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第27話

まるで小さな子どものように丸まって自分に抱き着いている沈楽清の頭を撫でた洛寒軒は、それでもまだ話しておかなくてはいかないと心を鬼にして沈楽清へ語り掛ける。

「もう一つ。宗主は強くなくてはいけない。なぜか、分かるか?」

「ここで、一番偉いから?」

「違う。門弟で手に負えない妖族を、その手で始末するためだ。」

『始末』の言葉に、大きく目を見開いた沈楽清は洛寒軒の背中の服を震える手でギュッと掴む。

「始末?相手を殺すってこと?追い払う、じゃなくて?」

「ああ。お前がその手で殺すんだ。そうでなくては、人間が、お前のところの門弟が多く犠牲になる。仙界へ討伐依頼が来るのは、人を過剰に害した妖族。その多くは強い妖力と高度な知能を持ち、はっきりとした意思を持って人間を害している。一時しのぎで追い払っても、別の所でまた人を殺す。」

「でも・・・」

洛寒軒の言葉の意味を頭ではきちんと理解しながらも、心がついていかない沈楽清は、いやいやと大きく首を横に振る。

(嫌だ・・・なんで何かを殺さなきゃいけないんだ?ゴキブリだって出来れば殺したくないのに、生物をこの手で殺す?理由があれば簡単に殺していいのか?)

「・・・寒軒は、殺すのが平気なの?どうして?相手の命を奪う権利なんてどこにもないのに。知能があるなら、反省させて罪を償わせるとか、公平に裁いて更生させるとか・・・なんの努力もしないで、いきなり命を奪うのが正しいの?」

「反省?更生?あり得ない。」

命が雑に扱われていることに憤る沈楽清に、洛寒軒は冷たく一笑する。

「基本的に妖族は本能のままに生きている。殺したいから殺す。食べたいから食べる。人間も仙人も遊び道具で食料だ。そんな奴らに殺した反省などあると思うか?奴らが恐れるのは自分より強い者だけだ。だから俺は、俺に従わない者は藍鬼と共に殺してきた。今では多くの妖族が俺の言うことを聞く。ただそれは俺が近くにいれば、の話だ。俺がいない所では、相変わらず人で遊び、気が済めば殺し、お腹がすいていれば食べているだろうな。まぁ、食べるかどうかをおけば、仙界の奴らも似たようなことはしているが。」

苦虫をかみつぶしたような表情の洛寒軒を見て、昨日彼から言われた言葉を思い出した沈楽清は「まさか」と思って、それを確認するために恐る恐る口を開く。

「・・・寒軒が、俺に『聞いてどうする?』って言っていたのは、そういう奴を俺が始末するために聞いているのかって意味だったの?まさか、栄仁兄様は、妖族だけでなく仙人もその手で?捕らえて反省させるとかではなく、問答無用でみんな・・・殺して・・・?」

「・・・お前はずいぶんお前の兄のことを知らないんだな・・・ああ、そうだ。例えどんな手を使っても三界を平和に導くのが己の仕事と、藍鬼はしょっちゅうその手を血で染めていた・・・たとえ女子供であろうと、あいつは一切容赦しなかった。」

「それが、宗主のあるべき姿なの?」

「あいつほど自ら殺しまわる必要はないと思うが・・・その決断が出来なければいけないという点では、そうだな。」

洛寒軒とのやり取りの中、沈楽清は自分の中の何かがガラガラと音を立てて壊れていくのを感じていた。

これまで培ってきた常識や概念、習慣、思考、感情。

その全てが、ここではまるで通用しないのだと、己はそういう立場にいるのだと、沈楽清は初めてきちんと自覚した。

普通の大学生だった元の世界とのあまりのギャップに、グラリと身体が傾きそうになる。

(一度何かを殺してしまったら、きっともう自分は自分ではいられない・・・現実に、もし戻れたとしても、今までのように生きていくことはきっと出来なくなる・・・)

気持ちが悪くなった沈楽清は、なんとなく吐きそうな気がして、とっさに右手で口元を押さえた。

しかし、何も口にしないこの身体では何かを吐くことはなく、通常の人間の身体ならば上がってくる胃液すら上がってこない。

その事実が、異世界で生きているという事実を雄弁につきつけてきて、沈楽清の精神をより追い詰めていった。

何かを殺すことへの恐れや罪悪感。

また、それを繰り返しているうちに、自分と言う人間が、兄・沈栄仁のようにどんどん殺し慣れていってしまうだろうという自分自身への恐怖心。

(善悪の正しい判断が、ここの世界の人ではない俺にちゃんとつくの?間違ったら、俺だけではなく、この天清沈派全体に迷惑をかける立場で、人の上に立ち続けて、ずっと正しい道だけを俺は選び続けていけるのか?)

