重々しい黒い扉の中に入った沈楽清の目に、中央におかれた円卓とそこに集まる人々、そしてその奥へと続く長い階段の先、幾重にもかけられた布の下からわずかに見える人の足が目に入った。
「宗主。こちらへ。」
再び玄肖に手を引かれた沈楽清は、階段に一番近い場所に位置する黒い椅子へ誘われ、そこへ座るよう促される。
自分の右側には年若い見知らぬ色男が、自分からそっぽを向くように座っている。
玄肖は自分の左側の椅子に座ると、机の下で沈楽清の左手をそっと握った。
「・・・これで揃ったようだな。まったく、年若いお二人は随分と支度に時間がかかるらしい。すでに女性の風金蘭殿が来ているというのにな。」
沈楽清から見て、西の位置、白い椅子に座った男性が苦々しく苦言を呈する。
(これが、白秋陸派の宗主、陸壮殿・・・)
一見すると30代半ばの外見をしていて、世間的に見ればイケオジと称されそうな外見の陸壮だが、その身に纏う空気はどこか冷たく狡猾そうで、沈楽清は(苦手なタイプだな)と警戒心を強めた。
彼の両横には二人の仙人が座っており、さらに後ろの方には護衛のような仙人が何人も控えている。
その中に、さきほど玄肖を追い払おうとした人物を見つけた沈楽清は、あれは白秋陸派の仕業だったのか・・・と彼らの無礼を苦々しく思った。
自分の真正面、南の位置に座った夏炎輝はそんな陸壮に対して、ハハっと豪快に笑う。
「すみません。年若い我々は、あなたほど早起きが得意ではないもので。」
(うわぁ・・・)
バチっと二人の間に火花が散ったのを見た沈楽清は、二人の後ろにハブとマングースが見えてしまい、思わず笑いそうになってしまう。
玄肖に言われた通り、ばさりと白い扇子を広げた沈楽清は、目深にかぶったベールの前にそれをかざし、その表情が誰からも見えないようにした。
「・・・天清神仙。ご気分でも?」
陸壮と同じく30代半ばの青いチャイナドレスを着た豊満な肉体の艶やかな美女が、顔を隠した沈楽清を一瞥し、声をかける。
(この美女が、春陽風派の宗主・風金蘭殿)
唯一の女性宗主である風金蘭に、沈楽清は顔を隠したまま一礼する。
「申し訳ございません。宗主は人前に出ることが無いもので、ひどく緊張しておりまして。
どうかご容赦を。」
その場に立ち上がり、深々と一礼した玄肖に、「そう」と風金蘭は素っ気ない返事をした。
「本日はお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。本日お話したいのは、当家の前宗主を殺した妖王についてです。また、前宗主が殺されて半年。そろそろ天清沈派がこれからどうしていくかも決めていく時期かと思いまして、皆様にお集まりいただきました。」
自分の右隣に座っていた人物が、いきなり滔々と話し始めたのを聞いた沈楽清は、扇子の下からそちらをちらりと見る。
(この妙に女性にモテそうな色男が、陸承なのか?目の色といい、髪の色といい、顔つきといい、全体的にずいぶん父親と似てないんだな・・・)
親である陸壮が塩顔イケメンだとすれば、この陸承はソース顔イケメンというべきだろう。
明るい栗色の髪を高い位置で結わえて背中に流し、金色に光る瞳は、まるで肉食獣を思わせるようなどう猛さをにじませている。
くっきりと目鼻立ちが通っていて、知らない人が見れば、別の国から来た異人のようにみえるだろう。
エキゾチックな顔立ちの玄肖と比べても、それ以上に彼は西洋人のように見える。
「・・・陸承殿。貴殿は、天清沈派の宗主『代理』。今回の議題、そちらにいる宗主はご存じなのか?」
「夏宗主。もちろんです。」
やや不快感を示した夏炎輝に対し、いけしゃあしゃあと陸承は笑みを返す。
(いや、何も聞いてないし!)
隣に座る玄肖と繋いだ手をきゅっきゅっと握ると、彼もそっと首を横に振った。
(え、なにこれ・・・これから何が起こるの・・・?)
一抹の不安を覚えた沈楽清は、固唾をのんで陸承の次の言葉を待つ。
「主に、妖王討伐と、あとはそちらのお二人の婚姻の日取りについて、という解釈でよろしいかな?」
陸壮の勿体をつけた言い回しに、沈楽清は思わず扇子を取り落としそうになった。
(妖王討伐と・・・結婚の日取り?!)
思わず立ち上がりそうになった沈楽清を、玄肖が左手をぎゅっと握り、思い留まらせる。
「・・・妖王討伐に関しては賛成だが、婚姻の日取り決めについては承服しかねる。そもそも天清神仙は今回初めてこちらへ来て、慣れないことに戸惑っているはず。ここでの生活に慣れてからでもよいのでは?」
はぁっと大きくため息をついた夏炎輝は、陸承を睨みつけると沈楽清を庇う発言をする。
「そうはいいますが、夏宗主。彼らの婚姻については前宗主・沈栄仁様が「弟が18になったら」と言っていたそうですが・・・あなたはあなたの道侶の言葉を反故になさるおつもりで?それとも・・・彼の身代わりに天清神仙をあなたの道侶にでも、とお考えですか?まぁ、兄弟が亡くなればもう一人を娶るというのは珍しくはない。沈栄仁様はそれはそれはお美しいお方でしたが、この天清神仙もたいそう可愛らしいお方だそうですし。兄弟は具合も似ているといいますしね。」
陸壮の隣にいる男の、酷く下卑た言葉に合わせ、白秋陸派から笑いが起きる。
(何なんだ、こいつら!なんて失礼なことを。しかも、天帝の前じゃないのか?!)
