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第34話 すれ違って傷つけて傷ついて


 やはり、煉の中では湊と共に蒼も存在している。それが、関係を進められない要因。推しを独り占めしてしまう、そんな背徳感に酔いしれる事など容易にはできない。

 そしてもうひとつ、煉には先に進めない理由があった。


(付き合う··とかって流れなんだよな、普通は。けど··そういうの、なんか違ぇんだよな····)


 煉は、交際どころか恋というものをしたことがない。両親の愛情が冷めていく様や、離婚に至るまでの醜態を見てきた煉は、無意識にそういうものと距離を置いてきた。それどころか、嫌悪感を抱き忌避してきたのだ。

 だから、煉は湊に告白をするでもなく、ただキスをしただけで留まってしまう。その先の関係など、煉は望んではいなかったのだ。


 けれど、惹かれ合うまま2度も唇を重ねておいて、なかったことにはできないと腹を括る煉。そうっと湊を離すと、ポツリポツリと降り始めた雨の様に、少しずつ言葉を落としてゆく。


「あの··さ··、言っといてアレなんだけどさ、マジで、最低かもしんねぇけど、俺、縛られんのとかムリなんだわ」

「····え?」

「だからさ、付き合うとかそういうの、したくねぇ··っつぅか、できねぇっつぅか····」


(キスしたのに? キスって、好きな人と··、恋人とするんじゃないの? え、じゃぁ··、なんで僕にキスしたのさ····)


 状況が呑み込めない湊。あまりに予想外な煉の言葉に、一瞬思考が飛ぶ。


「そう··なんだ」


 俯いてしまう湊。考えが纏まらないまま、ひとまず納得した様な言葉を落とす。


(····って僕、煉と付き合いたいと思ってるの? キスしたからてっきりそうなるのかなって一瞬思ったりしたけど、好きって感情すっ飛ばしてない? あ、でも煉は僕に惚れてるって····あぁもう! ワケ分かんなくなってきたっ!)


 ヤケクソ気味な内心を隠し、平静を装って対応しようとする湊。悔しさを堪えるのに必死だ。


「それじゃ、えっと····な、なかった事に──」


(ヤバい····なんか泣きそうだ······)


「それはやだ」

「····は?」


 我儘を爆発させる煉。流石の湊も、涙が引っ込み苛立ちを見せる。


(そりゃ怒るよな。けど、どうせ別れんのに付き合うとか死んでもヤだね)


「別に、そういう形に拘る必要なくね? つぅかお前、俺と付き合いてぇの? 俺のこと好きなの?」

「··っ! そ、それは····まだ、分かんないけど····」


 キスをした瞬間の湊を思い返す煉。素直になれない湊へ、優しくするほどの余裕はなかった。


(嘘つけ。絶対俺のこと好きなクセに。認めねぇんなら俺も譲らねぇ。んぁー····けど、これ言ったらコイツ、マジで怒んだろうな····)


 最低な台詞が過ぎった煉。言ってはいけないと分かっていても、口は意思に反し止まらなかった。


「だったら尚更だろ。····あぁそうだ、ファンサだと思えよ」

「なっ、何言ってんの····? 本気なの? ねぇ煉、それは──」


 湊は、縋りつくように煉の胸元を握り締め、今にも零れ落ちそうな涙を浮かべて煉を見上げる。


「命令」


 煉がそう言った途端、湊は煉を突き飛ばした。そして、ソファから立ち上がった湊は、煉に怒鳴りつける。


「煉のバカ! そんなのファンサの域超えてるよ!」

「偉そうに····お前、自分の立場分かってんのかよ。俺だけに特別なファンサすんだろ? そういう約束だったろ」


(くそっ、こんな風に言いたいわけじゃねぇのに。コイツがムキになったら口が止まんねぇ····)


 煉の心無い言葉の数々に、湊は立ち尽くして俯いたまま。気まずい沈黙が続いた。



「····わかった。煉がそれをファンサだって言うなら、キスもしてあげる。そうだよね、そういう約束だったもんね。でも、エッチな事だけは絶対シないから。そういうのは、恋人とするんだもん····」


 涙をポロポロと落としながら、静かに言う湊。


「····湊」


 煉は、思わず湊に手を伸ばす。が、湊は煉の手をパシッと払った。そして、ずずっと鼻をすすってから、感情なく言葉を置いてゆく。


「ごめん、今日は帰る。····読み合わせ、来週なら空いてるから、するなら呼びつけて。命令だって言ってくれたら来るよ」


(なんだよっ。大っ嫌いって言ってやろうと思ったのに! なんで煉があんな悲しそうな顔するの!? あんなの、狡いや····)


 湊は、振り返ることなく部屋を出ていった。それを引き止めることなど、今の煉にはできなかった。



 その夜──


 ····一枚の画用紙を持ち、父親の帰りを今か今かと待つ少年。その顔は希望に満ちている。

 大きな玄関扉が開き、帰宅した父親が足早に廊下を歩く。チラリと少年に視線を落とすが、すぐさま廊下の先へ戻す父親。

 少年はその後を追い、画用紙に描かれた絵を父親に向けて見せる。


「おかえりなさい、父さん! あのね、絵画コンクールで金賞に選ばれたんだよ! 見て、これ父さんが好きな――」

「あぁ、凄いな」


 そう言って、父親は絵に見向きもせず書斎の扉を閉めた。

 少年は肩を落とし、閉めきられた扉の前で佇む。少年の手からすり抜けた画用紙には、父親が好きな梟が描かれていた····──。



 憂鬱そうに瞼を持ち上げる煉。大きな窓、カーテンの隙間から見えるのは、まだ静寂を抜け出せない夜の闇。ごろっと寝返りを打ち、窓に背を向ける。


(夢··か、あン頃の····。チッ··胸糞わりぃな)


 夢ではなく、あれは煉の過去。父親との、確執とも呼べない溝の始まり。

 目覚めの悪かった煉は、水でも飲もうと不機嫌に部屋を出る。扉を強く閉めた音が、静まり返った屋敷に響く。が、特段反応は無い。

 嵐が居れば、何事かと飛び出してきたことだろう。けれど、嵐は海外へ戻っており、予定では文化祭の日まで帰らない。執事の諏訪は、日常茶飯事なので完全にスルー。

 不機嫌な煉を宥める者は、この家に居なかった。



「湊··。くそっ····もう会いてぇんだけど····。って、どの口が言ってんだか····」


 ポロリと零れ落ちた本音。けれど、真夜中に、それもあんな事の後でメッセージなど送れない。

 煉はベッドに寝転がり、スマホのホーム画面を開き笑顔の蒼を眺めたまま、ぼんやりとしているうちにいつの間にか眠っていた。



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