様を忘れた訳でも、軽んじている訳でもなくて・・・」
「阿清。悪いのは、あいつらの口汚い言葉や聞くに堪えない噂話だ。」
「・・・ありがとうございます。」
夏炎輝の言葉に、沈楽清はホッと胸を撫でおろした。