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第45話 心に刺さるもの


 湊の蕩けっぷりに危機感を抱いた煉。『もうシないの?』と戸惑う湊を起こし、持っていたパックジュースのイチゴミルクを湊に飲ませる。

 煉は、湊が落ち着き正気を取り戻すまで、ギュッと大事そうに抱き締めたままだった。


 煉の腕の中で、徐々に正気に戻っていった湊。イチゴミルクをちゅぅちゅぅと吸いながら、恥ずかしさが込み上げ顔を真っ赤にしてゆく。

 まさか、自分があんなにも快楽に弱いなどとは思っても見なかった湊。頭をぽふっと煉に預け、小さな声で『煉のバカ』と罵った。


 煉は、湊の身体がどんどん強張っていくのを感じる。想定外に蕩けていた湊だが、記憶はちゃんとあるのだと煉は気づき、悪口を零した湊に意趣返しを企む。


「お前が煽ってきたんだろ。俺以外にあんな顔晒すなよ。エロすぎだっつぅの。··あ、な」

「なっ··、え、エロくなんかないもん! 煉の意地悪····」

「意地悪じゃねぇんだよ」


 煉は、湊の頬を包むように持ち上げて言う。


「お前、マジでエロいんだよ。キスだけでトロットロになってたん自覚あんだろ? あんな顔、俺以外に見せたくねぇの。····分かれよな」

「····っ。じゃ、じゃぁ命令とか言わないで、初めから普通にそう言ってよ」


 いっぱいいっぱいになりながらも、何とか要望を伝える湊。そして、ある事に気づく。


「そうだ、気になってたんだけどね、僕たち、その··こ、ここ、恋人になったでしょ? だったら、僕が煉の命令に従うってやつ、なくならないのかなぁって。··は、流石に虫が良すぎるよね」

「そうだな。なしにしてやってもいい」


(してやってもいいって··、本当になんでも上からなんだから。よし、この際だからちゃんと対等に――)


 意を決する湊だが、煉は先手をとって宣言してしまう。


「これからは命令じゃなくてわ」

「····え?」

「2人ン時は前髪上げんの継続な。んで、俺の連絡には5分以内に返すこと。それから――」

「ま、待ってよ! それじゃ今までと変わらないよ」

「は? 全然違ぇだろ」

「····どこが?」


 煉は、これまで強制していた事を、これからは湊の判断で行動していいのだと言った。あくまで、これからは恋人として“お願い”をするのだと強調する煉。


「うーん、なんか釈然としないなぁ。それじゃぁさ、煉も僕からのお願い聞いてくれたりするの?」

「当たり前だろ。俺は恋人の願いだったらなんだって叶えてやるよ」


 煉の放つ言葉全てが甘く聞こえてしまう湊。蜜月とはよく言ったもので、両思いになった途端、湊は恋の深みにハマってゆく。

 だが、夢現の湊を現実に引き戻す事柄がわんさかあった。


 湊は、煉の『叶えてやる』という言葉で、ある約束事を思い出した。それは、湊にとってとても大切な約束。


「そうだ! 今日ね、すぐ下の弟の誕生日なんだ。惟吹って言うんだけど、それでね、惟吹のリクエストでオムライス作らなきゃなんだ!」

「へぇ··。んで?」


 嬉しそうに話す湊。煉は、自分との時間に割り込んできた悔しさなど、その顔を見るだけで吹き飛んでしまった。

 煉は満面の笑み話す湊につられ、柔らかい笑みを浮かべて話を聞く。


「で····ハッ! 特売の時間なんだよ、卵の! だから煉、一緒に来て?」


 煉の胸ぐらにしがみつき、縋るような目で見上げる湊。あざとく縋ってくる湊に、込み上げる感情をグッと抑える煉だが、ふと『特売』という言葉が過ぎり我に返った。


「あ? とく··ばい?」



 ひょんなコトから、人生初の激安スーパーに立ち入る事になった煉。見たことのない光景に、煉はスーパーの前でたじろいでしまう。


「これが··、スーパー····」

「何してるの煉、早くしないと卵売り切れちゃうよ」


 そう言って、煉の手を引き卵売り場へ直行する湊。そこは戦場の如く殺伐とした空気で、みな一心に100円引きの卵を狙っている。

 呆然と立ち尽くす煉を置いて、湊は群衆に押し入ってしまう。そして、湊は押し合う主婦に紛れ、残り少ない卵を2パックも勝ち取ってきた。


「1人1パックなんだ。1000円以上お買い上げで安くなるから、カゴ分けるね!」


 湊は、鼻息を荒くしてそう言うと煉にもカゴを持たせ、1000円ずつになるよう買い物をしてゆく。必要な物をカゴに放り込むと、煉に代金を渡してそれぞれレジへ向かわせた。

 カゴの最上にちょこんと乗せられた卵を見つめ、煉は状況を整理する。自分を置いて行ってしまう湊の背中と卵を交互に見て、わけも分からないままゆっくりと歩み始める煉。

 コンビニ以外のレジを初体験し、荷物をエコバッグに詰める湊を手伝って煉は思う。


(コイツ、いつもこんな苦労して買い物してんのか。コンビニじゃ買えねぇのかよ)


 スーパーを出たところで、嬉しそうに『煉のおかげで2パックも変えちゃった』と笑顔を見せる湊。あまりの愛らしさに、煉は心臓がギュッと締め付けられる。

 そして、煉は深く考えないまま言葉を放った。


「お前、卵も買えないくらい··その··貧乏なのか?」

「え? そういうワケじゃないけど、安いに越したことはないでしょ。弟たちの学資金とか貯めておきたいし」

「学資金····あぁ。そういうもんなのか····」

「お金持ちには分かんないだろうけど、一般家庭なんてこんなもんだよ」

「そういや家事も大変だつってたよな。そういや、お前ん家も母親が居ねぇんだろ? ····そうだ、メイド。俺ん家のメイド派遣したら会える時間増えるか?」


 突拍子もない発言をする煉。

 その必死さに、湊は思わず笑いが込上げる。思うままに発言する煉を可愛いと思ってしまったのだ。


「あははっ! メイドさんはありがたいけどいいや。家族がびっくりしちゃうもん」

「あぁ··そうか。そうだな」

「でも、そうだね。僕の所為で会える時間少ないもんね」


 多忙を極める湊の負担になりたくないと思う煉。だが、会いたい気持ちも抑えられなかった。

 煉は、卵の入った袋をギュッと握り、躊躇いがちに言う。


「なぁ··、文化祭、どうにか一緒に回れねぇかな」

「え····」

「いや、やっぱいい。バレたら面倒だもんな。忘れろ」


 パッと俯いて、手で項を隠すように撫でながら言う煉。バツが悪そうに、すぐさま発言を撤回した。

 きっと、湊を困らせるだけだ。そう思った煉だったが、チラリと見た湊の表情は、煉の想像とはまるで違うものだった。


「忘れないよ」


 湊は、瞳をキラキラと輝かせて言った。



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