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第101話 当て馬にもなれやしない


 細い通路の奥、小さな甘い声が聞こえた物置の前で、江崎は息を潜めていた。

 中の様子を窺う江崎。扉は施錠されていて開かない。けれど、時々中から物音がして微かに声も聞こえる。


(これって、蒼くんの声だよね?)


 江崎は扉に耳を当て、なんとか聞き取ろうと耳を澄ます。


「も、やだ····」


(え? 襲われてる? 無理やり··とかなの? 人呼んだほうがいいかな)


「んっ··ぁ、んぅ····」


(可愛い顔してるなとは思ってたけど、声まで可愛いのね。えっろ····そりゃあの顔じゃ襲いたくなるわ)


 ふむふむと納得してしまう江崎。ハッと我に返り、調査の事を思い出す。


(違う違う、相手がRenか確認しなくちゃ。Renだったら許さないんだから!)


「可愛くさえずりやがって。誘ってんのか?」

「は、ぁ··、違──んぅ」


 答えきれぬまま、湊はまた唇を塞がれた。


「せっかく人が我慢してやってんのに、スイッチ入れたのお前だからな」

「んぇ? な、なんの事?」

「お前がンな可愛い顔してっから、抱くの我慢できねぇってコトだよ」


 撮影中、湊が江崎に見せた笑顔に嫉妬していた煉。嫉妬をお仕置きと称して当たっている真っ最中だった。


(この声、絶対Renだ。やっぱりあの2人、そういう関係なの!? だからこの私がどれだけアピっても効果なしだったってコト? てか私、蒼に負けたってコトよね? ····許せない)


 煉と湊は、暫く物置から出てくることはなかった。確信を得た江崎は、確実な物証を得るために動き出す。



(2人が出てきた後、部屋を調べたけど何にも見つからなかったのよね。ゴミ箱なんて漁ったところで何も出ないだろうし。捨ててるとしたら不用心にもほどがあるもんね。まさかナマ········いやいや、そこは問題じゃないわ。やっぱり後をつけてみるか····)


 江崎がブツブツ呟きながら楽屋を出た時、同時に出てきた煉と鉢合わせた。瞬時にぶりっ子を演じる江崎。


「わっ、お疲れ様です。Renくんも今から帰るんですかぁ?」

「っす。まぁ、はい」


 煉の素っ気なさに、江崎は心の中で舌打ちをかました。

 煉たちより3つ年上で大学生の江崎。煉は、年上なので強く出ないように気をつけているが、江崎のきゅるんと乙女ぶった様子にゲンナリとした表情を見せてしまった。

 とは言っても、あまり表情の変わらない煉なので、その変化に気付かない江崎。煉の微妙な表情の変化に気付けるのは、湊の他には余程近しい者だけなのだ。


「あの、よかったらこの後一緒に夕飯とかどうですか? 近くに良いお店があってぇ──」

「や、急ぐんですんません」


 素っ気なく断り、すたすたと帰ってしまう煉。クランクアップも近づいており、逃してなるものかと江崎は後を追う。


「待って!」


 江崎は、ポケットへ手を突っ込んでいる煉の腕に抱きついた。胸を押し付け、ギュッと腕を抱き締める。疎ましそうに振り向く煉を、潤ませた瞳で見上げて誘う。


「私、Renくんともっと仲良くなりたくて····。私のこと、嫌いじゃなかったらその····一度だけ食事に行ってもらえませんか?」


(私と一度でも食事に行けば堕ちない男なんていないのよ。一気に攻め堕として──)


「····はぁ。離せよ」

「え?」

「離せつってんだろ。しつけぇんだよ、毎回毎回媚びてきやがって気持ちわりぃ。気安く触ってんじゃねぇぞ、ブスが」


 とんだ暴言を吐く煉。煉の目には、湊以外が輝いて見える事はないのだから仕方ない。

 ましてや、整った顔など見慣れている煉。そんじょそこらの芸能人など、たいしたレベルではないのだ。


「媚び····え? ブ、ブス····? 私が?」

「周りに持て囃されて勘違いしてんだろ。お前程度、たいしたことねぇっつの」


 そう言って、腕を振り解き行ってしまう煉。呆然と立ち尽くす江崎は、時間差で怒りと恥ずかしさが込み上げてきていた。

 そこへ、タイミング悪く現れた湊。涙ぐんで立ち尽くしている江崎を見た湊は、駆け寄って声を掛ける。


「江崎さん、大丈夫ですか? 具合悪いんです··か──」


 肩に触れようとした湊の手を払う江崎。驚いた顔の湊を見て、江崎は瞬時にキャラを作る。


「あっ、ごめんなさい。ぼーっとしてて、びっくりしちゃってつい····」

「ううん、僕のほうこそ急に声かけて驚かせちゃってすみません。あの、大丈夫ですか? マネージャーさん呼びましょうか?」


(こんなちんちくりんに私が負けた? ちょっと可愛い顔してるからって有り得ないでしょ····)


 感情が漏れ、江崎の笑顔が少しだけ歪む。


「大丈夫よ、ありがとう。それより、蒼くんってこの後時間ある? 私この後予定なくて、よかったらお茶でもしていかないかしら?」


 ニコッと笑顔を作り直して言う江崎。


(何かボロ出してくれたらツッコめるんだけどなぁ····。この子、断れなさそうな性格っぽいし、最悪ゴリ押しで──)


「折角誘ってもらったのにごめんなさい。僕、この後大事な用事があるから行けないです」

「········あ··ら、そう。大事な用事····なら、しょうがないわね。また時間があったら付き合ってね」


 引き攣った笑顔で言う江崎に、湊は満面の笑みで『ありがとうございます!』と言って帰っていった。湊はこれから、夕飯作りで大忙しなのである。

 広い廊下にぽつんと取り残された江崎。立ち尽くす後姿に、一部始終を見ていたマネージャーが歩み寄る。


「まったく····。バカなコトしないようにね。あの2人のこと、それぞれの事務所からよろしくって言われてるんだから。いつもの悪い癖出したら流石に庇いきれないわよ」

「うっさいな! 何!? 公認ってこと? なんなのよ····このままじゃ私のプライドが許さないんだからね!」

「はぁ····アタシ、ホントに知らないからね」


 マネージャーは項垂れて言った。




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