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第22話

ゆっくりと目を開けた洛寒軒は、自分の横にある長椅子にその手をかけて起き上がる。

(ずいぶんと、懐かしい夢を・・・)

母と藍鬼の夢を見た洛寒軒は、右手で額を押さえると、ふぅと小さく息を吐いた。

自分が今どこにいるのか、何をしていたのか分からなくなった洛寒軒は、キョロキョロとその視線を部屋の中へ彷徨わせる。

白い箪笥と黒檀の文机、白い布で覆われた天蓋付きの寝台。

自分が手をかけている長椅子も細かい紋様が彫られた美しい黒檀のそれで、その多くが岩で出来ている自身の城とはまるで違う。

(ああ、そうだ。昨日、俺はここへ来て・・・?)

ゆっくりと頭が回り始めた洛寒軒は、昨日のことを思い出し始める。

いきなり襲われ、いい加減うざったくなって妖王の姿に戻ろうとした矢先に、背後に感じたとんでもない霊力の塊。

先に襲ってきた奴らと同じで、てっきり自分を殺すための追手だと思ったそれは、なぜかなかなか攻撃してこず、してきたと思ったら味方のはずの仙人の足にその矢を当てた。

仙人達が慌てているのを見て、その姿を確認しに行った洛寒軒の目に飛び込んできたのは、フワフワとした豊かな鳶色の髪と少女のように愛らしい顔、そして折れそうなほど華奢な身体。

(母さん?!)

咄嗟にかばった時に抱きしめた感触や声で、洛寒軒はそれが男だと気が付いたが、母によく似た面差しのどこか危うい沈楽清を見捨てることが出来ず、なんだかんだで仙界まで着いて来て、自分でもよく分からないまま一晩を共にした。

腕の中に閉じ込めた身体の小ささ、くるくる変わる表情や優しい笑顔は母を思い出させ、自身の腕の中で眠るその寝顔は彼と兄弟であった藍鬼の寝顔にほんの少しだけ似ていて、ますます離れがたさを感じた洛寒軒は今の今まで一緒に居てしまった。

(俺はあいつの力を試して・・・それで・・・?)

さすがは天清神仙というべきか、本来の力を発揮した彼は易々と妖王の姿の自分を死の間際まで追い込んだ。

「・・・なぜ、俺は生きている?」

沈楽清の暴走した力はあまりに凄まじく、この天清山一帯を吹き飛ばすと感じた洛寒軒は、とっさに彼と自分の周辺に結界を張ることでその被害を防いだ。

しかし自身の防御が間に合わず、まともに一撃をくらった洛寒軒は己の死を覚悟し、意識を失った。

それなのに、自分は生きているどころか、まるで何もなかったかのように全てが元通りに戻っている。

焼けただれて使い物にならなくなった両腕も、吹き飛ばされたはずの右足も、抉り取られたお腹の辺りも、もう傷一つついていない。

服がその形に破れていなければ、いっそ夢だったと思ってしまっただろう。

(こんな巨大な力だったとは・・・それで、あいつはどこに・・・?)

「天清神仙!」

立ち上がった洛寒軒は沈楽清を探して、その視線を部屋中に向け、寝台の近くで倒れている彼を見つけると急いで駆け寄り、その小さな体を抱き起した。

真っ青な顔でぐったりとして、息も絶え絶えな沈楽清の様子に、慌てた洛寒軒はその身体へと自身の霊力を注ぎ込む。

「楽清!!」

「・・・桜、雲・・・?」

少しずつ顔色が戻っていき、やがて洛寒軒の腕の中で気が付いた沈楽清は、バッとその身体を起こすと、彼の全身をペタペタと触り始めた。

両腕から始まり、胸やお腹、足。

最後に両頬をその手で包んだ沈楽清は、困ったように笑う洛寒軒を今にも泣きそうな表情で見つめた。

「桜雲、怪我は・・・?」

「お前が治してくれた。ありがとう、楽清。」

洛寒軒の言葉に琥珀の瞳が大きく揺らぎ、沈楽清は洛寒軒の胸に飛び込むと大声で怒鳴り始めた。

ポカポカと、ほとんど力が入っていない拳で、洛寒軒の胸を何度か叩く。

「バカやろう!!お前・・・お前、あんな・・・この、バカ!」

腕の中で身体を震わせる沈楽清を抱きしめ返した洛寒軒は、その背を優しくさすり始めた。

かつて自分の母が、初めて人を殺した自分にそうしてくれたように。

「お前っ・・・死んだら、どうするつもりで・・・俺を、俺を、人殺しに・・・」

「・・・すまなかった。楽清。本当にすまない。お前の力はすごいものだと、ただ分からせたかっただけだったんだ。下手に暴走すれば人を傷つける・・・かつての俺のように・・・お前には、ああなって欲しくなかった。ただ、それだけだったんだ。避けきれると自惚れていた。本当にすまなかった。すまない、楽清・・・」

