「お前は、食べなくてもよかったのか?」
すっかり目が覚め、昨日の淡々とした調子に戻った洛寒軒が食事を終えるのを待ち、さて洗濯に行こうと立ち上がった沈楽清へ、食後のお茶を飲んでいた洛寒軒が声をかける。
「あ、俺、体質的に食べれないんだ。果物とか、野菜を少しくらいならいいんだけどさ。」
「・・・それなら、なんでずっと隣にいたんだ?」
自身が食事をしている間、ずっと隣でお茶をちびちび啜りながら、彼に話しかけ、更に世話を焼いてくる沈楽清に対し、ずっと何をしているのかと疑問に思っていた洛寒軒は心底不思議そうに尋ねる。
「え?だって、食事は誰かと一緒に食べた方がおいしいじゃん。まぁ、俺は食べれないから、それが嫌なら次から席を外すけど?」
「次・・・?」
「うん。あ、ところでおいしかった?今度は何食べたい?」
「あれはお前が作ったのか?使用人ではなく?」
「うん。肉や魚は触れないから、そっち系は玄肖が作ったけど。これからも豆腐や野菜のものなら俺が作れるよ?」
仙界の名門の宗主が家事を嬉々としてやっているという事実に、洛寒軒は内心驚愕しながらも、まぁこの変わり者の宗主であればやっていても不思議はないかと納得し、これ以上の言及を辞める。
食器を持って、黙って沈楽清の後に着いてきた洛寒軒は、炊事場で自身もまた手際よく茶碗を洗い、沈楽清を驚かせた。
「・・・母が、目が不自由な人だった。だから、俺がやっていたんだ。」
沈楽清の、ただ皿を洗っただけの自分への誉めように、照れた洛寒軒はぼそりと呟く。
その様子に、沈楽清は「そっか、ありがとう。助かったよ。」と屈託のない笑顔で答えた。
そんな二人の様子をここまでずっと黙ってみていた玄肖は、沈楽清に「仕事に戻ります」と断ると玄冬宮へ帰っていく。
「洗濯をしたら、どうするんだ?」
「修行するよ。俺、それ以外にやることないもん。」
広い屋敷内の裏手にある池に行く最中、大丈夫だと言っているのに自分が荷物を持つと言ってきかない洛寒軒に荷物を持ってもらい、手持無沙汰な沈楽清は、木刀を素振りしながら歩いていた。
「・・・お前、本当に宗主なのか?」
「たぶんね・・・」
池が見えた沈楽清は、洛寒軒の質問には答えず、そこまで走っていくと、洛寒軒へ早く来るように促した。
そして、洛寒軒の手から着物を一枚とると、ザブザブと洗い始める。
「あのさ、桜雲・・・じゃなかった、洛寒軒。ごめん、間違えてばっかりいるな。」
「別に、好きに呼べばいい。」
「わかった。じゃあ、寒軒って呼ぶよ!俺の事は楽清って呼んで。阿清でもいいけど。」
沈楽清の隣に座り、手拭いを洗い始めた洛寒軒を意外に思いながら、沈楽清は昨日の晩からずっと聞いてみたかったことを尋ねてみることにした。
「ねぇ、寒軒。昨日、寒軒が言ったことは本当?」
「言ったこと、とは?」
「仙人が酷いことをしてるってことと・・・栄仁兄様を殺した理由。」
表情を硬くした沈楽清の隣で、洛寒軒の手がピタリと止まる。
「・・・本当だ。まぁ、俺のいう事なんて信じないかもしれないが。」
ぽそりと寂しそうに呟いた洛寒軒に、「詳しく聞かせて?」と沈楽清はねだる。
「・・・どちらを?」
「どっちも。」
興味津々と言った様子で聞いてくる沈楽清に、ふぅと息を吐いた洛寒軒は、そのまま無言で手拭いを洗い始める。
全てを洗い終え、立ち上がった洛寒軒は、屋敷に向かって歩き始めた。
(なんで、何も言ってくれないんだ?)
