湊が不良たちに襲われた事件から数日。あれから毎日、煉の視線が痛い湊。樹も時々、教室の前を通る時など、湊が視界へ入ると心配そうに様子を窺っている。
そんな緊張感に少し疲れてきた湊。だが、身を案じてくれる気持ちへのありがたさと、心配をかけてしまった申し訳なさから何も言えないでいた。
けれど、惟吹の過保護を思えば慣れた事。数日もあれば、それも湊にとっては日常と化していった。
周囲が湊の安全に意識を置く中、煉から惟吹への連絡頻度が跳ね上がっていた。逆も然り。
密に連絡を取り合い、湊の安全を共有しているのだ。惟吹は、思っていた以上の煉のマメさに感心していた。
と、事件をきっかけに、煉と惟吹の関係が緩やかに好進している。そんな穏やかな日々の、ある朝の西条家の様子。
菜箸が銀のボウルに当たり、カッカッカッカッと小気味よいリズムを刻む。それに加わる、黄身と白身が混じってゆく卵液の音。そして、熱した玉子焼き器へジュゥ··と卵液が敷かれる音に食欲をそそられる。
ウトウトと目をこすりながらキッチンへやって来た惟吹は、毎朝聴こえるそれらの音に心和まされていた。
けれど、今日はそれにかぶさり話し声が聞こえる。
「みっなと〜、昨日の弁当も美味しかったよ。いつもありがとうな」
(ゲッ····父さんテンション高そうだな。寝起きからあのテンションしんどいんだよなー····)
惟吹はキッチンに入らず、
「母さんのレシピ通りに作ってるだけだよ。アドバイスがギッシリ書いてあるから凄く助かってる」
「母さんは几帳面で凝り性だったからなぁ」
「おかげで僕でも作れてるんだから感謝しかないよね。あ、でも、巻くのは上手くなった自信あるかな。えへへ」
照れて笑う湊。ふっくらと焼けた卵焼きを皿に移すと、再び卵焼き器へ卵液を注ぐ。
マメな性格だった母の
穂奈美は、碧が大きくなったら一緒に作り、レシピは嫁入り道具として持たせるんだと、幸せそうに利幸へ話していた。
そんな穂奈美の想いを、なんとしても叶えたいと尽力した利幸。だが、利幸は毎度パーフェクトに料理を焦がす才能と、度々調味料を間違えるそそっかしさを兼ね備えていた。
毎日焦げた料理に、湊たちの食が進むはずもなかった。利幸に弟たちの食を任せてはいられないと、よく母と一緒に料理をしていた湊が、不器用な父親に代わってその役割を担おうと名乗りを上げたのだ。
「あぁ、母さん並みに上手くなってるよ。俺なんて巻く以前の問題だったからなぁ~」
「あはは··。そうだ、朝食はベーコンエッグトーストだよ。食べる時間ある?」
「今日は余裕ある。から、いただこうかな」
「おっけー。それじゃ、座って待ってて」
高圧的に笑顔を向ける湊。それに気づかない利幸は、ワイシャツの袖を捲って言う。
「いやいや、トーストくらい父さんが焼く――」
「焦がされちゃたまんないから、座ってて?」
「····はい」
しょげた利幸は、コーヒーを零さないよう注ぎテーブルに運んだ。もうすぐ起きてくる子供たちの飲み物も、零さないよう慎重に運ぶ。
「そういえば、煉くんとは順調なのかい?」
湊の手がピクッと止まる。父の言う“順調”とは、どういう事を指すのだろうか。単純に仲が良いという事なのか、関係が進んでいるという事なのか、湊は返答に迷う。
廊下で聞き耳を立てていた惟吹は、波打つ心を深呼吸で落ち着かせて湊の答えを待つ。
「んー··、まぁ、仲は良い··と、思うよ。お互いオフの時は変装してデートしたりするし。ほら、こないだお花見行ったって話したでしょ? 煉だけじゃなくて皆優しいから、今ね、凄く楽しい」
将来、一緒に住もうと言われた事や、身体の関係を持ったことなど、親に言えるわけがないと思った湊。言葉を濁しながらも嬉しそうに答えた。
「そうか、ならよかったよ」
利幸は目を細め、安堵して幸せそうに微笑む。息子の幸せを願う、父親の顔だ。
「そうだそうだ、煉くん! 人気モデルさんなんだってね。会社にもファンだっていう子がいてさ、思わず自慢しかけたよ」
「えぇ····。ホントにやめてよ? 僕の事も、ぽろっと言っちゃいそうで怖いんだよね」
溜め息交じりに、慣れた手つきで卵をクルクルと巻く湊。
「言わないよ~。みーとひーですら内緒にできてるんだから。俺だって、湊や煉くんに迷惑かけないよう最大限気をつけております!」
利幸は、敬礼をして答えた。が、振り上げた手がマグカップを直撃し、見事にコーヒーをぶち撒けた。西条家ではよく見る光景である。
「あーもう。何やってんだよ父さん。ホントマジで落ち着けって」
利幸がやらかすと同時に、リビングに入ってきた惟吹。
「惟吹ぃ~··、おはよ~」
「··はよ。ほら、情けない声出してないでタオルとってきなよ」
テキパキと指示を出す惟吹。朝食が運ばれてくる前で良かったと胸を撫で下ろした。
「惟吹、おはよ」
「おはよ、湊にぃ。何か手伝えることある?」
「こっちはもう終わるから大丈夫だよ。父さん助けてあげて」
「はいよ。ったく、父さん外でもこんなんなのかな」
「どうだろうね。心配になっちゃうよねぇ」
冗談ぽく言っているが、割と本気で心配している2人。そそっかしくない父の姿など、2人には到底想像できないのだ。
ドタバタした朝を過ごし、いつも通り父と双子を見送ると、湊は惟吹に連れられて家を出る。
学校へ向かう道中、惟吹が真面目な顔をして話し始めた。
「煉のことさ····」
「うん? 煉がどうかした?」
「認めてやんなくもないかなって」
「んぇ? どうしたの急に!?」
驚き目を丸くする湊に、惟吹はツンと唇を尖らせ『俺のほうが湊にぃを好きなのは変わらないけどね』と言う。
「でも、ちょっとだけ、ホントにちょびっとだけね。湊にぃのこと任せても、まぁ····ダメってわけじゃないのかなって、思ったんだよね」
「うぇ··? ねぇ、ホントにどうしたの?」
惟吹は、ここ最近の連携や花見で煉から言われた事を湊に話した。湊は顔を真っ赤にして俯く。
それを不満そうに見る惟吹。だが、自分の幼さに辟易としていた惟吹には、悪態をつく余裕すらなかった。
「煉は優しいんだ。僕にも、僕が大切にしてる人にも。樹もそれを知ってるから、本気で僕を奪おうって気になれないんじゃないかな」
静かに言う湊は、色々なものを抱えた顔をしている。けれど、それを一人で背負っているわけではないのだと、少し緩んだ微笑みが物語っていた。
そんな顔を見せられては、惟吹がこれ以上言える事などなかった。