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第29話 心の変化に気づくも気づかぬも


 少し開いた扉の隙間から、ひょこっと顔を覗かせる湊。それを見た煉は、ふっと笑って『さっさと入れよ』と急かす。


 湊は煉の言葉に従い、ささっと部屋へ入り丁寧に扉を閉める。そして、一歩を踏み出すどころか下がり、扉に少しもたれかかって深い溜め息を吐いた。


「人の部屋入っていきなり溜め息かよ」

「なんか··、情報過多過ぎてね。とりあえずさ、家っきすぎだよ····」

「まぁ、一般家庭に比べりゃデケェんだろうな。けど、これが俺のフツーなんだわ」


 大きなソファに足を組んで座り、悠々と湊を迎え入れた煉。だが内心は、推しが自分の家に来た事によるテンションの爆上がり真っ只中。それを抑えて、懸命にしれっとした態度を保っているのである。

 湊は、煉の気など知る由もなく、いつも通り前髪を上げながら近づいてくる。煉は、地味でモサっとしている湊が蒼へと様変わりしていく姿に慣れる事はなく、毎度律儀に鼓動を速めていた。それを悟られぬよう、煉は平静を装い密かに深呼吸を混じえながら湊を見つめる。


 8人掛けのゆったりしたコの字のソファ。煉は『テキトーに座れよ』と言った。

 それなのに、煉の隣にくっつきそうなほどの距離で座る湊。


(はぁぁ!? なんっっっで真横なんだよ!!?)


 焦る煉の心臓は、もはや爆ぜる寸前だった。


 ファンサをさせられる時、湊は真横に座らされたり真正面に立たされたり、それはいつだってほぼほぼゼロ距離。けれど、特等席で煉の嬉しそうな顔を見るのが、湊の中でほんの少し楽しみになっていた。

 そんな、いつもの癖で至近距離に座った湊。座った直後に、こんなに広いソファでわざわざ隣に座る必要性がない事に気づく。けれど、今更移動するのも感じが悪いと思い、そのまま何事もないように渡されていた台本を取り出す。


「よく部外者の僕に台本くれたよね」

「そりゃお前に渡すって言ってねぇからな」

「そっか、そうだよね」


 湊は、取り出した台本を見つめ、これを貰った時の事を思い返す。




 夏休みが始まる直前、いつものように空き教室へ湊を呼び出した煉。ぶっきらぼうに『ん』と言って台本を渡した。その台本は、湊と読み合わせをする為に、失くしたと偽って貰った物だ。

 なんの疑いもなく予備の台本を渡してくれた脚本担当の女子へ、煉はほんの少しだけ罪悪感を抱いた。煉が珍しく『ありがと』と言ったので、その場に居合わせた女子は歓喜に沸いていたが、そんな事は煉の眼中にない。

 湊と読み合わせをする事で頭がいっぱいだった煉。その為なら、嘘も方便と自分に言い聞かせていたのだ。


 台本を受け取った湊は、煉の本気を見た気がしていた。できる限りの協力をしたいと、心から思った瞬間だった。

 それから今日まで、2人は時間が合えば読み合わせをしていた。湊の迫真の演技に、煉は呑み込まれないようついていくだけで必死だった。


 そして、練習の合間に煉が湊へ言った。


「お前、やっぱ演技向いてるよな」


 煉の言葉を素直に受け止められない湊は、唇を尖らせて聞き返す。


「普段から嘘ついてるもんね」

「そういう意味じゃねぇよ。あの舞台、すげぇ良かったもん。俺ン中では、お前が1番上手かったからな。つーか、他の役者は色ねぇのにお前だけがキラッキラ輝いてんの。演技すんの好きなんだろうな、楽しそうだなって思って観てた」


 台本を流し読みしながら、しれっと褒める煉。意識を台本にやっている所為で、煉は自分の発言に気づいていない。

 当時、問題を起こし降板した俳優に代わって、穴埋めで抜擢された湊。勿論周囲には、演技経験のない湊より、経験を積んだ演技力のある役者ばかりだった。それでも、煉の目に輝きを持たせたのは自分なのだと思うと、湊は涙が滲んだ。