その腕の中で沈楽清が泣き止むまでの間、洛寒軒は沈楽清に対してただひたすらずっと謝り続けた。


泣き疲れたのか眠ってしまった沈楽清に対して、洛寒軒は微笑むと、その身体を寝台に運び、そっと横たえた。

寝やすいように結い上げてある髪をほどき、少しだけその首元を緩める。

「・・・妖王。」

「玄肖。今回の事でお前をどうこうするつもりはない。きっと俺もお前と同じ行動をとる。だから、これ以上その剣を向けない限り何もしない。」

「寛大なお心遣い痛み入ります。」

洛寒軒が目覚めて以降、ずっとその場に跪いていた玄肖は、洛寒軒の許しを得て、ようやくその場から立ち上がる。

「むしろ何があったか教えてくれ。なぜ、俺は生きている。お前が来た時にはもうほとんど息が無かったはずだ。」

洛寒軒の問いに、何が起こったか話した玄肖は、大きなため息をつくと、両手でその顔を覆った。

「確定した死すら覆す・・・天帝や他家は、この子の存在をずっと危ぶんでいます。せやからここに閉じ込められとる。力があるのは生まれつきわかっとったけれど、気の弱いこの子は力を恐れて使うことをずっと拒み続けとった。きっと、自分が死んだとしても最期まで使おうとしんかったはず・・・そやけど、むしろほんまは、この力を活かせたら、どれほど・・・」

怒りや悲しみが入り混じった声でぶつぶつと呟く玄肖に、洛寒軒は何とも言えない複雑な表情になる。

「お前の言うことも分かるが、こいつの性格では、お前達が望むような・・・藍鬼、いや栄仁のような宗主にはなれない可能性が高くないか?」

「・・・分かっています。前宗主と違い、この子は優しすぎる。」

はぁっと大きく息を吐いた玄肖は、洛寒軒に対して叩頭すると、地面にその額をつけた。

「宗主をもろてくれませんか、妖王。幸いにして、この子もあんたが気に入っとる。ほんまは、いずれ陸承の妻になって、宗主は彼に譲り、この子はここで穏やかに過ごしてくれればええと思っとりました。そやけど、あいつは・・・私が思っとったような男ではなかった。あいつに渡すくらいやったら、いっそ妖王、あんたに・・・」

「勝手に話を進めるなよ。こいつの気持ちはどこへいった。宗主になろうと頑張っているこいつに、いきなり妖王に嫁げとでも言うつもりか?」

「ここにいても、この子はぜったい幸せにはなれないんやで。最初は無理やりやったとしても、この子の性格なら、一緒におるうちに、きっとあんたを受け入れるはず。だって・・・」

なおも言い募ろうとする玄肖を制し、洛寒軒は沈楽清の手をそっと握った。

涙の跡が光る頬をもう片方の手でそっと撫でる。

(母によく似た、あの藍鬼の、性格はとても似ても似つかない弟。そして・・・)

「ここにいたら不幸になってしまうと言うなら・・・俺が、もらってもいい。」

「妖王!」

「ただ、それはこいつが宗主の器ではないと決まってからだ。二週間でいい。もし無理だと思ったら、こいつを抱いて俺のものにする。それでいいか?」

突拍子もない洛寒軒の申し出に、玄肖は目を大きく見開く。

「妖王?一体、何を・・・?」

「・・・俺は、こいつがそんなに弱い奴だと思えない。藍鬼には、絶対にこいつはなれない。でも、力の使い方を覚え、宗主の役割が果たせるようになったら、こいつはここに居なくてもいいんだろう?陸承という男がどんなものかは知らないが、こいつよりも力があるとは思えない。自分できちんと対処できるようになるはずだ。だから・・・」

(そして、こいつは、かつての俺自身だ)

沈楽清にかつての自分を重ねた洛寒軒は、その手で掴んでいた沈楽清の自分よりずっと小さな手をぎゅっと握りしめる。

12の頃の幼かった洛寒軒は、人を殺めたことで力を使うことを恐れて、自身でその力を封じてしまった。

その後3年間、生き地獄を味わった洛寒軒を、その身を犠牲にしてまでも何度も救ってくれた上、妖王となるよう指導してくれたのは藍鬼だった。

最後はなぜか自分を殺そうとした相手だけれど、それでも・・・

(藍鬼・・・これでようやく、お前に恩が返せる)

「俺が、こいつを宗主にしてみせる。」

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