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第21話

「妖王。こちらでしたか。」

穏やかな優しい声が聞こえ、龍王窟の執務室で本を読んでいた洛寒軒は書物からその顔を上げた。

「藍鬼。」

「ただいま戻りました、妖王。」

洛寒軒は臣下の礼をとる藍鬼を立たせると、岩で出来た長椅子へ彼に座るように命ずる。

「お前は最近、無理をしすぎだ。たまには休め。」

労りの言葉をかける洛寒軒に対し、藍鬼は結い上げていた髪をほどき、その恐ろしい鬼面を外すと、にっこりと微笑んだ。

洛寒軒と同じ真っすぐで長い黒髪がさらりとその背に落ち、恐ろしい仮面の中からは、面とはまるで正反対のとても優しげな美貌が現れる。

「私を心配してくださっているんですか?あなたは本当に優しい子ですね、妖王。それよりも課題はどこまで終わりました?」

見せてください、と自分の傍まで来た藍鬼に書き上げた書物を全て渡した洛寒軒は椅子から立ち上がった。

「どちらへ?」

「お茶でも淹れる。その間にそれを見ていてくれ。」

洛寒軒自ら茶を淹れに行くことに一度は遠慮した藍鬼だったが、「ここにはどうせ俺とお前しかいない」という洛寒軒の好意に甘えて、そのまま洛寒軒の書き記した書物を読み始めた。

数分後、その手にお茶と酒瓶と点心を持ってきた洛寒軒を見て、藍鬼はフフッと微笑む。

「それは、大仕事をしてきた私へのご褒美ですか?妖王。」

「・・・この前、行った町でたまたま売っていただけだ。」

大好きな白酒に瑠璃色の大きな瞳を細めた藍鬼は、いただきます、とグイっと一気に酒を口に含む。

その上品な香りとまろやかな味わいに満足した藍鬼は「ありがとうございます」と洛寒軒へお礼を言い、いそいそと二杯目を注いだ。

「おい!あまり飲みすぎるなよ!お前は飲みすぎると・・・」

「大丈夫ですよ。」

そう言って、二杯目も一気に飲み干した藍鬼は、トンっと机に杯を置くと、自分とは少し離れた椅子に座りながらお茶を飲む洛寒軒の頬をそっと撫でた。

「それとも、酔いつぶれたら私のことを襲います?妖王。」

「誰が襲うか!人にものに興味は無い。」

ふいっと横を向いた洛寒軒に対し、クスクスと楽しそうに藍鬼は笑うと自分の座っていた場所に戻る。

「貴方のそういうところが好きですよ、妖王。貴方のおかげで、私はこれ以上、炎輝を裏切らずに済んだのですから。」

「・・・口を慎め、藍鬼。他の奴が聞いたらまずいだろう?」

「栄仁、と呼んでも別にいいですよ?それを、万が一誰かに聞かれたなら、その口を封じるだけですから大丈夫です。」

三杯目を飲みながら、ますます口が軽くなる藍鬼に対して、そろそろまずいと思った洛寒軒は「部屋へ戻って休め。それは持って行っていい」と彼を部屋から追い出そうとする。

「酔ってませんってば。ところで、妖王。課題よくできていましたよ。たった四年でよくぞここまで。我々は同じものを幼いころから学びますからね。すごい努力です。さすがは妖王。」

「それは良かった。明日新しい課題を出してくれ。ほら、下がっていいぞ。」

パチパチと拍手をしながら大げさに褒める藍鬼の背を押しながら、洛寒軒はその身体を扉の外に追い出そうとする。

「・・・可愛くないですねぇ。そういうところは阿清と全然違う。あの子は本当に素直で可愛いんですよ?すごく小さくて、目もまんまるで、頬もあなたと違ってプニプニですしね。」

