夏炎輝との邂逅以降、明らかに生き生きしている沈栄仁に、寒軒はやや白けた目を向けていた。
(すごいな、一か月経っても、ずっと上機嫌のままとはな)
「楽しそうだな・・・藍鬼。」
「え?楽しいですよ?こんなに物覚えの良い子は初めてです。さ、寒軒。次はこの術にしましょう。これを覚えれば、敵を氷漬けにして絶命させるだけでなく、肉や魚の保存にも使えます。」
「いや、そういう意味ではなくて・・・まぁいい・・・そんなに浮かれて、足元をすくわれるなよ?」
明らかに浮かれすぎな沈栄仁に、はぁっと大きく息をついた寒軒は、そんな寒軒の憂鬱そうな様子などお構いなしに術の説明を始めた彼をじっと見つめる。
「どうしました?私の顔に何かついていますか?」
「なぁ、藍鬼。お前、今の妖王を殺して、俺を妖王にって、言ったよな?」
「ええ。」
「お前も一緒に、妖界を治めるって・・・」
「言いましたよ?それがどうかしましたか?」
寒軒の目の前でその場にあったおやつの月餅を氷漬けにした沈栄仁は、「ところで、これ、いつまで保存できますかね?」と話の腰を折るように寒軒に質問してくる。
「いや、知らん!っていうか、それは食べれるのか?食べ物を粗末にするんじゃない!」
「粗末にしてませんよ。ちょっと硬い方が好きなので凍らしてみただけです。」
「じゃあ、そのまま齧ってみろ!歯が折れるわ!」
ゼイゼイと肩で息をしながら沈栄仁に突っこみまくる寒軒に「ああ、この子もすっかり明るくなって」とニコニコと笑った沈栄仁はその肩にぽんっと手を置く。
「そんなに怒ってばっかりだと、禿げますよ?あいつみたいに。」
「あれは元々ガマガエルの化け物なんだ!髪なんてあるか!!」
「もう、そんなにカリカリしないでください。あ、煮干し要ります?料理に使おうと思って買ってきたんですが、そのまま食べても・・・イライラに良いそうですよ?」
(ダメだ・・・今のこいつに真面目に話そうとしても無駄だ・・・)
すっかり沈栄仁のペースに乗せられていることに気がついた寒軒は、沈栄仁から煮干しを黙って受け取り、一つ口の中に放り込むと、咀嚼しながら沈栄仁に質問を続けた。
「・・・それで、お前はいつ仙界へ帰るんだ?」
「え?」
「お前は、この前人目も憚らずにいちゃついていた華南夏派の宗主の妻なんだろう?もともとお前は妖王を殺した後は、ここに用はないはずだ。それなのに、俺を手伝うと言っている。それは一体どうやってやるつもりなんだ?」
寒軒のいちゃついていた発言にかぁっと頬を赤らめた沈栄仁は、「あれ、見てたんですか?どこで?どこまで?」とごにょごにょと口ごもった。
(・・・だから、そういう表情を無自覚に見せるなよ・・・)
寒軒の心の内など全く気がついていない沈栄仁は、気まずさを誤魔化すためにお茶を淹れ始めた。
優雅な慣れた手つきで鉄観音を淹れた沈栄仁は、どうぞと笑顔で寒軒に湯呑を手渡す。
そして、自分の湯呑に一口口をつけると、ふふっと小さく微笑んだ。
「もちろん帰りますよ、任務が完了したらすぐに。私はもともと炎輝と式を控えていたんです。今は、あの時に用意していたあの細身の衣装が入るかどうかが少し心配です。かなりお金をかけたものにしてしまったので、作り直すのは勿体ないですし。炎輝の衣装も手ずから作ったんですよ。すごいでしょう?ああ、あなたも、式には出席してくださいね。」
「お前、それじゃ・・・」
「ねぇ寒軒。荒唐無稽なことを言っていると思うかもしれませんが、私は、仙界で炎輝の妻として暮らしながら、彼と一緒に貴方の妖界平定を手伝うつもりです。」
沈栄仁の言葉に本気で驚いた寒軒は、湯のみを持ったままその身体が固まった。
(こいつの『手伝う』は、俺の側にいて、ではなく・・・)
「・・・夏炎輝と、一緒に?」
「ええ。きっと、あなたと炎輝はいい友人になれると思うんです。私は天清沈派の宗主。彼は華南夏派の宗主。その二派の宗主と仲のいい妖王。素敵だと思いませんか?三界の平和を、私たち三人で・・・いえ、私の弟も含めて四人で一緒に守るんです。」
「それは・・・」
「難しいとお思いでしょうね。でも、意外にそうでもないんですよ。」
寒軒が言葉を失っている理由が、仙界と妖界が手を取り合って三界を守るという自分の発言のせいと思い込んだ沈栄仁は、にこにこ笑いながら、お茶を飲み干すと、寒軒に近づき、その身体を優しく抱きしめた。
「藍鬼?!お茶がこぼれ・・・」
「・・・あのね、寒軒。いずれ、でいいんですけど・・・私の弟に会ってもらえませんか?」
「・・・弟?」
「仙界には、道侶という制度があります。あの子には生まれた時から決められた道侶がいますが・・・私は、できれば貴方に、私の阿清の道侶になって欲しいと思っていまして。」
その申し出が、寒軒の心を抉っているのに気がつかないまま、沈栄仁は「ね?」ととびきりの笑顔を見せた。
(そうか、こいつは、最初から俺とその弟を・・・)
「そいつは・・・お前に、似ているのか?」
「まさか!全然似てません!!あの子は・・・」
てっきり寒軒が少しその気になってくれたと勘違いした沈栄仁は、弟の自慢をぺらぺらと話し始めた。
どれほど沈楽清が可愛いか、その心根が清くて美しいか。
それを話し半分で聞きながら、寒軒はそんな弟バカな沈栄仁に思わず冷笑した。
「・・・お前にとって、その弟は宝物なんだな・・・」
「ええ、本当に天使のような子なんです。だからね、寒軒。いつ妖王を殺しますか?もうここ一か月何度も言っていますが、今の私たちなら、いつでも大丈夫ですよ。貴方は十分強い。この前の戦いを見て、そう確信しました。絶対に勝てます。そしたら、もうあの男を怖がる必要はなくなるんですよ?」
妖王討伐の話を、最初は黙って聞いていた寒軒だったが、そのうちその話に耐えられなくなり、勢いよくその場から立ち上がった。
(そんなに早く、あいつの所へ帰りたいのか?!)
「寒軒?」
「・・・外に出てくる・・・」
「ええ、行ってらっしゃい。今日は魚料理にしますね、寒軒。あ、ついでに村で新鮮な野菜を買ってきてください。明日の朝は、それを一緒に食べましょう。」
「ああ・・・」
沈栄仁を見ているのが辛くなった寒軒は足早に部屋を出て、後ろ手に扉を閉めた。
特にどこに行く宛もなかった寒軒だったが、沈栄仁に買い物を頼まれたことを思い出し、外に出ると、そのまま真っすぐに人界へと足を向けた。