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第19話

「・・・桜、雲?」

洛寒軒の突然の行動に、その身に剣が突きつけられてもなお、ポカンとしている沈楽清に対して、洛寒軒は大きな大きなため息をつくと、剣をその場に置き、沈楽清の身体の上から退いた。

「なぜ避けない?もしくは、どうして反撃しないんだ?」

「なんでって・・・いきなりどうしたんだろう?って思ったから?」

怖い顔をしている洛寒軒に対し、訳が分からない沈楽清はたどたどしく答えを返す。

「・・・お前、宗主を降りろ。その方が、お前・・・いや、お前の門弟のためだ。お前はここの宗家の血筋なんだ。宗主でなくとも、ずっとここにいられるだろう?」

長椅子に戻った洛寒軒はどさりと座ると、その物憂げな表情を右手で半分覆った。

心底呆れていると言わんばかりの洛寒軒に、しばらく倒された姿勢のままぼんやりとしていた沈楽清は、次第に彼に対して腹が立ってきて声を荒げる。

「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだよ?!俺がお前に何かしたか?!」

「・・・どこまで自覚がないんだ?だからお前は子どもだと言っているんだ。いや、子ども以下だな。仙界の宗主であれば、10までにそれ相応の教育を受けるものなんだろう?」

(そんなの知るかよ!俺はまだここへ来て1か月なのに!!)

いわれのない洛寒軒の指摘に、カッとした沈楽清は、彼に近づくと、その両肩に手をかけ肩をゆさぶる。

「さっきまで一緒にいて楽しかったのに。お前はいい奴かもって思ったのに!なんでそんなこと言うんだよ?!」

「・・・お前は、俺に殺されるんじゃなかったのか?あれほど、気を失うような勢いで怖がっていたのに、たった一晩一緒に寝ただけで、そこまで俺を信じるのか?そうならお前は本当のバカだぞ?だいたい昨日も今もそうだ。反撃もしない、ぼーっとして逃げることもしない。お前、今自分が何をしているのか理解しているか?仙界の天敵である妖界の王と二人きりになる結界を己で張って一緒にいるんだぞ?今頃、お前の側仕えは外で真っ青になっているだろうな!」

洛寒軒に怒鳴られ、ようやく自分の不用意さに気がついた沈楽清は、結界を解除しようとして洛寒軒にその両手を掴まれる。

「っ・・・!」

「どうした?なぜ、抵抗しない?術を使うでも、俺を蹴り上げるでも何でもできるだろう?なぜいつも止まるんだ?・・・お前は、何を怖がって、そこまで力を隠している?」

「?隠してなんて・・・」

洛寒軒に言われている言葉の意味が分からず、口ごもる沈楽清の手を掴んでいた洛寒軒は、沈楽清が白を切っていると思い込み、強引にその手から自分の妖力を一気に注ぎ込む。

「一度、全てを開放して、その実力を見せてみろ。天清神仙。」

洛寒軒の手から無理やり自分の中に何か黒いものが入ってきて、身体を侵食していく言いようのない感覚に、ビクンッと沈楽清の身体が跳ね上がった。

(何かが、勝手に、俺の中にっ・・・!)

「い、いやぁぁああ!」

身体を中からむちゃくちゃにかき回されていく感覚に、沈楽清は耐え切れず、大きな悲鳴を上げる。

洛寒軒に抵抗するように、カッと沈楽清の手から凄まじい光が放たれると、ドンっとその場で大きな爆発が起き、沈楽清の身体はそのまま後ろに吹っ飛ばされた。

ごろんと、もんどりを打って床に転がった沈楽清は、床に打ち付けられた身体の痛みでその場から動けず、しばらくその態勢のまま小さく呻く。

一体何が起こったのか理解できず、チカチカする視界の中、徐々にその目を開けていくとその視線の先に達磨のような赤いものが見えた。

(赤?何・・・?俺の部屋に赤いものなんて・・・)

