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第32話

いつも以上に頭のてっぺんからつま先まで全身真っ白な衣装を着せられた沈楽清は、洛寒軒と一度も顔を合わさぬまま、玄肖に連れられ、屋敷から玄冬宮まで降りていった。

(移動って馬車なのか?すごいな、初めて乗るんだけど・・・)

てっきり術や御剣で行くと思っていた沈楽清は、玄冬宮の前に止まっている馬車を見て、「何日かかるの?」とワクワクした表情で玄肖に問いかけた。

「半日ほどやで。今日は梦幻宮内にある天清沈派の屋敷に泊りますから、そのおつもりで。」

「え?でも・・・」

先に乗るよう促された沈楽清は、馬車に乗ると、天清山の頂上付近にある玄冬宮の離れへと視線を向けた。

視線の先、山の上の方に見慣れた黒塗りの門が見える。

誰もいないはずなのに、なぜだか沈楽清はそこに洛寒軒が立っている気がして、門が見えなくなるまで窓から屋敷を見続けた。

「宗主?」

「・・・寒軒には、なんて?」

「出かける、とだけ伝えてあるわ。本日は奥の書斎にこもるようにお願いしてん。あそこは少し特殊な空間で、宗主の許可を得た者以外はたどり着けません。」

「そうだったの?でも俺、許可なんてしてないけど?」

「許可証を渡してん。ああ、あと食事は炊事場に。布団と寝間着はいつもの場所にありますから大丈夫やろ。」

用意が良い側仕えに「ありがとう」とお礼を伝えつつ、この三日でずいぶんと洛寒軒が自分の屋敷に詳しくなっていることに沈楽清は思わず笑ってしまう。

「少し、眠っていい?昨日、ほとんど寝てないんだ。」

「どうぞ。」

沈楽清は玄肖に断って少しだけ目を閉じた。

(寒軒・・・)

沈楽清は、昨晩から今日にかけてのことを思い出す。

朝は怒って追い出してしまったけれど、怒りの大部分は恥ずかしさからで、決して嫌ではなかった。

今日こうして離れると聞いていたなら、ちゃんと仲直りしてから出てきたのに・・・

(帰って、桜雲がいなくなっていたら・・・どうしよう・・・)

「離れたら、もう二度と会えない」と言った洛寒軒の寂しそうな、悲しそうな顔を思い出す。

眠れなくなって目を開けた沈楽清は、向かいに座る玄肖に「聞いてもいい?」と問いかけた。

「なんでしょう?」

「玄肖は・・・誰かを好きになったこと、ある?」

沈楽清の思いがけない問いに、少しだけ目を見張った玄肖は、フッと笑うと、胸の辺りをぎゅっと握った。

「・・・ありますよ。」

「どんな人?」

「・・・一言では言い表せません。明るいといえば聞こえはいいですが、無神経でお節介で、鈍感で・・・どこまでも優しい・・・太陽のような人です。」

「その人とは?」

「別れました。」

「どうして?」

「・・・私が、裏切ってしまったから、ですかね・・・」

そこまで言って、玄肖は目を少し瞑ると、フフッと沈楽清に向かって優しく笑った。

「意外やね、宗主・・・洛寒軒、ですか?」

「うん・・・最初は、父さんみたいって思ったんだ・・・俺、父親が生まれた時からいなくて、父親ってものを知らないんだけど、なんとなく、あいつの優しさや俺を思って言ってくれる厳しい言葉とか見てて、きっと、こういうものなのかな?って・・・」

「父・・・」

沈楽清の父親発言に思わず絶句した玄肖は、心の中で洛寒軒に同情する。

「でも・・・」

「でも?」

「・・・昨日、押し倒されてキスされて・・・それで、さすがに違うって思った・・・」

俯いたまま顔を赤らめた沈楽清に、それまで皆無だった色気が少し見えたことで、玄肖はちゃんと情緒が開花してくれたようで良かったと安堵する。

「宗主・・・彼が好きですか?友人やのうて、ましてや父親でもなく、一人の男として。」

「・・・分からない・・・」

「そうですか。」

しばらくお互いに無言で馬車に揺られていた沈楽清と玄肖だったが、やがて玄肖が梦幻宮や他家について話し始めたのを見て、沈楽清はそのまま黙って、それに耳を傾けていた。


(ここが、梦幻宮・・・)