 湊は、ぶわっと煮え立つように熱くなる顔を台本で隠す。


「ん? どうかしたか?」

「ううん、なんでもない」

「んじゃ、俺のセリフの1個前からもっかいな」

「う、うん」




 と、こんな事があった。夜、眠る前に煉の言葉を思い出した湊はこの日、どうにも上手く寝付けなかった。

 それを思い出した湊。また顔が熱くなってきたので、一時退散しようとトイレに立つ。



 トイレから戻った湊は、間違えてふたつ手前の部屋の扉を開けてしまった。その部屋の中を見て、湊は思わず悲鳴をあげてしまう。

 それを聞き、煉が隣の部屋から勢いよく飛び出してきた。


「どうし、た··って、おま、そこ····見たのかよ」


 開け放たれた扉の前でへたり込む湊。歩み寄ってきた煉の顔を見上げる。


「ひ、人の顔がいっぱいで····お化けかと思ってビックリしちゃった。けど、あれ僕だよね」


 だだっ広い部屋に、敷き詰められた蒼のグッズ。どうやら、煉が以前見せてくれた保管庫のようだ。と、湊は思ったのだが、この後の煉の言葉に耳を疑った。


「お化けってお前なぁ····。あー····ホントはそっちが俺の部屋なんだよ。隣は客用の空き部屋な」

「え、煉····この中で生活してるの?」

「あ? どういう意味だよ」


 湊は、落ち着いてもう一度部屋の中を見る。見渡す限り、蒼が壁に張り巡らされているではないか。

 棚にはアクスタなどのグッズが所狭しと並んでいて、ベッドのサイドテーブルには涙さんと蒼のツーショット写真が飾られている。壁に貼られている物に至っては、一部公式グッズではない物も。

 この部屋で、煉はどのように過ごしているのか、湊には到底想像できなかった。


「前に写真見せてくれたの、ここだったんだね」

「あぁ」

「ぼ、僕ばっかり····」

「当たり前だろ。お前以外に興味ねぇからな」


 湊は、煉のストレートな発言に、煉がファンである事を忘れ赤面する。煉が言うそれは、いつだってに限ってのはず。そう、頭では分かっているはずなのに····。


 煉の顔をまともに見られなくなった湊。煉に腕を引かれて立ち上がるが、よろけて煉の胸に収まってしまった。

 煉がどれほど自分を好きなのか目の当たりにし、湊は騒ぐ心臓を宥められない。それと同時に、煉が好きなのはなのだと改めて認識し、ふと視線を落としてしまう。


「引いただろ」

「え?」


 湊の肩をキュッと握る煉。


「自分の顔こんなに飾って、そん中で生活してるとか····キモくねぇ? つか、怖くねぇの?」


 煉は、前髪に口元をうずめて言った。不安を隠しきれない煉。怖くないかと聞きつつ、湊の顔を見る勇気がなかった。


「怖い··かも」


 ぴくっと眉をひそめる煉。煉は、腹を括って湊を離そうと思った。だが、その前に湊は言葉を続ける。


「煉じゃなかったら、ちょっと怖かったかも。でも、煉なら怖くないよ。ただ、自分がいっぱいでビックリしただけ」


 煉は、その言葉を聞きゆっくりと湊を押し離す。湊の顔を覗き込むように見ると、耳まで真っ赤に染めていた。その理由を、煉はあえて問わない。


「俺だと、怖くねぇの?」

「····うん」

「なんで?」

「そ、そんなの分かんないよ」

「っそ、隠して損した。つぅか分かってねぇのムカつく」


 拍子抜けした煉は、もう一度湊を胸に収める。


「んわっ····な、なに?」

「別に。手の届かねぇと思ってたモンが、今ここにあんだなって思ったらテンション上がった」

「はぁ!?」


 煉は、湊に見られないようニカッと笑う。煉の様子を伺えない湊は、この状況に顔を熱くするばかりで段々と苛立ち始めた。


「もう! いつまでこうしてるつもりなの? 読み合わせの続き、するんでしょ」

「する。けど、先に昼飯食わねぇ? 腹減ってんだろ」

「····減った」


 素直な湊は、煉に手を引かれて食堂へ向かう。


(いちいち手を引かなくたって、もう迷子になったりしないのにな)


 そう思いつつも、煉の手を振りほどかない湊。時々見える、煉の嬉しそうな横顔がその理由だとは、本人も気づいていない。



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