沈楽清の部屋は、彼の衣服と同じ白が基調となっていて、机や寝台は黒檀というモノトーンで構成されている。

それぞれに精緻な紋様が入っていたり、寝具にも金糸銀糸の刺繍が入っていたりしながらも、その全ては控えめで目立たない造りだ。

シンプルなモデルルームのようなこの部屋には、原色で彩られたものは何一つない。

花瓶に飾られた花でさえ、楚々とした百合だったなと沈楽清は思い出す。

徐々に目の焦点が合い始めた沈楽清は、洛寒軒がその全身から血を流しているのが見え、その目を大きく見開いた。

特にその腕が原型をとどめないほどにぐちゃぐちゃになっていて、沈楽清は大きな悲鳴を上げる。

「寒軒!!」

あまりの光景に、沈楽清は身体の痛みを忘れて床から起き上がると、かろうじて座ってはいるが、ほとんど意識を無くしてぐったりした様子の洛寒軒へ駆け寄った。

「桜雲!」

「う・・・」

沈楽清の声に、蚊の鳴くような声で反応した洛寒軒は、わずかに薄目をあけると沈楽清を見て、フッと微笑んだ。

「・・・ほら、ちゃんと攻撃できるじゃないか。」

洛寒軒の一言に、沈楽清の心臓がドクンっと大きく波打つ。

「お、れ?・・・俺が・・・これを・・・?」

「・・・無理やり、お前の力を引き出しただけだ。気にするな、大、丈・・・夫・・・」

そのままドサリと長椅子から落ちた洛寒軒を、慌てて抱き起そうとしたところで、沈楽清の身体は抱えあげられて、後ろに放り投げられる。

「玄肖!」

「結界の中で何をしてるのかと思えば・・・何です?こいつはあんたに何をしようとして、こんな制裁をくらったんですか?」

「玄肖!説明は後でするから!今は寒軒を早く治さないと!!」

焦ってしゃべる沈楽清を、その細い体でどうやってと思うほど易々と拘束した玄肖は、その姿勢のまま洛寒軒を冷たい瞳で見つめる。

「・・・宗主。」

「何だよ?!どうしたんだ、離せ!薬を取ってこないと!」

「・・・もうすぐこいつは死にます。そうすれば、あなたの怖いものはこの世からいなくなりますよ?」

淡々と告げる玄肖に、沈楽清は言葉を失い、その顔色も見る間に真っ青に変わっていく。

「い、いやだ!俺・・・俺は、誰も殺したくない!!離してっ・・・今なら、あの薬で治療をすればっ!」

洛寒軒が死ぬと聞いて、半ばパニックになった沈楽清は、玄肖の腕の中で暴れようとするが、玄肖にその動きを術で封じられ、その場に縫い留められる。

動くことが出来なくなった沈楽清は、自分をその場において、洛寒軒へと近づく玄肖のただならぬ様子に、彼を呼び止めようと叫び声をあげた。

「玄肖!!」

ドクン、ドクン・・・

これから玄肖が何をしようとしているかが分かってしまった沈楽清の心臓が、ありえないほど早鐘を打ち始める。

「・・・宗主。こいつが悪いんです。これだけ時間があったのに妖界へ帰らず、あんたを傷つけようとした・・・これはその報いでしょう?」

「違う!俺は何もされてない!!桜雲は、ただ俺に・・・!」

沈楽清の言葉を全て無視して、玄肖はスラリと剣を抜くと洛寒軒の首にピタリと当てた。

「・・・前宗主の敵を取らせてもらう。悪く思うな。」

玄肖の剣が、躊躇いもなくグッと洛寒軒の首に押し込まれる。

その光景に、沈楽清は息をするのも忘れ、口を大きく開けたまま、声にならない悲鳴を上げた。

ほぼ無意識のうちに、洛寒軒を助けようと、彼へ向かってその左手をまっすぐに伸ばす。

ドクンッ

沈楽清の心臓が大きく高鳴ったのと同時に、その手から大きな金色の光が生まれると、洛寒軒へ向かって飛んでいき、その身体全体を包みこんだ。

(桜雲!絶対に、お前を・・・)

春の陽光のような温かな光が、まるでシェルターのように洛寒軒を包むのを見た沈楽清は、その場面を最後に、完全に意識を失った。

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