「俺を一体いくつの子どもと同一視してるんだ?!」

「私にとっては似たようなものですよ。」

くるりと洛寒軒へと振り向いた藍鬼は、そのまま自分よりも10cm近く背が高い彼へ腕を回して抱き着くと、その耳元で囁いた。

「ほら、こういう時に、身体が固まってしまうところとか・・・まだまだ子どもですね、妖王?」

フッと耳に息を吹きかけられた洛寒軒は、ビクリと身体を震わせると、思わず自分よりずいぶん細い藍鬼の身体をドンっと突き飛ばしてしまう。

「この酔っぱらい!本当に襲ってやろうか!!」

耳まで真っ赤になって、息を吹きかけられた耳を押さえる洛寒軒に、突き飛ばされて数歩後ろに下がった藍鬼はウフフと笑い始めた。

「可愛い。」

「っ!本当にお前は!もう部屋へ帰れっ!」

これ以上付き合っていられるかと怒鳴る洛寒軒を無視して、藍鬼は再び長椅子に座るとそこにごろんと横になる。

「ここで寝ます。私は貴方の側仕えですし、ここで静かにしていればいいでしょう?夕飯が食べたくなったら起こしてください。」

そう言って静かに目を閉じた藍鬼に対し、それ以上何も言えなくなった洛寒軒は、書斎机に戻ると再び本を読み始めた。

「・・・妖王。」

「何だ?」

しばらく大人しく目を瞑っていた藍鬼は、その瑠璃色の瞳を薄く開け、その天井を見る。

岩窟の中に建てられた龍王窟の天井は岩でできており、それは自分の生まれ育った玄冬宮とも、出仕していた梦幻宮とも、ここに来る直前に見た夏炎輝の部屋の天井とも違う。

妙に仙界が懐かしくなった藍鬼は、ぽつりぽつりと洛寒軒へ話し始めた。

「阿清・・・私の弟は、あなたと同じなんです。」

「俺と、同じ?」

「ええ。あの子は生まれながらにして仙根を持ち、その身に巨大な力を秘めている。妖根と仙根を持つあなたと同じように。」

「自分の弟を俺みたいなのと一緒にしてやるな。相手は神聖な存在なんだろう?それに妖根と仙根を持つとはいえ、俺の出自はよく分からない。母は何も言わずに死んでいったからな。今さら知りたいとも思わない。」

書物から目を離さず、淡々と答える洛寒軒に、藍鬼はその目を閉じると自分の腕で覆い隠した。

「・・・同じですよ。いえ、それ以上にひどいかもしれない。あの子は、永遠にあの館から出られないんです。天帝が生きている限り、何も許されない・・・禁忌の子だから。」

「藍鬼?」

「そんなあの子に・・・私は・・・」

どんどん声が小さくなっていく藍鬼の、いつもと違う弱弱しい姿に、ため息をついた洛寒軒は書物を横に置くと、彼の側に近づき、その近くに腰を下ろす。

服の袖から母親からもらった袋を取り出し、その中から親指ほどのミニチュアの琴を取り出した。

洛寒軒が霊力を込めると、その力に応じて元の大きさに戻ったそれに、洛寒軒は細く長い指を置き、静かに曲を奏でていく。

よく母がこうして、怖い夢を見て眠れなくなった臆病な自分のために琴を弾いて聞かせてくれた。

「妖王・・・私・・・」

「・・・寝ろ。疲れていると余計なことを考える。」

「そうですね・・・」

それ以上はお互い何も言わず、藍鬼から小さな寝息が聞こえてくるまで洛寒軒は琴を弾き続けた。

琴を再び袋の中に収めた洛寒軒は、すっかり眠ってしまった藍鬼へ近づく。

「藍鬼・・・」

(「他人のものに興味はない」か。俺は噓つきだな・・・)

自分に対してどこまでも安心して油断している藍鬼への、どうしようもない恋情を押さえきれない洛寒軒は、その唇に自分の唇を重ねようとするが、触れる直前にぐっと唇をかみしめると、邪な自分を打ち消すように、書斎机に戻って一心不乱に本を読み始めた。

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