沈楽清は全身の震えが止まらなくなり、暗い感情から逃れたくなって洛寒軒に強くしがみついた。

「・・・何も殺したくない・・・」

「楽清・・・」

「いや・・・怖い・・・そんなの、いや・・・」

「・・・でもそれが、お前がこれから選ぶ道なんだ。楽清。」

洛寒軒は、自分に抱きついて震える沈楽清の両肩を、そっと掴むと己の身体から引き離した。

さらに言葉を続けようとしたが、沈楽清の瞳から大粒の涙がボロボロと零れ出したことで言葉を失ってしまう。

恩人である藍鬼に報いるため、洛寒軒は沈楽清に最後まできちんと言い聞かせてから彼を導こうと全てを包み隠さず話した。

ただ耳障りの言い話だけをしていては、現実にぶつかった瞬間に、洛寒軒はきっと優しい沈楽清は壊れてしまうと思っている。

覚悟がないととても歩める道ではないと、過去に自分が歩んだ経験からくる、洛寒軒なりの優しさのつもりだった。

出会って間もないが、真面目で正義感が強いまっすぐな気性の沈楽清は、きちんと導けば良い宗主になれるだろうと洛寒軒は思っている。

何より、とてつもない力を秘めていて、本気で戦えば自分や天帝以外に彼に敵う者などいるはずもない。

それに、玄肖という優秀な側仕えもいる。

あとは沈楽清の気持ちだけだと思っていた洛寒軒だったが、沈楽清をまた泣かせてしまったことで、今は話したことを少しずつ後悔し始めていた。

自分が死なせてしまった母とよく似た沈楽清の、怯える様や恐怖や不安で揺れる瞳を見るのは胸が痛んで仕方がない。

洛寒軒は少し目を伏せると、沈楽清の涙をそっと拭った。

「泣かないでくれ・・・お前の泣き顔は、見たくない・・・」

沈楽清の涙を止めるため、気の利いた言葉をかけようと思っても、うまく言葉が出てこない洛寒軒は途方に暮れて黙り込む。

「・・・三つめは、何?」

洛寒軒のひどく申し訳なさそうな顔を見て、早く泣き止もうと頑張って涙をこらえた沈楽清は、涙を乱暴に拭うと無理やり笑って彼に問いかける。

「道は、三つあるんだよね?何?ちゃんと聞いて選びたい。陸承の妻は論外。宗主と、あともう一つで考える。」

「あともう一つだが・・・」

そこまで言いかけた洛寒軒は、はたっとその動きを止めた。

よくよく考えてみると、自分からその話をするのは沈楽清への求婚に他ならないことに今さらながら気が付いてしまい、言葉に窮して沈楽清から顔を背ける。

沈楽清を幼い子どもと思っていた時は、彼を妖界へ連れて行くのは愛玩動物を一匹飼う程度にしか思っていなかった。

しかし、沈楽清のもう十分に大人な身体を見た上、己への好意を知ってしまって、そう言えなくなってしまった自分がいる。

本能のままに生きる妖族の血が騒ぎ、本当は今すぐ襲ってしまいたいのを必死で押しとどめているのに、もしも彼が自分の妻になることを今、選んでしまったら・・・

わずかな月明かりの下でもはっきりわかるほど顔を赤らめた洛寒軒に、意味がさっぱり分からない沈楽清は、急にどうしたんだろう?と小首をかしげた。

「桜雲?」

「楽清。三つ目だが・・・」

「うん?」

泣いたせいで潤んだ瞳に、涙を乱暴に拭ったために少し赤らんだ頬、ぷっくりとした赤くつやつやした唇。

自分に強くしがみついたせいで少し乱れた衣装から、白くて細い鎖骨が見え隠れする。

真っ暗な部屋の中で膝の上に乗られた段階から理性を総動員させていた洛寒軒は、悪気はないとはいえ、自分に対してあまりに無防備な沈楽清の、その細い腰や可愛い顔に、思わず手を伸ばしかけてしまい、そんな自分にチッと舌打ちする。

(ん?舌打ちした?)

ぽかんとしている沈楽清をなけなしの理性で強引に抱き上げた洛寒軒は、彼を思いきり寝台へと放り投げた。

ドサッと音を立てて背中から寝台に転がった沈楽清は、洛寒軒の予想外の行動に目を白黒させる。

「は・・・?」

「子どもは寝る時間だ!続きは明日!」

「桜・・・」

「おやすみ!」

そう言ってさっさと沈楽清へ背を向けて長椅子へ横になった洛寒軒の背中を、訳が分からない沈楽清は寝台に転がったまま呆然と見つめ続けた。


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