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第52話 実はこっそりと


 湊が立っている調理台のひとつ後ろの調理台、その陰からひょこっと現れたのは煉。湊の肩を叩いたクラスメイトへ、苛立ちを込めた舌打ちをかました。


「煉、クラスに戻らなくていいの?」


 袋にクッキーを3枚入れ、青いビニタイで封をしている湊が尋ねた。


「別に。あとは衣装着るだけだから、昼飯食ってからでいいんだよ」

「そうなんだ。あ、それは商品だから食べちゃダメだよ」


 1袋ずつ丁寧に梱包しているクッキーに手を伸ばした煉。湊は、その手をそっと止めた。


「1個くらいいいだろ、ケチ」

「こっちはダメなの。一応、これでも売り物なんだからね。煉には、その··、別でちゃんと持ってきてるんだ」

「は?」


 目を丸くして驚く煉に、湊は鞄から取り出したクッキーの包みを渡した。商品の物よりも2枚多く、1袋に5枚入ったクッキー。それを3袋も。夕べ、レッスンから帰った湊が、煉を想い焼いた物だ。

 頬を少し赤らめて、ぶっきらぼうに『··ざす』と礼を言った煉。湊は、ふふっと笑って作業に戻った。


 見るからに落ち着かない様子の煉を心配する湊。どうしたのかと聞いても、煉は『別に』と言うばかり。お手上げ状態の湊は、最後に読み合わせでもしないかと誘ってみた。

 何故か上から『いいけど』と言われた事にはツッコまないように、湊はスンと心を無にする。一呼吸置いて、湊は暗記してしまった煉へ繋がるセリフから始めた。


 読み合わせを進めていくと、煉の緊張が少しずつ解けていった。いつものように、湊の柔らかい声を聴き、ルーティンを終えたかの様に気持ちが落ち着いたのだ。


「こういう劇··っつぅか行事自体、まともに参加すんの初めてだって前に言っただろ」

「うん」


 セリフの合間に、ぽろっと心境を吐露し始めた煉。静かに話す煉は、思いのほか素直になる事を湊は知っていた。


「柄にもなくさ、緊張してるっぽいんだよな」

「んふっ、意外だね」

「笑うんじゃねぇよ」

「へへ、ごめん」

「ったく····。なんつぅかさ、お前に会う口実だったとはいえ──」

「それは初耳だよ」

「うるせぇ。··で、折角マジで練習したし兄貴も観に来るし、なんか失敗できねぇんじゃね? って思ったらさ、急に逃げ出したくなったっつぅか····」

「うん、分かるよ。僕も同じだった」


 湊は、自分も初めてステージに立つ時、同じ事を思ったのだと煉に話す。黙ってそれを聞く煉は、いつものツンツンした御曹司の風格はなく、ひとりの男子高校生として湊と向き合っていた。

 それが湊にとって特別に意味を持つことではなく、元来持ち合わせているだけの優しさだという事は理解している。けれど、自分の弱音を揶揄うでもなく、真剣に聞いてくれる存在と出会えた煉は、これまで以上に湊との居心地の良さを感じていた。


 心の内を話せて、幾分かスッキリした煉は読み合わせを再開する。

 言い慣れたセリフを流しながら、すっと湊の背後に立つ煉。肩に手を添え、耳元で例のセリフを囁く。


「私が愛しているのは姫、貴女だけです。どうかその魂、私に委ねてください。生涯護りましょう。さぁ、誓いのキスを」


 初めの頃のぎごちなさが嘘の様な、王子になりきり湊を姫のように扱う煉。後ろから抱き締め、湊の頬から顎に手を掛けて振り向かせる。そして、そっと唇を重ねた。

 ほんの数秒間、時を止めた2人は廊下から聞こえる喧騒で現実に引き戻される。


「カップケーキ、焦げちゃうよ····」

「··だな。続き、できる?」

「キスなしならね」


 湊は、カップケーキを引き渡す準備をしながらつらつらとセリフを言って、また読み合わせを再開する。


 読み合わせを終えても、煉は湊の作業を邪魔しないように、後ろから抱き締めたままそれを見つめていた。


「お前の手作り、俺以外に食わせんのやっぱヤだな」

「えぇ··、今更過ぎるでしょ」

「るっせぇな。嫌なもんは嫌なんだからしょうがねぇだろ。つか、こういうの事前に言えよな」

「これ決まった時、僕たちまだ付き合ってなかったでしょ。それどころか険悪だったよ」

「そうだっけ? 過ぎた事とか何でもいいけどさ、来年はこういうの許さねぇかんな」


(それって、来年も一緒に居るってことだよね。んへへ··、僕も煉が女の子と絡むのは嫌だって言ったら、ちゃんと聞いてくれるのかな····)


 湊は煉に気づかれないよう、にまにましてしまう顔を伏せて作業を続けた。



 文化祭が盛り上がってきたお昼前、担当のお菓子を作り終えた湊は解放され、煉に空き教室へと拉致られていた。


「うわ····、樹から凄い着信きてる。掛け直していい?」

「ダメに決まってんだろ」


 そう言って、煉は鬱憤を晴らすかのように、湊を壁に追い込み激しいキスを見舞った。

 舌を絡ませるキスにまだなれない湊は、どうにも上手く呼吸ができない。煉の胸を押し返すと、両手首を掴まれ壁へ押しつけられた。愛らしい声で『んーっ』と、必死に抵抗して見せるが意味をなさず、湊は煉の欲望が求めるまま唇を貪られる。


 酸欠で頭がボーッとしてきた湊。次第に足の力が抜け、立っていられなくなる。

 そして、ついにガクンと膝を崩した湊の腰を、煉がとっさに支えた。


「もうちょい、だけ、キスしたい。キスだけだから····」

「ふ··ぅ、ん··いい、よ。シて」


 たどたどしく答えた湊の唇を、煉は再び食べるような勢いで塞ぐ。

 互いに求めるがまま、キスを交わして十数分。その間も、湊には樹から、煉には仁と穂月からの着信が止むことはなかった。



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