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第39話 気づく瞬間は突如として


 湊を見送った煉は、気が抜けてその場に座り込んでいた。高鳴る心臓を落ち着かせるために、大きな溜め息を吐く。

 煉は、煩くはやる鼓動に耳を塞がれ、背後へ迫る足音に気づかないでいた。


「あの、スタッフの方ですか? そこ、通していただいてよろしいでしょうか」


 物腰の柔らかい涼しげな声。聞き覚えがあるその声に、煉はバッと振り向く。そこには、白い学ラン姿の綾斗が立っていた。

 ハッとして、慌てて立ち上がる煉。


「あ··、すんません」


 入り口を塞がれ困り顔の綾斗。変装していなかった煉を、綾斗は“涙さん”だと気づかずに声を掛けていた。


(うわ、俺よりちょっとデカイな。て言うか、ガラ悪いけどすっごいイケメン。演者側でもおかしくないけど、そういう感じではなさそう··だよね。でもどこかで見た覚えがあるような····)


 困った顔も端麗で、煉は思わず見惚れててしまう。立ち尽くす煉に、綾斗は爽やかな笑顔で対応した。


「スタッフの方··じゃ、なさそうですね。ファンの方なら、入場口はあちらの正面玄関の方ですよ。ここは裏口です。少し距離がありますが····」


 綾斗が正面玄関の方を指差して言う。それを遮るように、煉は言葉を挟む。


「あ、いや、大丈夫ッス。わかるッス」


 そう言って、煉はそそくさと去って行った。

 何度も来ているライブ会場なのだ。迷う事はまずない。煉は、まっすぐ入場口を目指した。


 訝しげな表情で、去って行く煉の背中を見届ける綾斗。煉の正体に気づかないまま、綾斗は控え室へと向かう。

 綾斗が控え室へ入ると、とうに準備を終えた尚弥が抹茶ラテを飲んでいた。挨拶と『今日も暑いね』を済ませ、綾斗は荷物を置いて衣装を取り出す。

 ご機嫌な湊は、着替えている最中。鼻歌混じりに、さっき落とした飾りを胸に着ける。


「えらくご機嫌だね、湊」


 煉と普通に話せたのが嬉しかった湊は、無意識に上機嫌になっていた。それに気付かされ、少し赤くした頬を俯いて隠す。

 そして、湊は下手くそに話を逸らした。


「別に··いつも通りだよ。それより、今日は遅かったね」

「あぁ、アキがね····。今日はかなり機嫌悪かったからなぁ····、ゲネが始まる頃には来るんじゃないかな」

「毎度毎度、本当に学習しないよね、あの遅刻魔」

「あはは····。秋紘くん、また何かあったの?」

「今日はねぇ、また元カノに捕まってたからさ··──」


 数週間前、執拗い元カノに困っていると言っていた秋紘の話を思い出し、湊と尚弥は興味を示さず『あぁ····』と漏らした。先月も復縁を迫られて困っていると喚いていたが、それとは別の人らしい。

 サルバテラに入る前の事、秋紘は女性関係が特にだらしなかった。その所為で、幾度となく迷惑を掛けられていた綾斗。

 尚弥と湊は、自業自得だろうと言わんばかりに、毎度話すらろくに聞かない。だから、今回も例によって秋紘は、助けを求めて綾斗を呼び出したのだ。


 綾斗は、手っ取り早く元カノを退かせる為に彼氏のフリをする。最近考案した手法で、長身美形のスパダリ彼氏を演じ、早々に諦めさせるのだ。

 大抵、元カノが綾斗に見惚れている間に、颯爽と秋紘を攫っていくのがパターン。今回も、手際よく秋紘を回収したのだが、コンビニに寄りたいと我儘を言い出したので置いてきたのだと言う。


