「宗主、入ります。よろしいですか?」
「どうぞ。」
沈楽清の返事を待たずに、部屋の扉を開けた玄肖は、きちんと着替えて長椅子に座って本を読んでいる沈楽清を少し意外に思いつつ、彼に許可を取って隣に座る。
「おはようございます。妖王と色々あったそうやね。彼から事の顛末は聞きましてん。未遂のようで良かったやけど・・・」
「おはよう、玄肖。俺も、お前に聞きたいことがあるんだ。」
本をパタンと閉じた沈楽清は自分に向かって楽しそうに笑う玄肖の手をぐっと掴むと、鋭い眼差しで睨みつけた。
「寒軒を使って、何をしようとしている?お前は俺をどうしたいんだ?」
「・・・いきなりなんです?」
「妖王のあいつが、自分から俺を妻にするなんて発想をするはずないんだ。本来、あいつは『沈楽清』を拷問にかけたうえ、乱暴して殺す存在。わずかでも『沈楽清』を好ましく思うのであれば、あいつは『沈楽清』を嬲り者にせず一思いに殺したはず。そんな『沈楽清』に何の感情も持てなかったあいつが、たかだか三日で自分から俺を妻にしたいなんて望むはずがない。誰かの入れ知恵があったと考える方が妥当だろう?違うのか?玄肖。」
睨みつけて手首をつかみながらも、捻りあげることが出来ない沈楽清を見て、玄肖はクスクスと笑うと、簡単にその手を振りほどく。
「・・・あんたがそうだから、ですよ。沈楽清。」
いつもの陽気な笑顔を消し、真剣な表情になった玄肖は、沈楽清の手を取ると、幼い子に言い聞かせる時のようにその手を両手で包んだ。
「あんな、沈楽清。昨日、妖王から宗主の仕事について聞いたやろ?どこまでも甘いあんたに宗主が務まるとでも?今も、私の手首を折るでも、いっそ恒心で切りつけるでもしてくれればまだ見どころがあったのに。」
(ここはマフィアの世界なのか?!なんでそんなに暴力至上主義なんだよ!バイオレンス映画でもあるまいし!)
玄肖のあまりに過激な発言に、沈楽清はいやいやと首を横に振る。
「そんなこと、できる訳ないだろ?」
「やろな。そやからダメなんやで・・・ただ、あんたを陸承にやる気はもうありません。中身は違っても、その身体は『沈楽清』。下手にあんたを渡して、白秋陸派にこれ以上力をつけられては困ります。ただ、残念なことに白秋陸派より力がある人間はほぼいません。そのうちの一人である夏宗主は、あんな調子なのであんたをお願いすることは出来ませんし・・・あんたを託せる人なんて、もう妖王しかおらへんやないか。」
「俺が女ならともかく、そんな理由でいきなり男を妻にと押し付けられる寒軒の気持ちはどうなるんだ?!それに、俺が妖界へ行ったら、それこそ仙界が妖界へ戦争をしかける火種になるんじゃないのか?・・・玄肖、まさか寒軒を殺すために、俺をあいつにやろうとしているんじゃないよな?」
ひどく低い声を出した沈楽清に、一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした玄肖は、くっくっくと笑い始める。
「まさか!そんな回りくどいことはしませんよ。」
「本当だろうな?」
「あんたの目に妖王がどう映ってんのかは知りませんが、彼はあんたを気に入っとりますよ?昨日一日、あんたが不用意に挑発したとは言うても、何があったか忘れたんですか?それとも、妖王は誰とでも簡単に寝るような好色家だとでも?」
「・・・あいつは、そんな奴じゃない・・・」
出会ったばかりで本当のことなど何も知らないと思いつつも、沈楽清の中では洛寒軒に対するどこか絶対的な信頼がある。
何より、昨日の一件で、自分に対して好意があることくらいは、さすがに鈍い沈楽清でも気がついていた。
