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第37話 心の声は届かないもの


 煉と湊が、合意でキスを交わしすれ違ったあの日から1週間が経った。

 湊に言われた通り、煉は昼過ぎに湊を呼び出した。気まずさの中、煉は湊の顔を見て罪悪感に苛まれる。

 そして、全てが煉の本意ではないと察しつつも、その真意までは探れない湊は、これまで通り“命令”に従うのだった。



 また少し腫れた目で、台本に視線を落とす湊。一度も煉と目を合わせない。

 湊は昨日、サルバテラのメンバーと遊び、ほんの少しだけ気が晴れていた。けれど、夜には煉との事を思い出してしまい、また薄らと涙が滲んだのだ。


 前髪を上げているが、今日は蒼になりきれないでいた湊。今日ばかりは、煉の前で蒼を演じる気になれなかった。

 煉は、そんな湊に掛ける言葉が見つからず、淡々と読み合わせを進めてゆく。けれど、蝉の声に負けるほど、2人の声には張りがない。

 ただ文字を読み上げているだけ。これまでで、最も身の入っていない練習。


 先に嫌気が差したのは煉だった。


「この先、やっていいの?」

「この先? ····あぁ、当然でしょ。練習なんだから」


 素っ気ない態度で返す湊。それが気に食わない煉は、半ばヤケクソでの演技を続けた。


「あっそ。んじゃ──」


 煉は、湊の顎をクイッと持ち上げ、セリフを言って当然のように誓いのキスをした。フリではなく唇に、むような少し長いキスを。

 トンッと、湊は煉を突き飛ばす。そして、これみよがしに唇を指で拭い、キッと煉を睨んだ。


 湊のその視線に、ゾクゾクしたものが込み上げる煉。苛立ったのか欲情したのか、それは煉にも分からない。

 けれど、確かに湊を欲する感情が湧き上がったのだ。


 カッとした煉は湊をソファに押さえつけ、湊の顎を持って強引に唇を重ねる。抵抗する湊だが、力では全く敵わない。歯を食いしばり、煉が差し込んでくる舌を必死に拒む。

 執拗く唇を貪る煉。キレた湊は、煉の腹を前蹴りした。


「舞台でもそうやってお姫様にキスするんだ。こんな····こんなえっちなキス····」


 手の甲で唇を拭う湊。ポロッと涙が落ち始める。


「なに、俺がお前以外のヤツとキスしたら嫌なの?」

「嫌だよ!」


 湊の即レスに表情を歪める煉。嬉しい反面、やはり煩わしさが勝る。

 今の自分たちは、ほんのひと時の昂りに惑わされているだけ。時間が経てば落ち着き、そのうち冷めて消えてしまう感情。煉は、そんなものに振り回されたくなかった。

 キスをしてしまった事も、不用意に湊を傷つけてしまったと、酷く後悔していた。そして、何よりも湊に近づいてしまった事を。


 遠くからを見ているだけでよかったのに。湊が蒼だと分かった瞬間の、欲に駆られた自分が許せないでいた。

 それは、煉が心底嫌う、強欲で利己的な父親の姿と重なったからだった。


 そんな罪の意識を抱えていた煉は、湊をこれ以上傷つけたくなかった。けれど、万が一にも湊が想いを伝えてきたら、断る自信もなかった。

 今ならばまだ間に合う。いっその事、嫌われてしまえと思ったのだ。


「たかがキスしたくらいで恋人面かよ。めんどくせぇな」

「····ごめん。もう言わない」


 感情を殺し、落ち着いてソファに座り直す湊。無表情で台本を開き演技を続ける。

 煉は、湊の隣にほぼゼロ距離で座り、様になった王子の演技を見せる。


(なんでだよ····。すっごくムカつくのに、なんでこんなにドキドキするの? 煉なんか····、煉なんか大っ嫌いなのに····)


 煉を嫌いだと結論づけた湊。だが、それとは裏腹に鼓動が高鳴り、煉の居る左側は熱くなる一方。

 湊は、心と身体が乖離してゆく気持ち悪さを感じていた。



 15時、諏訪が紅茶と菓子を持って来た。


「おや、お二方ともどうされました? 随分と険悪なムードですが、喧嘩でもなさいましたか?」


 テーブルに食器を並べながら、諏訪は笑顔で尋ねた。


「っせぇ。お前に関係ねぇだろ」

「これは失礼致しました」

「煉、年上の人に対して失礼だよ。すみません諏訪さん、なんでもないので大丈夫です」


 湊は、ニコリと笑顔を返す。


(なんでもねぇ··かよ。そうやってすぐ笑顔作れんのな)


 小さく舌打ちを零して紅茶を啜る煉。湊は、小さな口でスコーンにかぶりつく。


(コイツら絶対なんかあっただろ。煉様に何あるとアイツがうるせぇからなぁ····)


 笑顔の裏で、素の諏訪が嵐への煩いをほのめかす。


 諏訪は、煉が生まれる数年前から月宮家に仕えている。丁度、嵐が小学校に上がる頃だった。

 嵐は諏訪を気に入り、自分の専属執事よりも長く傍に置いていた。まるで本当の兄弟のように仲が良く、諏訪は出来の良い嵐を誇りに思っていた。

 いつしか諏訪が嵐の専属となったが、煉が生まれると嵐は信頼できる諏訪を煉に付けた。煉が生まれてから、嵐の1番は煉へとげ替えられたのだ。


 諏訪は、嵐や煉に不満があったわけではない。むしろ、嵐から信頼されている事を光栄だと思っていた。

 けれど、煉の傍若無人さに手を焼き、それを甘やかし放題なうえ煉に何かあると文句を言ってくる嵐が、いい加減煩わしいと思っていた矢先だったのだ。


 煉と湊が見るからにギクシャクしている。関係は良好で、湊が煉を良い方向に変えてくれると思っていた諏訪は、状況を見極めようとカマをかけてみた。


「ふふっ、痴話喧嘩は犬も喰いませんよ。程々になさいませ」


 ニコッと微笑みかける諏訪。煉と湊は動きが固くなり、明らかに狼狽えている。


(コイツら··バカなのか?)


 微笑みをキープしたまま、諏訪は心の中で毒づく。やれやれと言わんばかりに、諏訪は紅茶のおかわりを注ぎながら小言を言い始めるのだった。



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