 綾斗の言う通り、ゲネプロが始まって間もなく、秋紘が到着した。ダラダラと準備をして、ゲネプロが終わる頃に参加する。

 それでも、本番ではビシッとキメてしまうものだから、スタッフもあまり強くは注意しない。秋紘の機嫌を損ねるほうが、何よりも厄介な事を知っているのだ。



 ライブ本番。暗転したステージにメンバー全員が並ぶ。夕陽から刹那、次に蒼、最後は雪の順に、それぞれイメージカラーのライトに照らされた。


 まずはダンスナンバーを数曲、あっという間に会場が温まり、綾斗から自己紹介するいつもの流れ。

 綾斗の礼儀正しい挨拶に、ファンはうっとりと惚ける。それから、メンバー同士の絡みで今日もファンを煽る刹那。

 刹那は蒼の肩を抱き、自己紹介を終えた湊に『バーン♡』をさせた。会場はさらに盛り上がり、照れてしまった蒼は雪にバトンを回す。

 雪は、いつも通りミステリアスな雰囲気を纏い、静かに挨拶を終えると妖艶な笑みを見せて空気を一変させる。歓声がおさまるとバラードへ。


 ダンスもさることながら、歌唱力でも高い評価を受けるサルバテラ。湊がプレッシャーに思うのは、メンバー個々の能力が高いからでもあった。

 同じ事務所内でも、群を抜いて人気を誇っているサルバテラ。ライブ会場は徐々に大きくなり、順調にファンが増え続けている。

 今日の会場は、当初3分の2ほども客席が空いていた。けれど、今では満席。チケットは即完売するほどの勢い。


 そんなサルバテラのライブに初回から参加していて、今日も最前列でペンライトと団扇を握っている、涙さんに扮した煉。今日の団扇には“ウィンクして”と書いてある。

 さり気なく近づいてきた刹那が、蒼に『してあげれば?』と囁く。ウィンクが得意ではない蒼。刹那もそれは知っている。

 一瞬迷う蒼。だが、物欲しそうに待っている煉を見て、蒼は意を決した。


 煉としっかり目があった瞬間、パチンとかろうじてウィンクと呼べるものを披露した。蒼のレアなウィンクに歓喜したファンは、会場が揺れるほど絶叫する。


(やった! 今日はウィンクできたぞ! ····煉も喜んでくれたかな···)


 恥ずかしさから、直後に煉を見られなかった蒼。少ししてから、感極まって涙目になっている煉を見て心が緩んだ。


(そっか····。煉は今、なんだよね。僕が蒼である間は、絶対に湊だって思わないんだよね)


 普段は、湊と蒼がごちゃごちゃになっていた2人。だが、蒼として活動している時は、決して湊を出さない。

 湊が引っかかっていた原因は、これだったのだ。


 後半、新曲を混じえて激しいダンスナンバーが続く。笑顔と汗がキラキラと輝き、刹那のファンサが炸裂する終盤。

 刹那に負けじと、雪が湊を誘う。すると、雪と蒼と手を繋いで背中合わせになり、揃ってウィンクをして『バーン♡』とキメた。息を呑んで涙ぐむ最前列のファンたち。

 今日も、最高の盛り上がりを残してライブは終わった。


 ライブが終われば交流会が始まる。まだまだ小さい会場だからできる交流会も、さらに大きな会場へと躍進したら無くなってしまうだろう。

 ファンにとっては、嬉しくもあり寂しくもある前進。だからこそ、今のうちにとファンが殺到する。


 女性ファンが9割を占める中、涙さんは臆することなく蒼へと歩み寄る。


「今日も最高だった。··ンと、ウィンクありがとう。すっげぇ可愛かった」


 照れながら言う煉。あのウィンクが、自分へ向けられたものだったと疑わない。

 そして、握手をする2人。湊と煉として、何度も触れ合ったことのある手だが、今ここで触れ合う手がそれとは違うことに気づいた湊。

 アイドルとファンという壁があり、それ以上でも以下でもないのだと改めて実感する。その瞬間に沸き立った、煉に触れたいという湊としての想い。


 それに気づいた湊は、帽子とマスクの間に見える煉の目を覗くように見つめる。そのまま、自分に向けられた熱っぽい煉の目をじっと見て、湊は囁くように心の声を零してしまう····。



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