バン!!
それまで洛寒軒への誹謗中傷で盛り上がっていたその場が、沈楽清が発した音で、一瞬でシーンと静まり返る。
「宗主!」
慌てた玄肖が強く彼の手を引っ張ろうとしたが、沈楽清はその手を振り切ると、つかつかと白秋陸派の席に近づき、「今の発言はどなたが?」と冷たい声を出した。
「私ですけど?」
先ほど沈楽清の手を掴んだ男がヘラヘラと笑いながら手を上げる。
「そうですか。」
微笑んだ沈楽清は彼に近づくと、その頬めがけて思いきり扇子を振り下ろした。
バシッと凄まじい音がその場に響き渡る。
沈楽清にいきなり殴られるとは思っていなかった仙人は、突然のことに防御も取れず、叩かれた勢いのまま床に崩れ落ちた。
「一体何を?!」
「おい、沈楽清!お前・・・」
陸承は立ち上がると沈楽清の肩を強く掴んだ。
次いで、他の人間も沈楽清の腕を掴む。
乱暴に掴まれたことで、ふわりと白いベールが落ちて、沈楽清の少女のような美しい顔が顕わになった。
沈楽清の身体を拘束していた仙人達は、その容姿に一瞬見惚れ、思わず手を緩める。
「無礼者。」
沈楽清はそんな彼らを冷たい目で一瞥すると、その手に持った扇子を次々に一閃させた。
ある者は頭、ある者は首、ある者は腹部。
霊力をわずかに込めた扇子で思いきり叩かれ、叩かれた方はあまりの衝撃に叩かれた箇所を押さえてその場にうずくまる。
自分に触れた相手全員に扇を打ち込んだ沈楽清は、そんな彼らを冷めた目で見下ろした。
「・・・私程度に敗れる人間が、鬼のように強かった私の兄を殺した妖王を討伐?あなた方は己の力量も分からぬ者の集まりですか?」
沈楽清の言葉にカッとなったのか、白秋陸派の面々が次々に沈楽清に対して剣を抜く。
「宗主!」
「阿清!」
剣に動じることなく睨みつける沈楽清を、彼らから守るように玄肖が抱きしめ、そんな二人を庇う形で白秋陸派の面々の間に立ちはだかった夏炎輝は、「天帝の前で剣を抜くとは何事か!」と一喝する。
夏炎輝の言葉に、少し冷静になったのか、白秋陸派の面々は顔色を変え、急いでその剣を収めた。
「おや、夏宗主。なぜ当家を責めるんです?最初に攻撃したのは天清神仙です。天清神仙、当家の者に手を出した責任をどう取られますか?」
冷静を装いながらも、声に怒りを滲ませた陸壮に対し、沈楽清はふっと冷たい笑みを見せた。
「陸宗主。そうおっしゃるのであれば、まずは門弟の教育をしっかりなさるべきかと・・・最初のあれは躾です。私が誰かお忘れですか?他家の宗主に対して、一礼もせずに直言するなど、一体どんな教育を受けているんです?その後、私に何の断りもなく触れたのは?その上、剣を抜き、手を出そうとしてきたのは誰か・・・これは正当防衛では?それで、私に責任を取れと言われましても・・・礼儀作法は全ての仙人が最初に学ぶことのはず。白秋陸派は習われないのですか?」
いつもの感情に任せた怒り方ではなく、淡々と冷静に話す沈楽清の静かな怒り方に対し、玄肖はぞくりとしたものを感じていた。
しかしこれ以上場が荒れるのを防ぐため、「宗主。お気持ちはわかりますが、どうか謝ってください」と耳打ちする。そんな玄肖に、沈楽清に「邪魔をするな」と冷たく一瞥した。
「そもそも洛寒軒に関する話のうち、事実はいくつあるのです?人づてに聞いたというものばかりで、根拠はどちらに?まさか冤罪で妖王を討伐なさろうと?仙界は卑怯者の集まりですか?」
「なっ?!」
「さらに、もう一つ。洛寒軒が半妖なことと不吉なことは一体どんな因果関係が?だいたい生物は遺伝子の掛け合わせで決まるもの。仙人と仙人の子であるから私が生まれたように、洛寒軒は妖族と仙人の子というだけでしょう?そもそも出自に関して彼にはなんの責任もないはず。それともあなた方は親を選んで生まれて来たんですか?」
シーン・・・
沈楽清の淡々とした、それでも奥底に激しい怒りを潜ませた話し方とその理路整然とした内容に、白秋陸派の面々はもちろん、彼を守ろうとしていた夏炎輝や玄肖ですら、ぽかんと呆けたように沈楽清を見つめた。
「生きているだけで害悪・・・生存権をご存じですか?人は生まれながらにして生存する権利を有しているものなのですが・・・ああ、あと幸福追求権という権利もありますね。そもそもあなた、洛寒軒に一体何をされたんです?どんな恨みつらみがあって、彼の不幸を願うような発言を?」
悠然と微笑んだ沈楽清は、最初に扇子で叩いた男の近くに近寄り、男の顎を扇子でくいっと上げると、微笑んだ顔のまま「答えろ」と低い声を出した。
「あ、ありません・・・」
口元は微笑みながらも目が完全に座っている沈楽清の気迫にのまれた男は、頭をこすりつけるように沈楽清に対して土下座すると何度も「ごめんなさい」と謝った。
「・・・まずは礼儀作法から。そして、もっときちんと勉強しなさい。あと、根も葉もない噂を信じる前に、真実かどうか自分の目で確かめるように。」
自分の足元で頭を下げる男から視線を外した沈楽清は、その場にいる全員を一人一人ゆっくりと睨みつけると高らかに宣言した。
「妖王・洛寒軒は私の兄の仇。ですが、私は彼からどうして兄を殺したのかを理由を聞いていません。また、彼がどんな人物で、どんな功罪があるのかも私は知らない。そんな不確かな状態で、討伐などおかしな話でしょう?判断するには材料が足りなさすぎます。彼を断罪したいというのであれば、彼から討伐に足ると判断するような自白を引き出すか、彼が重罪人であるという証拠を集めるかするべきです。きちんとした手順を踏まない限り、洛寒軒討伐には同意できません!」