彼の後を追って歩き始めた沈楽清だったが、彼の真意が理解できず、その場に立ち止まって「寒軒?」と彼の名を呼ぶ。
その声に、沈楽清の数歩前を歩いていた洛寒軒は振り返った。
「・・・ここは人目につく。誰が聞いているか分からない。話が聞きたいなら屋敷に誰も入ってこられないようにしてくれないか?」
「分かった!」
洛寒軒の言葉に素直に従い、結界を張ろうとした沈楽清の手首を洛寒軒は強く掴む。
「お前は・・・!」
「え?何?結界を張れって言ってなかった?」
急に手首を掴まれて困惑した沈楽清は、洛寒軒に対して少し上ずった声を出す。
「・・・いい。頼む。」
何かを言いたげに口を開いた洛寒軒だったが、口を閉じると、何かに耐えるように目を閉じ、沈楽清の手を離す。
「う、うん・・・」
結界を張った沈楽清が出来たよと満足そうに笑うと、洛寒軒は「部屋へ戻ろう。そこで話す。」と沈楽清を促した。
部屋に戻ってきて長椅子に腰かけた洛寒軒に対し、ちょっと待っててと席を外した沈楽清は、糖葫蘆とお茶を持って戻ってくる。
「それ・・・」
「糖葫蘆だよ。これ、好きなんだ。とはいっても、毎回一個しか食べられないんだけど。桜雲は甘いの食べられる?」
「・・・食べられる。」
「じゃあ、あとの四つ。食べてくれる?」
串に刺さった糖葫蘆を洛寒軒に差し出した沈楽清は、「最後の一個だけちょうだい」とお願いする。
「先にお前が一つ食べればいい。残りをもらうから。」
沈楽清の手に串を返した洛寒軒は、自身はお茶をすすると、沈楽清が一つ食べるのを待った。
促されて、沈楽清は串の一番端の糖葫蘆をぱくりと口にする。
(うん、やっぱりおいしい!)
山査子の芳醇な香りと上品な甘さが口の中に広がり、沈楽清は思わずニコニコしてしまう。
「・・・もっとお前が食べればいい。」
沈楽清の嬉しそうな様子に、洛寒軒は彼から串をもらうのを遠慮する。
「いいんだって。本当にもう食べられないんだ。また今度食べるから、今は寒軒が食べてよ。」
沈楽清の勧めで糖葫蘆を口にした洛寒軒は、パクパクと無心で食べていく。
相変わらずの無表情だが、あまりに一心に食べる様子に、沈楽清はきっとこれ、すごい好きなんだなと洛寒軒の好物に気が付いてしまい、思わずクスクス笑ってしまった。
(子供に甘いわ、甘いもの好きだわ・・・こいつ、本当に恐ろしい妖王なのか?)
「・・・何がおかしい・・・」
「ううん、なんでもない。ほら、口の横少しついてる。」
「ん?ああ。」
沈楽清に指摘され、自身の親指で口の端を拭った洛寒軒は、赤い舌でちろりとその親指をなめる。
そのしぐさに妙な色気を感じた沈楽清は思わず洛寒軒から目線を外してそっぽを向いた。
心なしか顔が赤くなっていく。
(絶世の美人って、本当に心臓が悪い!)
何をしても様になる洛寒軒を羨ましく思いつつ、お茶を飲み終えた沈楽清は、自身の赤い顔を誤魔化すように洛寒軒に背を向けると寝台に向かい、そこにちょこんと座ると、洛寒軒が話し始めるのをお行儀よく待った。
「・・・とりあえず、話し始める前に、お前に聞きたいんだが・・・」
お茶の最後の一口をグイっと飲み干した洛寒軒は、寝台の端に座って自分を見ている沈楽清に対して真っすぐな視線を向ける。
「お前は、なぜこの話を聞きたがる?聞いてどうするつもりだ?」
「え?どうするって・・・俺は、ここの宗主なんだから、きちんと本当のことを知っておかないとって・・・」
戸惑いながら話す沈楽清に対し、洛寒軒はやっぱりな、という表情を浮かべた。
「・・・なぁ、お前、本当に宗主をやる気はあるのか?もっと言わせてもらうなら。」
立ち上がった洛寒軒は、沈楽清に一瞬で近づくと、その身体をどんと寝台に押し倒し、彼の剣をその手に取ると大きく振り上げた。
「お前は、本当に宗主として、ここで生きていく覚悟があるのか?」
自分に馬乗りになって剣を振り上げた洛寒軒に対し、沈楽清はぽかんと大きく口をあけたまま、彼をただじっと見つめた。