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第20話

「桜雲、朝よ。起きなさい。」

「ん・・・まだ眠いよ。母さん、起きてほしいなら起こして?」

「もう、この子ったら。もう12にもなるのに、いつまでも経っても子どもなんだから。」

クスクスと笑う朗らかな優しい声。

白くて華奢な腕に抱きかかえられて起こされる中、彼女のフワフワとした鳶色の長い髪の一房が垂れ、洛寒軒の頬をさらりと撫でる。

洛寒軒は嬉しくなって、母にギュッと抱き着いた。

「おはよう、桜雲。」

洛寒軒のあまりに美しい容姿から、村の人々の間で、おそらく元はとても美しかったのだろうと言われている母は、その顔の大部分が焼かれてしまっている上、目も不自由だ。

それでも明るくて優しい母は、洛寒軒にとって自慢の母親だった。

洛寒軒は大好きな母へ「おはよう、母さん」と溌溂とした笑顔を返すと、それまで寝ていたゴザから立ち上がり、顔を洗うついでに水を汲んでこようと大きな甕を持って外へ出かける。

洛寒軒は家の裏の森の中を歩いて10分程のところにある小さな滝まで来ると、パシャパシャと何回か顔を洗った。

水の冷たさですっきりと目が覚めた洛寒軒が、綺麗な水を汲んで早く家へ帰ろうと滝つぼの方へ移動するため立ち上がったところで、近くから女性の悲鳴が聞こえた。

(小鈴姉さん?)

その声が、村の中で一番美しいと評判の小鈴の声に似ている気がして、洛寒軒は様子を見るため、甕をその手に抱えたまま、そちらへ向かって駆け出した。

洛寒軒がいた滝の反対側の森の中、走っていった先で洛寒軒が目にしたのは、水浴びに来ていたのであろう小鈴とその母親が、洛寒軒がそれまで見たことがない白い服を着た男数人に取り囲まれて、その身体を地面に押さえつけられるところだった。

「何をしているんだ!?」

洛寒軒は小鈴の上に跨っていた男の頭に思い切り甕を投げつける。

ゴンッと鈍い音がして、男は「いてぇ」と頭を押さえ、その場に転がった。

「・・・なんだ、このガキは。」

男たちから一斉に睨まれた洛寒軒は、彼らが剣を持っているのに気づき、一瞬たじろいだが、近くにあった長めの木の棒を拾うと彼らめがけて突進した。

「お前たちは何をしているんだ?!小鈴姉さん達を離せ!」

おそらく相手が子供ということで油断していたのだろう。

洛寒軒は一番近くにいた男の頭に、その手に持った木の棒を正確無比に打ち込んだ。

打たれた一人がパタリと意識を失ったことで、思った以上に腕が立つ洛寒軒に対して目の色が変わった男たちは、腰に佩いてあった剣を一斉に抜き、洛寒軒へその剣先を向けた。

「待って、待ってください!仙人様!!」

彼らと洛寒軒の間に、髪や衣類がひどく乱れ、その美しい顔の右頬を赤く腫らした小鈴が立ちはだかる。

「この子はまだ幼い子供です!どうかお慈悲を。」

そう言うと、小鈴は「桜雲、私たちはいいから帰りなさい!早く!!」とその身体を後ろへ押しやった。

「小鈴姉さん!駄目だよ!姉さんたちもっ・・・!」

グサッ

男たちの手が再び小鈴に伸びたのを見て叫んだ洛寒軒は、突然左わき腹から激痛がして、その場に倒れこむ。

(何・・・?)

ドクンドクンと鼓動が早くなり、何が起きたか分からず、左わき腹を押さえると、そこから大量の血が流れ出ているのが見えた。

「うるさいガキだ。さっさと死ね。」

「おい、あまり簡単に殺すなよ。一応、守らないといけない存在なんだからさ。」

「おいおい、今さらいい子ぶるなよ。どうせ楽しんだ後で、そこの二人も口封じするんだ。二人も三人も一緒だろ。俺たちと違って、人間なんて履いて捨てるほどいるんだからさ。」

洛寒軒の血が付いた剣を持った男は、さらに洛寒軒の身体を思い切り蹴り上げる。

洛寒軒の小さい身体が鞠のように飛んでいき、背中から木にぶつかった衝撃で、洛寒軒はその口からゴホッと大量の血を吐いた。

「桜雲!」

男たちに再び押し倒された小鈴が、泣きながら、それでもせめて彼だけでも助けようと懸命に洛寒軒へと手を伸ばす。

意識を失いそうになる中、小鈴の泣き叫ぶ声が、男たちの醜悪な笑い声が洛寒軒の耳に入ってきて、洛寒軒の鼓動がドクンッと大きく高鳴った。

(こいつら全員、殺してやる・・・!)