扇子を持つ手が震えた沈楽清を宥めるように、「宗主」と小さく玄肖が声をかけた。
「大丈夫です。夏宗主は、この程度の挑発にのるような小さな男ではありません。」
耳打ちした玄肖に、沈楽清は小さく頷くと、玄肖に対して小声で話しかけた。
「直言をお許しいただけますか?」
沈楽清の耳打ちに大きく頷いた玄肖が、その場に立ち上がる。
そんな玄肖の言葉を、夏炎輝が「どうぞ」と促した。
夏炎輝に促された玄肖はその場で深々と一礼すると、その姿勢のまま話し始める。
「宗主はただいま大変混乱しておいでです。そもそも妖王討伐の件でと言われて出向いたのに、己の結婚の話になるとは・・・できれば、今回は妖王討伐の件のみを。婚姻の件はまた日を改めて欲しい、とのことです。」
(おーい、俺、何も言ってないけど?あいつらムカつくとは言ったけど・・・)
そもそも、玄肖の説明では、妖王討伐の話が逸らしようがないものになってしまう。
「玄肖!」
「・・・仕方ありません、宗主。今は、自分の身を危険に曝すか妖王を売るかの二択です。」
「なんだよ、そのありえない二択は!」
扇の中でボソボソと喋る二人を横目に、風金蘭が口を開いた。
「では、今回は妖王討伐のみで。そもそも兄が殺されて、天清神仙の御心は晴れないはず・・・洛寒軒を始末するまでは、婚姻など考えられないのでは?」
「確かに、その通りだな。さすがは風金蘭殿。」
(お願い!そこには同調しないで!!)
風金蘭に対し、にこりと笑みを浮かべた夏炎輝は、次いで沈楽清の方を見るとウインクをする。
良かったな、と言わんばかりのその振る舞いに、沈楽清は頭を抱えたくなったが、玄肖の右手をぎゅうと掴むだけで何とか耐えた。
「とはいえ、妖王の討伐だが、未だに本当の顔も姿も分からない妖王を、まずはどうやって本物だと見分けるつもりだ?前はあいつの隣に栄仁がいたから、あいつが妖王だと分かったが・・・そもそも妖王を最後に見たのはいつだ?そもそも洛寒軒は生きているのか?」
「顔は分からないが、仮面はいつも同じだろう?仮面で見分けられないのか?」
「だが奴は変化も得意です。特に人間の姿の時は、どこにでもいるような姿かたちをしていますからね。」
洛寒軒の人間に化けた姿が『どこにでもいるような姿かたち』と陸承に指摘された沈楽清は、心の中で(平凡で悪かったな。それが一番人ごみに紛れるんだよ!お前じゃスパイなんて出来ないだろ!)と毒づいた。
「そもそも、顔を知らないってどういう事?俺がいつも見ている寒軒は偽の姿なの?!」
情報量が多すぎて、頭痛がしてきた沈楽清に、玄肖は「とにかく耐えてください」と耳打ちする。
気を取り直した沈楽清は、とにかく何も考えないようにしようと、目の前の光景を生暖かい目で見守ることにした。
(これは音楽、そう音楽だ・・・耳障りだけど、聞き流してしまえばいい)
しかし、徐々に彼らの話の中身が妖王の悪口や彼の悪い噂になってきたことで、沈楽清の顔が徐々に引きつり始める。
(手当たり次第見かけた女を乱暴するとか、物見遊山に大量虐殺をするとか、助かりたいなら殺しあえって言って人間同士を殺し合わせたとか、一体それはどこの洛寒軒の話なんだよ?!あいつがそんな事するわけないだろ?!しかも全部噂話って・・・なんでそれを、さも真実のようにこいつらは話すんだ?!バカなのか?!そもそも、誰が醜いって?!あいつの顔を見たことない癖に!あいつは美人だ!ここにいる誰もあいつの足元にも及ばないっつーの!!)
沈楽清に対し、仙人が自分を綺麗と言ったのは初めてと笑った洛寒軒を、沈楽清は思い出す。
毎日こんな根も葉もない噂や悪意に晒されて生きているなんて、自分だったらとても耐えられないと、沈楽清は洛寒軒の立場を思う。
(強いな、寒軒は。俺なら、きっと・・・)
自身の過去を思い出した沈楽清は、雑念を振り払うようにぶんぶんと頭を振った。
帰ったら好きなものを作って、洛寒軒を好きなだけ甘やかそうと心に決めた沈楽清は、とにかくこの時間が早く過ぎることを祈る。
視線を泳がせると、夏炎輝や風金蘭、玄肖は彼らを呆れたように眺めており、決して口を開こうとしない。
それだけで、仙界にも、ちゃんとまともな人がいて良かったと、沈楽清の心が少し和んだ。
「そもそも、あの中途半端な半妖は生きているだけで害悪だ。仙根と妖根どちらも持つなんて・・・なんて不吉な!呪われている!生まれてきてはいけなかったし、どうせ誰からも必要とされないし、愛されないんだ!!」
その発言に笑いと拍手が巻き起こる。
白秋陸派の誰がそれを言ったかは、全員と初対面な沈楽清には分からなかった。
それでも・・・
(許せない)
プツンと堪忍袋の緒が切れた沈楽清は、白い扇子をゆっくり畳むと、それで目の前の円卓をバシッと思いきり叩きつけた。