馬車で城門をくぐり抜けたところで、美しい黒塗りの宮殿が見え、沈楽清は思わずほぅっとため息をついた。

馬車が宮殿の前につき、一人の仙人が恭しく扉を開ける。

「天清神仙。ようこそお越しくださいました。」

玄肖が先に降り、扉を開けた仙人に挨拶をすると、沈楽清に向かって手を伸ばした。

「お手をどうぞ、宗主。」

「ありがとう。」

馬車から降り立った沈楽清に、白いベールのようなものを被せた玄肖は、沈楽清の手を取ると屋敷の中に誘った。

「宗主、これが当家の屋敷やで。名前は玄冬宮。本家と同じ名前やね。」

「うちの屋敷?え?梦幻宮じゃなくて?」

「梦幻宮はもっと奥ですよ。」

こちらへ、と促された沈楽清は、宮殿の中に入ると、まっすぐ抜けた先の窓まで案内される。

白いベールをわずかに上げた沈楽清は、その光景に言葉を失った。

西に白い宮殿、南に赤い宮殿、東に青い宮殿が見え、宮殿と宮殿の間を城壁が取り囲んでいる。

その真ん中、四方の宮殿や城壁に守られるような形で、銀や金色の細工で彩られた光り輝く朱塗りの壮麗な宮殿が見えた。

「あれが梦幻宮です。その周囲を取り囲む四方の宮殿はそれぞれの家のものやね。本来、各家の宗主はここへ住み、自領は門弟に治めさせとります。もしもあんたが宗主になれば、あんたはここに住まうことになりますので、そのおつもりで。」

「すごい・・・紫禁城みたいだ・・・」

「え?」

「あ、俺の世界でも、こういう歴代の皇帝が住んでいた宮殿があるんだ。その一つに似てる気がして・・・」

「なるほどな。そうなんやね。さぁ、宗主。宗主のお部屋へご案内します。明日の朝、梦幻宮へ行きますので、今日はゆっくり休んでな。慣れへん旅路で疲れたやろ?」

「うん・・・ありがとう。」

玄冬宮の最上階、その最奥にある部屋へと案内された沈楽清は、部屋の中に玄肖と共に入ると、玄肖からすぐに結界を張るように促された。

「結界?どうして?自分の屋敷だろう?」

「・・・ここは、いつもの屋敷やない、宗主。ご自分の身を守るため、とお考え下さい。私がここから出たら、この部屋の中に誰も入れへんように。外でどんな物音がしても、誰から声をかけられても、絶対に結界を解かず、一歩も部屋から出んとってください。」

(もしかして、幽霊や化け物が出るの?)

小さい頃に見た黒髪お化けがテレビから這い出てくる映画のせいで怖いのが大の苦手な沈楽清は、こくこくと頷くと「わかった」と返事をする。

「ああ、宗主。これを。」

玄肖に杯を渡され、水を注がれた沈楽清は、それを一口飲んだ。

「なにこれ?」

てっきり水だと思っていたのに、ずいぶんと甘い味がする。

(なんだろ、茘枝っぽいけど・・・)

「このへんでとれる果実水やねん。水と一緒にこれも置いていきますので、良ければ飲んで下さい。」

沈楽清が一杯飲み干すのを見届けて、「失礼します」と玄肖は部屋の扉を締め切った。

さてと、と沈楽清は彼に言われた通りにまずは結界を張る。

自分の屋敷の私室とよく似た調度品で整えられた部屋をぐるりと一周歩いた沈楽清は、剣を腰から外し、持って来ていた過ごしやすい服へと着替えた。

着てきた服を衣紋かけにかけようとして、沈楽清はふと箪笥の上に水差しのお盆と一緒に置かれた水晶玉のような瑠璃色の宝玉を見つける。

(あれ、さっきまであった?)

部屋に入ってきた時にはなかった気がするけど・・・と、沈楽清は宝玉へとそっと手を伸ばした。

(占い師の水晶玉みたい・・・ああ、でも、あれは透明か)

宝玉に指先が触れた瞬間、「楽清」と呼ぶ、洛寒軒の声がどこからともなく聞こえた気がした。

「え?桜雲?」

沈楽清はきょろきょろと周囲を見回したが誰もおらず、手にした玉をじっと覗き込むも、中には自分の顔が映るだけでそれ以外は何も映らない。

(とうとう幻聴まで・・・)

「こんなことなら、桜雲と仲直りしてくるんだった・・・」

沈楽清は、どさりと寝台に横になると、手にした玉を野球ボールのようにぽーんぽーんと何度か上に投げては胸の前で掴むを繰り返した。

そして、はぁっと大きなため息をつく。

小さい頃から当たり前だった誰もいない一人の空間。

5歳になるころには、もう寂しいと思うこともなくなっていた。

この世界に来てからも、玄肖と共に修行している時以外はずっと一人だった。

それなのに・・・と沈楽清は思う。

「たった、三日なのに・・・なんで弱くなっちゃうかな・・・」

あの日以降、人のぬくもりなど求めたことが無かった沈楽清は、誰とでも仲良くする代わりに人と深く付き合うことを無意識のうちに避けて生きてきた。

そんな自分に対して、いきなりズカズカと、心の奥深くへ入ってきた人物。

「寒軒・・・」

沈楽清は周囲を見回し、洛寒軒も誰もいないことを確認すると、瑠璃色の玉をぎゅっと胸に抱き、祈るような声を出した。

「お願い、桜雲・・・帰らないで・・・俺を、一人にしないで・・・」

長旅の疲れが出たのか、急に眠気に襲われて眠ってしまった沈楽清の胸の中で、まるで沈楽清の声に応答するかのように、宝玉が小さな小さな光を放った。


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