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第36話

盛大にたんかを切った沈楽清は、そこでようやく我に返った。

(しまった!)

その場にいた全員から注目を浴びてしまい、居た堪れなくなった沈楽清は一歩二歩と後ずさる。

背中を冷たい汗がダラダラと流れていくのを感じながら、ハハハと乾いた、でも今できる精いっぱいの笑みを浮かべた。

しかし、当たり前ながら、沈楽清が笑顔を見せても、誰一人としてつられて笑うこともなく、むしろぽかんと口を開けて何も言わず、動かず、ただひたすら沈楽清を凝視していた。

そんな無数の視線から逃げ出したい沈楽清は、逃げ場はないかとさっと室内に目を走らせる。

入口は自分がいる方向とは真反対で、自分に一番近いのは天帝がいるであろう玉座に続く階段。

(天帝のいる方へ逃げる?うん、さすがに無理。)

まさかそんなところへ駆け登って逃げるわけにもいかず、にっちもさっちもいかなくなった沈楽清は、どうにか顔に笑顔を張り付けたまま、自分に一番近い位置にいる玄肖を穴が開くほど見つめた。

(ごめんなさい。反省してます。もう怒るでも、呆れるでも、殴るでも、なんでもいいから反応してください!!)

そんな沈楽清の心の声が届いたのか、呪縛から解けたように動きだした玄肖は、隣にいた夏炎輝の服の袖を軽く引っ張るとその耳元で何か囁く。

「え?!」

「頼みましたよ。」

良く知っている義弟の見たこともない姿に言葉も出ず、しばし思考が停止していた夏炎輝は、無理難題をつきつけた玄肖に対して一瞬反応ができず、彼が反論しようとした時には、すでに玄肖は沈楽清の隣に来ていた。

「宗主。失礼します。」

玄肖がすっと高く手を挙げたのを見て、あ、やっぱり鉄拳制裁か・・・と殴られる覚悟を決めた沈楽清の額を、玄賞はそっと触る。

「やはり、すごい熱ですね。」

「・・・はい?」

予想だにしなかった玄肖の言葉に頭がついていけず、間抜けな声を出した沈楽清に、玄肖は床に落ちていたベールをさっと被せると、その顔を誰にも見えないように隠した。

そして、沈楽清を庇うようにして立ち、白秋陸派の面々と相対する。

玄肖は眉をひそめると、頬に手を当て、大きな大きなため息をついた。

「皆様、大変申し訳ございません。当家の宗主は身体が非常に弱く、さらには熱を出すとうわ言を言って暴れる・・・いえ、奇行に走る癖がありまして。それもあって今日まで人前に出すことが憚られたのですが、本日はどうしても連れてこいというので、仕方なく連れて来たらこのようなことに・・・本当に申し訳ございませんでした。」

いつもの奇妙な言葉遣いではなく、流ちょうな標準語で一気にまくし立てた玄肖は、その場にいた全員に向かって、それはそれは見事な最敬礼をした。

誰からも礼讃されそうなほどの完璧な礼儀作法とは裏腹の、荒唐無稽な苦しい言い訳に、度肝を抜かれた沈楽清は玄肖の服の袖をツンツン引っ張る。

「いや、それは・・・」

(熱を出すと奇行に走るって、いくらなんでもそんなことあるか!酒に酔ってるわけでもあるまいし!!)

「・・・そうだったんですね。先ほどもご気分が悪そうでしたものね。これ以上、ご無理なさらない方がよろしいのでは?」

(え?信じちゃった?!)

風金蘭の冷たく聞こえるが、沈楽清を心配する声に、優しくされた沈楽清の方が目を丸くする。

「ホントウニ、イツモイツモコマッタモノダナ。サァイコウカ、阿清。」

(・・・演技下手すぎるだろ・・・)

さきほど玄肖に何事か耳元で言われていた夏炎輝の、かくかくした動きと片言で話す様に、彼に応援を頼んだ玄肖のこめかみが引きつる。

「これ以上皆様の前で何かしでかしてはいけないので下がらせていただきます。本日のお詫びは、宗主の道侶予定である、当家の宗主代理から必ず。それでは、陸承殿。この後はどうぞよろしくお願いいたします。」

(あ、どさくさに紛れて『予定』をすごい強調した・・・)

立て板に水のような弁舌で、陸承に全責任をおしつけた玄肖は、そのままその場から逃げようと沈楽清を抱き上げようとしたところで、その手を夏炎輝に止められた。

「夏宗主?」

「お前では大変だろう?私が連れて行く。お前は帰る用意を。」

「・・・ありがとうございます。」

夏炎輝の申し出に一礼した玄肖は、走るようにしてその場を後にした。

それに続いて夏炎輝も沈楽清を軽々と抱き上げると「失礼する。この話しの続きは半月後の定例会議の時に。」と沈楽清をあっという間に外へと連れ出した。

天帝のいた広間を抜け出て、長い廊下が見えたところで、沈楽清はほっと一息つく。

「兄様。ありがとうございました。もう・・・」

「いい。しっかり掴まっていろ、阿清。」

「・・・はい。」

しかし、夏炎輝の腕の中、その太い首に両手を回し抱き着いた沈楽清は、廊下ですれ違う人々が「見て、あれ。」「栄仁様の弟君と夏宗主?」「一体何をしているのかしら?」「・・・ずいぶん、仲が良いんだな。栄仁様が亡くなって、まだ半年だというのに。」などと全員がひそひそ言っているのが耳に入ってきてしまい、その会話の内容に困惑する。

(もしかして、これ、まずいのか?)

「兄様・・・」

「気にしなくていい。言わせておけ。病弱な義弟を介抱しているだけだ。」

「はい・・・」

毎回毎回、色々な男性からさも軽い荷物のようにお姫様抱っこで運ばれることに、沈楽清はさすがに男性としてどうよ、と自分が情けなくなってくる。

(・・・沈楽清は本来モブだろ・・・この作品のヒロインは・・・)

あまりに軽々と抱き上げられる己に対し、どうにかして筋肉をつける術はないかと頭を悩ませた沈楽清は、頭に浮かんだ『ヒロイン』というキーワードに、ここに来てからの玄肖と夏炎輝二人の言動がふと頭に浮かぶ。

二人が一緒にいるときの、あのなんとも言えない独特な空気。

(ヒーローは、ヒロインのピンチに必ず駆けつけるもの・・・しかも、相当かっこよく登場するもの。二人が一緒にいると妙に絵になって、流れる時間がスローモーションになる。それが絶対のセオリーだって、美玲姉の口癖だったような・・・それに、どうして忘れてたんだろう。美玲姉は、栄仁兄様を『死んだ』とは言ってなかった・・・)

沈楽清の中で、ある一つの仮説が頭の中に浮かんでいた。


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