強い殺意に支配された洛寒軒の身体から、黒い靄のようなものと黄金の光がゆらりと立ち上り始めた。

神聖な霊力と禍々しい妖力を同時にその身に纏った洛寒軒を、女を襲っていたのも忘れ、唖然とした表情で見つめる仙人達へ向かって、その場に立ち上がった洛寒軒は彼らをあざ笑うようにその口元を歪めると、その手を小鈴の周りにいる男たちへ向かって伸ばした。

「死ね。」

洛寒軒の言葉と同時に、その手の先にあったものが一瞬で跡形もなく消し飛ぶ。

「ひっ・・・!」

「ば、化け物だ!一旦退却して宗主に報告するぞ!」

「きゃああああ!小鈴!!」

その場から逃げようとする仙人達の声がする方へ全員皆殺しにしようと再びその手を向けた洛寒軒は、小鈴の母親の悲鳴が耳に入り、ビクリとその身体を震わせた。

「あ・・・」

仙人達が蜘蛛の子を散らすように逃げるのをぼんやりと眺めながら、洛寒軒はつい先ほどまで小鈴がいた場所へ歩を進める。

「小、鈴・・・ねえ、さん・・・?」

もうすぐお嫁にいくはずだった彼女の、婚約者からもらったという青い靴。

そして、そこにはまっている細い足首が洛寒軒の目に映った。

あまりに現実感がないその光景に思考が追い付かない洛寒軒は、とりあえずそれに触ろうと手を伸ばしたが、その身体を思い切り突き飛ばされ、その場にしりもちをつく。

「化け物!」

小鈴の母親が、それを横から奪い、洛寒軒から守るように抱えると彼を憎悪のこもった眼で睨みつけた。

「化け物!!お前が・・・お前のせいで、小鈴が!!」

髪を振り乱し、涙を流しながら半狂乱になった小鈴の母親は、何が起こったか分からずにぼんやりとしている洛寒軒へ飛び掛かると彼の顔をひっかき、その身体を殴りつける。

「化け物!!お前が娘を殺したんだ!」

最後に小鈴の足首のついた靴で頬を殴られた洛寒軒は、ようやく自分が何をしたのかを自覚し、その殴られた頬をさする。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

パニック状態になった洛寒軒は、小鈴の母親の身体を突き飛ばすと、家へ向かって一目散に駆け出した。

息継ぎも忘れて走り、必死で家にたどり着いた洛寒軒は、ゼイゼイと大きく肩で息をしながら木の板で出来た簡素な扉を勢いよく開ける。

「遅かったわね。ついでに水浴びもしてきたの?」といつものように優しく微笑む母を見て、洛寒軒はその身体に縋りついた。

大きな声を上げて泣き出した洛寒軒のただならなぬ様子に、母は顔色を変えると、その両肩を強く掴む。

「桜雲!何があったの?言いなさい。早く!」

「母さん・・・俺・・・俺・・・人を、殺して・・・」

呆然と涙を流す洛寒軒の、人を殺したという告白に母の顔色が変わった。

それでも震える両手で、洛寒軒の小さな身体を抱きしめる。

「小鈴姉さんが、白い服を着た、仙人たちに襲われて・・・それで、俺も、刺されて・・・」

左わき腹を思わず押さえた洛寒軒は、その時になって初めて刺されたはずの傷が跡形もなく消えていることに気が付いた。

「あいつらを、殺したいって思ったら、なんか、勝手に・・・手から光が・・・そしたら、そしたら姉さんまで!母さん、俺は一体何なの?俺は、俺は人間じゃないの?!」

ぼたぼたと大粒の涙を流し、それ以上は言葉が詰まって話せなくなった洛寒軒を、母は力強く抱きしめると「桜雲」と優しく声をかけた。

「白い服、を着た仙人を、殺したのね?」

こくこくと頷く洛寒軒に、母は顔の中で唯一無事に残る洛寒軒と同じ桜色の右目をギュッと閉じると、洛寒軒の身体を自分の身体から引きはがした。

「逃げなさい、桜雲。」

「母さん?」

「もう間もなく追手が来るわ。あなたは逃げて。」

母は自身の袖から小さな袋を取り出すと、ただただ呆然と涙を流す桜雲の両手に握らせる。

「これには、あなたのお父様と私の大切なものが入っているわ。これからは貴方が持っていて。」

「いやだ!俺が背負うから、母さんも一緒に!」

自身も一緒に連れて行こうとする洛寒軒の手を制し、母はもう一度のその身体をぎゅっと抱きしめると言い聞かせるように優しく諭した。

「桜雲、言うことを聞いて。あなたは、私とあの人の大切な子。どうか、あなただけは生きて・・・幸せになって。」

その片目から静かに涙を流した母は、洛寒軒の身体に札を一枚貼る。

札からまばゆい光が発せられると、洛寒軒の身体がふわりと浮き上がった。

「母さん!」

「愛してるわ、桜雲・・・何も話さずに逝く私を、どうか許して・・・」

「母さん!!」

ごぅっと風が巻き上がり、必死で母へと手を伸ばす洛寒軒の身体をあっという間に上空へ誘う。

自分の家から激しい火の手が上がるのを見た洛寒軒は、家へ戻ろうとジタバタと身体を動かすも、術で起こされた風の中ではどうすることも出来ず、そのままその身体は遠くへと運ばれていった。

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