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第8話

衣裳部屋の鏡で長い髪を適当に結い上げた沈楽清は、炊事場で湯を沸かしながら、ゆっくりとこの世界について考え始めた。

さっきはあまりにショックが大きくて気分が悪くなってしまったが、今はだいぶ冷静になれている。

そもそも今自分が生きている時点で、まだあのシーンではないということだろう。

最初からきちんと小説を読まなかったことを後悔しつつも、沈楽清は第4章をゆっくり思い出し始めた。

第4章の冒頭は確か、『沈楽清』の兄である沈栄仁の死が仙界に伝えられる所から始まっていたはずだ。

彼の死でショックを受けた『沈楽清』は屋敷にこもってしまった。

誰の呼びかけにも答えず、生きているのか死んでいるのかすら分からない沈楽清を周囲が心配する中、一か月後の清明節に、人界で陸承と洛寒軒が出会う。

陸承に依頼された洛寒軒は、ある日屋敷を襲い、そこで自分を・・・

ぞくりと背筋が寒くなった沈楽清はぎゅっと自分の身体を抱きしめる。

(落ち着け、落ち着け。)

大きく深呼吸を繰り返した沈楽清は、小説をただ読んだときには気が付かなかったあのシーンの矛盾点に気が付く。

彼らは、これだけ強い自分の側仕えを一体どうしたのだろうか?

自分の記憶では、第4章で「玄肖」という人は一度も登場しなかったはず。

それに、一か月使ってみて分かったが、この身体は決して見た目ほど弱くない。

修行もしていたというし、さっきの二人の話では術も相当使える人物だったはず。

そんな彼が、どうしてあっさりと2人の手に落ちたのか。

あの行為に至った時に、最悪の場合、舌を噛むでも仙術で自分を攻撃するでも、自ら命を絶つことが出来たのに、どうしてあえて最期まで何時間も凄惨な目に遭うことを甘んじて受け入れたのか。

(小説だから、とか、そういう展開だから、とか言われたら、そこまでだけどさ)

従姉がただ書きたかったという可能性あるなぁと沈楽清は苦笑する。

「宗主。」

急に自身の真後ろから声がして、沈楽清の身体がビクッと跳ね上がる。

「玄肖!」

「お湯、沸いてますよ?」

「あ、ああ。本当だ。ごめん。」

慌てて火を消し、鍋から急須へ湯を注ごうとしたのを玄肖に制止され、その場に座るよう促される。

「宗主・・・いえ、沈楽清。何を思い出したんや?陸承と洛寒軒の2人がどうかしたん?」

慣れた手つきでいつものお茶を淹れながら、玄肖は子供でもあやすような優しい口調で沈楽清へ語り掛ける。

「・・・どうして、そう思うの?」

「あんた、さっき『炎輝兄様』『栄仁兄様』と呼んだやろ?私はその呼び名を教えていません。あんたはずっとここへ来てから記憶がない部分があった。その記憶が戻ったと思う方が自然やろ?」

どこまでも鋭い玄肖に、沈楽清は困ったように笑う。

「うん・・・全部思い出したんだ。ただ、話しても、玄肖は信じないと思う。」

「なんでやねん。もしかして私を疑っとりますか、宗主。私が彼らと通じとると?」

「ううん。それは無いと思う。玄肖なら、彼らと通じなくてもとっくに俺を殺せたから。」

「殺す」という言葉に静かに目を見開いた玄肖は、沈楽清の肩を強く掴むと大きく揺さぶった。

「殺すとは一体どういう事ですか?!彼らが宗主を殺す?陸承は貴方の道侶やけど、貴方に興味はなく外にたくさんの女性がおる。せやから今後も貴方の所へ来ることはあれへん。洛寒軒に至っては妖界の王。貴方と一生相まみえることなどない人間やで。」

「・・・だとしても、彼らは共謀して俺を、いや『沈楽清』を殺すんだ、玄肖。」

難しい顔をして黙り込んでしまった玄肖に、沈楽清は少し悲しくなりながらも、そうだよなと納得する。

いきなり現れた人間に、自分の所の宗主代理が宗主を殺そうとしているという話を聞かされても誰も信じないだろう。

(特に玄肖は陸承を信じているようだったし・・・)

いっそ陸承を嫌っている夏炎輝の方が、まだ話を聞いてくれる可能性が高いくらいだろう。

ただ、そもそも異世界人と信じてくれるかが問題だけれども。

「玄肖、これは俺の問題だから大丈夫だよ。ほら、お茶持って、部屋へ戻ろう。次は何をしようか?」

肩に置かれたままの手をぽんぽんと優しく叩き、沈楽清は努めて明るい顔を作ると彼を促した。

しかし、玄肖は硬い表情のまま、その手にさらに力を込める。

「駄目や。」

「玄肖。そんなに掴まれたら痛いよ。離して。」

「・・・すんません。今信じとるかと言われたら信じていません。そやけど、聞かしたってくれへん?あんたが何を思い出し、なぜ彼らに殺されると話すのか。あんたの話を聞いて、それがほんのわずかでもそうなる可能性があると思えたら、私は昼夜問わず全力で貴方をお守りします、宗主。」

玄肖の困惑が混じりながらも自分を想ってくれている真摯な声に、嬉しくなった沈楽清はふわりと微笑んだ。

「ありがとう、玄肖。ただ、正直なところ、口にするのも嫌な話だからきっと聞く方もすごく嫌な思いをすると思う。それでも、聞いてくれる?」

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