「寒軒自体は嫌いじゃないっていうか、綺麗だし、見てて飽きない良い身体してるし・・・優しいし・・・男同士っていうのはどうかと思うけど、もともと俺はそういう意味で誰かを好きになったことないから、どういう性的思考だったと聞かれても分からないけど、色々されても嫌じゃなかった・・・ただ、なんていうか恋愛の醍醐味ってあるだろ?!文通とかデートとか告白とか・・・もっとこう、恋愛において大事な、仲良くなる過程っていうか・・・本当に、何もかもすっ飛ばして、いきなり抱いて妻にされるのは・・・プロポーズ、とかさ。なんていうか、こう、そう!ロマンチックなもの!運命を感じる!みたいな。」
「うん・・・?」
妙に貞操観念が高い上、恋愛観が古い生真面目な沈楽清には、この世界のルールはとても納得できるものではなかった。
しかし、この世界の住人である玄肖からすれば、目の前の沈楽清が何を言っているのかさっぱりよく分からない。
「あんたの世界では何やらめんど・・・ややこしい決まりが色々あるようやけど・・・妖王が嫌でないのであれば、ちゃっちゃと抱かれて、彼と共にここから立ち去ってや。あんたはほんまの『沈楽清』やないんやから。ここで一人きりでいる必要も、本意やない相手に添わされて不幸になる必要もないねん。」
洛寒軒とのことをやたらと後押しする玄肖に、ショックを受けた沈楽清は悲し気に目を伏せた。
「やっぱり、そうなんだね・・・そんなに俺が邪魔だったんだ・・・」
「・・・何?」
すねた発言をして顔を背けた沈楽清に対し、玄肖が僅かに気色ばむ。
「お前はこの一か月間、俺を見ていて、俺が宗主になれないと見切りをつけたんだろ?そんなに俺が邪魔だったなら、最初からそう言ってくれれば良かったのに!」
かんしゃくを起こした沈楽清に、ぐっと奥歯を噛んだ玄肖だったが、努めて無表情になると、それで?と沈楽清が最後までしゃべるように促す。
「本来の宗主である『沈楽清』であればどうだったか知らないけど、お前にとって俺は、身体は『沈楽清』でも中身は仙人が守らなくてはいけないとされるただの人間だ!仙人は人間を守らなくてはいけない。真面目なお前はそれに従うしかなかった。役立たずな俺をどうしようと思っていたところに、ちょうどよく洛寒軒が現れたんだろ?・・・お飾りの俺がいなくなっても、この天清沈派はたいして困らないもんね!」
「・・・」
自虐する沈楽清に対し、こめかみを押さえた玄肖は感情を押し殺すように大きくふぅと息をつく。
「今のあんたに何から話したものかと思いますが・・・一旦話はここまでにして、まずは、一緒に来てや。宗主。」
「・・・どこへ?」
「梦幻宮や。天帝からあんたに呼び出しがかかりました。おそらく洛寒軒の討伐の件やろ。」
「!!」
思わず長椅子から立ち上がった沈楽清に対し、玄肖は「落ち着いてください」と声をかける。
「あんたに洛寒軒を殺せゆうような命は下りません。今回は仇とされる彼の者をどうしたいか、ちゅう意向確認程度やろ。討伐には、夏宗主が志願するはずやで。」
「寒軒を殺すなんて絶対出来ないし、他の人でも許せない。でも、俺がおかしなことを言えば、ここのみんなが!」
「・・・ええ、そやから、あんたには黙っていてもらいます、宗主。大丈夫です。天清神仙を見たことが無い者ばかりやから、あんたが偽物とバレることはありません。あんたは表向き身体が弱いことになっとるし、その顔を自信なさげに扇で隠して、ただ沈黙していてくれればええ。あとは、陸承がしゃべってくれるやろから。」
「陸承?!そいつもいるのか?!」
陸承の名前に反応した沈楽清に対し、ええ、と玄肖は頷く。
「彼は今、この天清沈派の宗主代理やからね。さぁ、用意をして行こか、宗主。先ほどの話の続きは・・・帰りの道中でしますから。」