「桜雲を・・・殺す?」
腕の中でより強く震え出した沈楽清に、抱きしめる力を強くした洛寒軒は、それでも「ああ、そうだ」と彼に対して頷いた。
沈楽清は洛寒軒に抱き着いたまま、ぶんぶんと大きく首を横に振って拒否をする。
「嫌だ!」
「楽清・・・」
「俺は、お前とずっと一緒にいたい!宗主と妖王って立場だけど、別にいいだろ?戦争してるわけじゃないんだし。外で会うのは難しいだろうけど、ここには俺一人しかいないから、これからも、ここへお前が来てくれると嬉しいなって・・・なんなら、一緒に住んでくれればいいって・・・それなのに、殺せって・・・なんでそんなこと!」
洛寒軒に対して考えていたことをぶちまけた沈楽清に対し、洛寒軒はフッと悲しそうに笑うと首を大きく横に振った。
「楽清。俺はもうすぐ妖界へ帰る。そうしたら、お前とは二度とこんな風に会えない。次に直接会うことがあるとすれば、お前が俺の討伐に来るときだ。」
「討伐って・・・そんなのおかしいだろ?お前は栄仁兄様の敵なのかもしれないけど、そこに事情があったなら、俺は討伐なんて反対だ!死んだのは俺の兄なんだから、俺が桜雲を許すと言えば、それで・・・」
「お前と俺だけで済むような、そんな単純な話じゃないんだ。」
洛寒軒は幼い子どもに言い聞かせるように一言一言ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「もともと仙界と妖界は敵対している。その中でお前は仙界の四大派閥の宗主の一人で、俺は妖王。どう考えても、一緒にいられる訳がないだろう?」
「でも!」
「もしも、お前と俺は何も気にせず一緒に居られたとしても、天清沈派の門弟たちにはなんと伝えるつもりだ?自分の兄の仇と言われる妖王と通じている宗主。お前が門弟の立場だったら、そいつを宗主として信じられるのか?」
洛寒軒の真剣な表情に、沈楽清は言葉に詰まってしまい、彼からわずかに目線を逸らした。
ゲームでもドラマでも、敵対勢力に味方する者は一律にこう呼ばれる。
(『裏切り者』)
「たぶん、疑心暗疑になる・・・本当に、信じていいのかって。いつか自分たちを裏切るんじゃないかって・・・」
「そうだ。それに、俺と一緒にいることで、最悪の場合、天清沈派そのものが危なくなるぞ。お前たちの世界では天帝が全て。天帝が俺の討伐を命じた時に下手に逆らえば、お前と門弟が逆賊として捕らえられ、処罰を受ける。特にあの玄肖。お前の側仕えが俺と接触するのを黙認したとなれば、その罪は誰より重くなる。お前と同じかそれ以上の罪を負うことになるだろうな。仙界にとって、宗主の一挙手一投足はその門派の総意。宗主とはそういう存在だと、藍鬼が言っていた。」
「・・・俺のせいで、玄肖やここのみんなが、危なくなる・・・?」
「そうだ。」
頷く洛寒軒に、沈楽清はショックを隠し切れず、手足ががくがくと震え始めた。
一気に背筋が寒くなり、みるみる顔が青ざめていく。
(ずっと宗主はサッカーでいうところの監督ポジションだと思っていたのに・・・俺が何かしたことで、玄肖や門弟たちが処罰を受ける?そんなの、考えたこともなかった・・・)
呼吸が浅くなっていく沈楽清に、追い打ちをかけるように洛寒軒は続けていく。
「楽清。お前はとても優しい。俺が今まで出会った中で誰よりも。ただ、それでは天帝や他家に思うままにされるだけだ。藍鬼は、柔和で美しい外見からは想像もできないほど強かで冷酷な男だった。あいつと全て一緒である必要はないにしても・・・流石にお前は幼すぎる。」
(寒軒がずっと俺に幼いって言ってたのは、そういう意味だったのか。それに、もしかして、だから『沈楽清』はここへ引きこもった・・・?)
おそらく本物の『沈楽清』は、自分と違って、宗主の役割をしっかり分かっていたのだろう。
だからこそ、自分では兄・栄仁のようには務まらないと思い、彼の死と共にここへ引きこもってしまった。
長年教育を受けてきたはずの『沈楽清』ですら逃げたのに、ここにきて間もない自分に、立派な宗主だったという沈栄仁の代わりが務まるのか。
宗主という肩書が、急にその肩に重くのしかかってきたような気がして、沈楽清は大きくうなだれた。