煉が待つ特別室の扉を開け放ち、果敢に一歩を踏み入れた湊。だが、その瞬間、扉の影から飛び出してきた何者かに捕らえられてしまった。
ドタッと倒れ、苦しそうに呻き声をあげる湊。何事かと顔を上げ辺りを見回す。
部屋の奥にある、大きな1人掛けのソファでふんぞり返っている煉。茫然と湊の居る辺りを見つめているが、不気味なほど反応を示さない。
肘置きには、黒く艶やかな長髪でスタイル抜群の美女が、煉に背を向けて腰掛けている。組まれた脚が、目を見張るほど美しい。
「あら? 樹くんじゃないのね····。だぁれ?」
造形美とも言えるその人は、女生徒用の制服を纏い、口調は女性らしくあるが声が野太い。
細身の身体を捻って背もたれに手を回し、反対の手で煉の顎に指を這わす。煉らしからぬ無抵抗さに、湊は戸惑いを隠せない。
煉へ向ける劣情的な視線。それを、ジトッと湊へ向けながら憎悪を込めた。ギロッと見下すような目で湊を見つめ、猫撫で声で刺々しく言葉を放つ。
「ね〜ぇ、煉··。あのモサっとした子、貴方の
湊は、声の圧にビリビリと身体を射抜かれるような恐怖を感じた。依然として、何も言わない煉。それどころか微動だにしない。
助けを求めようにも、背中を膝で踏みつけられ息をするのがやっと。手は背後で組み押さえられているので、非力な湊はまったく身動きが取れない。
恐怖と混乱で涙を抑えられなくなった湊は、前髪の隙間から煉を見上げ涙を流す。
湊のそれを見た煉は、グッと眉間に皺を寄せる。
「おい··、ソイツに、手荒な事すんな。殺すぞ」
煉が、ようやく口を開いた。湊を押さえる男へ、たどたどしくも高圧的に言葉を撃つ。静かでありながら怒気を含む煉の声に、男は怯え慌てて湊から跳ね退く。
「はぁ····使えないわね。アナタ、もう下がっていいわよ」
溜め息とともにそう言われ、湊を押さえていた男はそそくさと部屋を飛び出してゆく。腰を抜かした湊は、うつ伏せたまま動けなくなっていた。
「あはは、動けないの? そんなに怖かった? うふっ、可愛いのね。ねぇ、れ──」
煉の頬に触れようとした手を、煉は思い切り弾いた。そして、踏ん張るようにゆっくりと立ち上がり、よろめきながら湊へ歩み寄る。
湊の前へ膝をつき、煉は湊を抱き起こす。座らせた湊の前髪を指で流し、安否を確認するようにしっかりと目を合わせる。
けれど、煉はすぐに視線を落とした。いつもの煉らしくない。
「悪かったな。樹が来ると思ってたから気ぃ抜いてた。身体、思うように動かなくて····って、言い訳ダセェな」
身体が思うように動かない、という言葉を不審に思う湊。だが、その理由がすぐに分かった。
「薬····?」
湊は、煉が普段つけている香水とは違う、薬品の様なにおいを嗅ぎとった。焦点が定まらず、少し虚ろな煉の様子からも間違いはないと確信する。
「アナタ、鈍感そうなのによく気づいたわねぇ。褒めてあげる」
手に持った小さなガラス瓶を、湊へ見せつけて言う。煉は、息が荒いのか溜め息なのか、ふぅっと大きく息を吐いた。
「煉に何したんですか!? ····て言うか、アナタ誰ですか?」
「鎮静剤で大人しくさせただけよ。煉ったら、手に負えないくらい獰猛なんだもの。って、ホントにアタシを知らないの? この学園に私を知らない人間が居るなんて····信じらんないわ」
そう言いながら、心底驚いた様子で煉に近寄ってきた。そして、煉の背後にモデル立ちして、湊を見下ろしながら話し始める。
「アタシは2年、
情報の詰め込まれた自己紹介を終え、穂月は煉の背後から手を回し頭を抱き締める。煉は、それを払おうにも力が入らない。
穂月の艶やかな仕草と声色に、湊は顔を熱くする。見てはいけないものを見ているような、穂月の破廉恥さに目を塞いだ。
「あら、純情? モサいけどピュアな可愛い子♡ ねぇ、お顔ちゃんと見せてごら──んぁっ」
穂月が湊へ手を伸ばした時、煉は後ろ手に穂月の胸ぐらを掴み引き寄せた。頬を赤らめ喜ぶ穂月。
煉の肩に手を置き、耳元で『なぁに?』と妖しげな声で尋ねる。
「コイツに、何かしたら····親衛隊隊長、クビな」
「····ヒュッ」
穂月は息を細くして目を丸くした。ポツポツと落ちてゆく煉の言葉ひとつひとつに、穂月は過剰なほど反応する。
「この子、煉のなんなの? アタシをクビにするほどの──」
「それ以上言ったら、俺に接近すんのも、
穂月の言葉を遮り、凛とした面持ちで言う煉。額には汗が滲み、無理を押しているのが分かる。
「やっ、そんなの嫌よっ! ····分かったわ。この子には一切触れないし、決して手を出さない。煉、貴方の言う事は“絶対”····だものね」
両手を胸の前に、祈るようなポーズで煉の言葉を受け入れる穂月。余程、煉に酔狂していると見える。
穂月に圧倒され、湊は固まったまま。煉は、湊を立たせると腰を抱いてヨタヨタと歩き始めた。呼び止める穂月を無視して、煉は湊を連れ部屋を出る。
重い扉をバタンと閉めるとすぐに、湊の腰からするっと手を引き、ヨロヨロと真横の壁に背中を預けてへたり込んでしまった。
湊は慌てて駆け寄り、倒れる前に煉の身体を支える。思っていたよりも筋肉質で重い煉。湊は『重い····』と漏らしながら、煉をしっかりと壁にもたれさせた。
「煉、大丈夫?」
「あぁ、ちょっと動きにくいだけだから。こういうの、初めてじゃねぇし」
ふいっと視線を逸らす煉。今すぐにでも事情を問い詰めたい湊だが、場所が悪いと思い移動を提案する。
「動ける?」
「あー····厳しいかも。肩、貸してくんねぇ?」
「え、煉重いから無理かも····」
「は? ここは『いいよ』って言うとこだろ」
「····もう煉には、嘘つきたくないなって思って······」
(なんだよそれ····。|俺《・》|に《・》|は《・》··って、どういう意味だよ)
ぼんやりとした頭の中で巡る湊の言葉。煉は湊の意図が読めず、一旦考えを手放した。薬の所為で、どうにも考えが纏まらないのだ。
とにかくこの場を離れようと、煉は湊に腕を引かせて立ち上がる補助をさせる。
一生懸命、煉腕を引いて立たせる湊。そうして煉は、湊に支えられてゆっくりと立ち上がった。
2人は、人に見られないよう周囲を警戒しながら、別館の空き教室を目指す。